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2010年4月24日 (土)

終のSPを迎える為にやっておきたいこと(1)~プロローグ~

終のSPの導入時期は未定です。現状は村田さんの製作進捗次第のお任せ状態です。でも計画変更前のK2を入手するであろう(予想)時期よりは早いと思っています

完成後は価格が当初予想通り以下であれば即導入。それ以上であれば程度次第で若干遅れる可能性はあります。夢ゝ計画通りになるとは思っていませんので実現までは気が抜けません

と言うことでお輿入れの時まで未だ相応の時間がありますので、その間、やっておきたいことを確実にやることが日々の過ごし方においても重要な位置を占めて来ると思っています。

今までに準備したこと・・・別にこの為にやった訳ではないのですが結果として準備出来たこと。

1.大型SP用のキャパは確保・・・’91.3

ただし、構造が軟弱(=普通仕様)なので大音量に構築物が耐えられるか、この点が特に心配です(爆)。他にも問題山積です。

建築時に最終着地を考えていなかった為にこう言う事態が起きている。

20年は長いですから私のような凡人にはとても先が読み切れません

2.電源・・・’08.7

これは’08年に100Vと200V各々専用の分電盤をN2仕様で設置。

機器までは直結給電としている。

SPが5~6ウエイと言うことで電源ケーブルの増設が必要かも知れません。その際は根岸さんにお願いしましょう。・・・ご快諾頂いております。

今後の課題

○アースレベルの向上

○戸建て方式分電盤の採用

以上2点は最悪構想だけで終わるかも知れないなー、と思っていましたが、SPの購入コストが予定より安く上がるのでひょっとしたら出来るかも...。でも分からない(爆)。

3.その他機器

SP以外はその後の私自身の寿命と余剰資金の有無を睨みながら更新するかも知れません。その前に機器がぽしゃれば、レベルダウン乃至は趣味そのものをストップせざるを得ません。でもアンプ系は必要がなくなりますので入口だけと言う至って予想外の展開になりそうです。・・・嬉しい誤算。

4.ソフトの聴き方

これが一番重要でアイガーさんの掲示板が切っ掛けで知り合った案山子さんの影響で聴くソフトの幅が広がった。未知の音楽を知る良い切っ掛けになりました。

ソフトに対する考え方がある程度定まって来たのは60歳を過ぎてからです。トホホ...。

5.長い道程

キャパが完成してから20年経っても未だ相応しいSPに来て貰えないのは極めて歯痒い思いですが、逆に言えば、これだけ回り道して来たので最後だけは時間をたっぷり使って悔いのないSPを求めたいと言う願望が強いのです、って今はそれしか出来ない。←これが本音。

それにしても長い、です(爆)。

6.同好の士

マンション時代以前、即ち寮時代はシステム構築と呼べる状態ではありませんでした。発想としてそう言う認識を持ち合わせていなかったと言うことですね。会社仲間内での付き合いレベルでしょうか。

マンション時代になるとお茶の水のオーディオユニオンの橋渡しでソノボックスの長崎さんと知り合い、更に水野さんを知りました。

↑の共通のユーザーの関係からTさんと言うとてつもなく耳の良い私より5歳位若い人と知り合い大いに触発されました(アマ・バンドのE・ギター奏者でもありました)。

私も若い頃は結構ハードなオーディオライフを送っていました。当時はソフトそっちのけの機器弄りが主体でした。・・・30歳~40歳位までの約11年間が内容は別として一番熱中していたのではないでしょうか。・・・完全なオタクでした(爆)。

閑話休題

42歳位から49歳迄は伊豆に家を建て、毎週末(除く2月)非日常の「田舎生活」を送るべく東京~伊豆間を往復(建築中(41歳当時)も進捗状況確認の為、半年位は毎週宿泊なしのとんぼ帰りで往復していました)。

伊豆に滞在中はオーディオよりも木工に夢中で東京に帰宅後は早々に就寝し、仕事に支障のないようにしていました。

49歳(当地へ移住)から52歳位は新規に取得した隣地のスペースを庭とすべく取得した「庭園管理士」の知識(大したものではないですが...)を利用して庭のデザイン・植栽等を通じて楽しみました。・・・これで退職金が底を突き掛かって来たので就職先を探しました(爆)。

