オーディオ黎明期~1970年代(2)
そうこうしている内、先輩のお古(当時は一体型でした・・・モジュラー型と言ったかな)を頂き(ただではありませんでしたが)、取り敢えず音楽が聴けないと話にならないので入門編と言いましょうか、映画音楽とかの全集を買いました。・・・コンポーネントなどと言うことは未だゝ後のことです。
そうそうLPが買えるほど収入がある訳ではないので、殆んどはラジオ放送を楽しんでいました。
その意味では最初はオーディオ何て意味合いは更々ありません。今思い返してもどこでどう間違ってこんなに長い間、熱中することが出来るようになったのか、ある意味不思議でなりません。
振り返っても40年間常に目一杯の状態で続いた訳では勿論ありません。そんなことをしていたら、体も資金も続きません。
私の場合、幸か不幸か40歳位まではお酒が良き友でした。
時には飲まれて前後不覚の状態で翌日の仕事も朦朧とした状態で必死に耐えて早く終わることだけを願っているようなことも少なからずありました(;´Д`A ```。
話が脱線しました。
この京都支店には5年位居て次の異動先は東京の有楽町支店です。私は元々東京に憧れていましたので、京都支店在勤中2年目から身上書を書く時は必ず異動先は東京を希望していました。ですから辞令を受けた時は正直嬉しかったですね。
結局京都支店にいた時に覚えたのはオーディオのさわりとお酒の楽しさでしょうか。どちらかと言うとお酒の方かも...(;´Д`A ```。
私は凝り性なので今思い返すとパチンコ・麻雀と言った賭け事に手を出さなかったのは正解でした。(先輩・同僚の無理強いで1~2回はそれぞれやりましたが、全然面白くなかった)・・・パチンコ・麻雀双方共に環境劣悪ですものね。パチンコは騒音と煙草、麻雀は更に狭い空間での煙草の煙が充満している。あれを数十年続けられたら大したモノです。
私ならとっくに死んでいる(爆)。
未だ、当時は週休二日制でもありませんでしたので、それほど自由になる時間もなかったし、こんな私でも仕事第一に考えて必死に働いたモノです(爆)。
そうそう小遣い稼ぎに当時は未だあった宿直(2人制)を先輩から交代して稼いだものです。
正月などは何もすることがなければ店にいた方が良いとばかり、3日間続けてやって後で上司から注意を受けたこともありました。
注意の理由は自分の体をもっと大切にしろよ、と言うことでした。要は休める時はゆっくり休め、と言うことです。若さ(馬鹿さ)を前面に出して兎に角がむしゃらに生きていた時期でしょうか。
この店は建築から相当年数が経っているので兎に角古いのです。開かずの間に近いような部屋もあったりで、夜間一人で見回りをする時は妙な緊張感を覚えたこともあります(爆)。
びっくりしたのは支店にビリヤードが設置されていたことです。こんな設備まであるんだ、銀行って凄いな、と思ったモノです。でも後で分かったことですが、こんな設備はその後異動した先には当然ありませんでした(;´Д`A ```。
古き良き時代の名残でしょうか。
先輩の中には上手な方もおられました。
私たち新米にはマットが破れるとか何とか言ってやらせて貰えませんでした。尤もやる気もありませんでしたが...。
銀行の本店は東京ですが、京都支店のことを「ご本店」と言って京都の人には愛着があったようです。
中々見応えのある立派な建築物でしたが、その後老朽化と言うことで他の場所に移ったようです(その後行ったことがないので詳細は分かりません(爆))。
さて、宿直の話に戻りますが正月には同期の女性行員が何名かおせち料理を持って来てくれたりした良い時期でもありました。この時期は新人が男性4人(内大卒2名)、女性が18人と言う今では考えられない大量採用でした。
団塊の世代はこれがリタイアするまで続くのですね。・・・全行的には男性350人、女性は1500人以上じゃなかったかな(うろ覚えです)。・・・もっと多かったかな、自信なし...。
不器用な私でしたが、先輩からは意外と可愛がられ、良く飲みに誘われました。体質的に酒と相性が良かったのか、結構行ける口だったのです。
当時京都で結構有名なジャズ喫茶・クラブ等々にも行ったりして自分で買うことが敵わないシステムで音楽を聴かせて貰い、こんな程度なのと嘯いていた時期もあったようです(;´Д`A ```。
京都のオーディオ街と言うのは寺町*にありました。こんなに沢山、同じようなモノを売っている店が集中しているなんて凄いな、と思いました。初めてなので他と比較しようがないので当然なのですが...(爆)。
*・・・ここも秋葉原と同じように今はパソコンの街なのでしょうか。
兎に角怖いもの知らずです、と言うよりハッキリ言って世間知らずだったと言うことです。
京都は私の銀行員生活の中では一番思い出に残っている街となりました。その点、東京は仕事のことでは良いけれど、味わいがありませんでしたね。
ただ、ひとつ京都は盆地なので冬の寒さは底冷えのする厳しさ、夏はムシムシと決して古都と言った印象だけで憧れてはいけない気象の厳しい街でもありました。それはどこでも同じ、と言われればそうかも知れませんが...(;´Д`A ```。
結局それが田舎出身の私が最後は又田舎探しをすることにも繋がったような気がしています。
次は有楽町支店に移ってからのことになります。
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