オーディオ入門編~1970年代(4)
本部(J)に異動しました。
当時は本来の本館が手狭になり、隣接するビルに間借りしていました。・・・新本館の準備は始まっていました。
私がここにいる間は残念ながら新本館に入る機会はありませんでしたが、その後完成して数年後別の本部に異動の際、入ることが出来ました。
さて、この本部では物凄い仕事が待ち構えていました。内容もさることながら退社時間も平均8~9時以降が普通でちょっと仕事が圧して来ると10時以降はざらでした。
勿論翌朝は普通に始まります。
若さって、凄いなーと当時を振り返ってしみじみと思います。何が凄いって、これだけ仕事をしていながらちょっと早目に仕事が終わると飲みに行くのですからね(;´Д`A ```。
その時の上司が酒が強いのなんのって私も多少の自信がありましたがとても太刀打ち出来ません。
この人は人格的にも大変尊敬出来る素晴らしい人でした。1、2度ならずそのままお宅へ上がり込んで更に飲み直して翌日は銀座のママさんならず、同伴?出勤したことも度々です(爆)。
そうそうママさんで思い出しました。この場所の女性社員は殆んど皆さん頭が良くて美人で奥さんにしたいような人ばかりでした。
何故かと言うとここは会社の一番と言って良いほど重要なポジションでありました。そんなところにどうして私が異動したのか、何て突っ込まないで下さいね。
さて、そんな中に一人好みのタイプの女性がいたのですが残念ながらモノの見事に空振りに終わりました。゜゜(´□`。)°゜。。
それがトラウマになったのかどうか分かりませんが、その後は女性にエネルギーを割くより更にオーディオに情熱を傾けるようになりました。・・・昔の良い思い出です。
話を元に戻します。
上司は新潟出身でしたので専ら日本酒です。私は相手により酒の種類を飲み分けていたことになります。
そして時には9時頃まで仕事をしていたら、電話が鳴り、誰かと思ったら、同時期に大蔵省に異動となった彼からの電話です。
用件は今日早く終わりそうなのでこれから飲みに行かないか、と言うのです。早いって、もう9時過ぎているよ、と言っても彼の出向先は残業が多いことで有名な大蔵省で9時程度は定刻退社並みの感覚なのです(;´Д`A ```。
私の本音は翌日のことを考えたら、帰って休みたいところですが、彼とのタイミングも中々合いませんから、分かった、とこうなるのですね( ^ω^ )。
で、タクシーで目的地へ合流して更に2~3軒梯子して午前様の帰宅となるのでした。
こんなことを書いているといつオーディオをやっているの、と突っ込まれそうですね。
変なモノで忙しい時って、寝る間も惜しんでやることが出来るのですね。今思えば大したことをやっている訳では毛頭ありませんが、仕事も趣味も一所懸命やっていると自己満足の世界に入っていると言う訳です。
この時の住所は未だ堀ノ内寮ですが、私もそろそろ定年の年齢になるのでこの際、オーディオももう少し、きちんと出来る環境が欲しいと思い、丸の内からだと東側に位置する葛飾に物件を見付けて購入を決めました。
ここからだと30分ちょっとなので今までの寮よりも若干近くなります。
それに何と言っても今は面影がなくなっていますがその当時はオーディオのメッカでもある秋葉原にも近いとあって私は即決したのです。動機が不純?(爆)。
お金はそれほど蓄えがありませんでしたが、自社の持ち株会で購入した株を売却する等して何とか用立てしました。10年もの間給与の拠出上限額一杯使って購入していたので思いの外助かりました。
マンションを購入したのは29歳の時です(と言っても限りなく30歳に近いです(爆)。)。
この時期に’72新星の如く現れた日本メーカー、ケンソニックのプリメイン第1号機(E-202)を買って楽しんでいました(その後’82に現在のアキュフェーズに社名変更)。
カートリッジ | アーム | プレーヤ | チューナー | デッキ |
V-15Ⅲ | WE-308 | SP-10 | ST-5130 | 3300X |
400DPRO | ||||
アンプ | SP | |||
E-202 | L-40 |
次回はこの辺からもう少し書いて1970年代を終わる予定です。
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