と言うことで41歳から52歳までの間は「木工」「庭造り」がメインとなってオーディオは開店休業状態となっていました。

で、元に戻りまして

伊豆時代前半・・・何と言っても経済苦境の中から這い出し、落ち着いた頃行き着いたのが逸品館の清原社長でその縁からサーロジックの村田さんを知ったのです。

それまではこの空間を持て余して放り投げ状態でしたから、パネルを買い、SWを買って見よう見まねでチューニングをして今に至っています。・・・空白期間があったことは従来のやり方を断ち切る意味では良かったですね。

我が家はルームチューニングと言う形では何も村田さんにやって頂いておりません(爆)。

村田さんは近くのチューニングの序に寄って頂いたりで、殆ど息抜きとして休憩所代わりに利用して頂いておりました。ですから、サーロジックの掲載記事にも基本とは異なる旨書かれております(爆)。・・・ただし、サジェッションは常々頂いて私なりに微調整はして来ました。

又、村田さんの関係から近所の仲間を知ることが出来ました。

現在・・・その後更に脱皮出来たのは↑の通り、アイガーさんと案山子さんとの出会いです。

アイガーさんに会って初めて音量の重要さを身に沁みて理解させられました。そして案山子さんとの出会いでLP12の奥深さと更なる大音量の楽しさを教えて貰いました。

こう言うことが積み重なってSPの最終ターゲットを選考したいと思うようになったのです。この時点ではDD66000もS9900も誕生していませんし、村田さんのSPは影も形もありません(爆)。

当時はおぼろげながら、PMCの上位機種MB1程度を念頭に置いていました。

私は昔から美音系よりもガツン系(こんな言い方があるかどうかは分りませんが...)を目指して来ました(時代時代によってその内容には差がありますが...)。

演奏者の息吹が伝わって来るそんな音に浸りたいのです。現在の私の好みはヴォーカルだけでもなくインストだけでもありません。どちらも聴きたいのです。

その意味ではガツンと厳しくてもそれこそが聴く本人にとってはまさに美音なのです。それで電源を見直した訳です。引き算しかないものを如何に少なく出来るか、そこに掛かっています。なので直結給電だったのです。

そして今は好むと好まざるとに拘わらず24時間自分の時間です。時間はたっぷりあります、ないのはお金だけです

昨今の得難い経験を活かして悔いのない人生を全う出来れば言うことなしです。ホンと「オーディオ馬鹿一代」ですね。・・・若干中抜きですが...。

結果として53歳~60歳の約8年間が第二期熱中時代でしょうか。内容は第一期と随分違いますが...。

ですから、’09の年金生活に移行した頃からはマニアの方とも必然的に今までと同じようなお付き合いは出来ないし、ネット上もソフト主体の方とのコンタクトが増えて来ました。

私にとってラストスパート前の時間を有効に活かし切って今まで知らなかった音楽の素晴らしさを少しでも沢山知りたいと思ったからです。

次善かどうかは別にして現状のキャパを100%活かし切れれば良いと今では思っています。

それが出来れば、又違った答えも見えて来るかも知れないし、と言うことで...。

環境に相応しいSPを使ってこそポテンシャルは発揮させられる訳なので今回、導入が出来た段階でやっとその端緒に付く感じです(爆)。

最終的には未完で終わるのでしょうが、精一杯楽しめるようソフトの充実が最優先課題なのですが、これも経済上の理由から昨年一杯でストップ状態です(辛いですねー)。

望むべくは夢のSPを導入した以降が最終且最高の熱中時代となれば、と思います。飽く迄も自分の為のオーディオであり、人に聴かせるモノでもない。聴いたり聴かせたりはもう終わったと思っています。

最後はオンリーワン、私自身が望む世界が描けられればそれで良しです。夢のSP導入後も基本的には私自身の生活レベルが変わる訳ではありませんから現在と同様のスタンスです。

ソフトの絞り込みもこの間に準備して導入後は好きなソフトを思いっ切り楽しむことが最大の狙いです。

現在の目標はCD150枚程度、LPが350枚程度、これ位あれば順次聴いて行っても単純計算しても一巡するのに3ヶ月以上掛りますから丁度良いと思っています。・・・従って普段聴かないのが優に2000枚以上となる

現状ヤフオクで処分しているモノが一巡した時点で処分は全て終了です。後はあの世へとやらへ一緒に行くことになります(爆)。

64歳になって少し余裕が出来て来るとソフトの購入はボチボチ再開するかも知れませんが、恐らくクラシックがメインになると思います。現状、このジャンルが余りにも少ないので...。

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