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2010年8月13日 (金)

音楽 オーディオ 人びと・・・備忘録

これは’09.8.6にアップしたモノの要約です。

「音楽 オーディオ 人びと」・・・中野英男著 ¥1,200.-’83 第3刷です。

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著者の中野英男は当時トリオの相談役でした。・・・若い人はご存じないと思いますが、トリオとはオーディオ・メーカーです。・・・トリオの名はこの3年後に終焉を迎えます。今はケンウッドと言います。チューナーで有名でしたね。

又、ここから巣立った春日兄弟によってアキュフェーズが誕生(’72)しました(設立時はケンソニックと言いました)。

今回はいつもと違って本の中で感銘を受けた部分を抜き書きし、紹介したいと思います。これは今から27年以上(初版発行)前の本ですから古いところもありますが、読んでいてへぇー、と納得させられる部分も沢山ありました。

私もこの時点ではこの趣味に嵌って10年位経った頃ですが、本の入手は恐らくもう少し後だったのではなかろうかと思います。その当時読んでいれば又違った方向へ進んでいたかも知れない、と言う意味で...。

と言うことで今回は目次とは関係なく進めます(一応本の中の順番通りですが...)。

長岡鉄男の本

私の書斎に彼の著書がある。オーディオの本ではない。機知・頓知・隠し芸に関する新刊書である。この本の執筆時から遡ること20年前、彼はラジオ・テレビのコミック・ライターであった。天才的、としか評しようのない創造力で幾つかの人気番組を作り上げておられた。

私にしてみれば今、オーディオに専念されておられるのが残念で仕方がないと...。その後の彼の行き方を見ると何となくその時の名残が投影されているようで面白い(・・・私の感想です)。

同じシステムでの音の違い

物理的条件の違い(空間・セッティング・空気の湿度・部屋の仕様:ライブ・デッド等々)もあるが最大の違いはそれを使う「人間の差」であろうと思った。

再生装置は持ち主の音がする。その人が音楽の中で、どの部分を大切にするのか、音楽の素材から何を聴き取ろうとするのか。無意識の内に線を繋ぎ、つまみを動かし、音を鳴らす。そう言う行為が知らず知らずの間にその人の全人格を反映する結果を現出するのである。

再生装置の音は必ずその人に似て来るだろう。

温故知新

池田圭はSPの開発においては徹底した模倣主義を勧めた。何が売れるか分りもしないで一生懸命紙を漉いたり、箱をいじったりするのは愚の骨頂である。何よりも世界で一番売れているSPと同じ音のする機械を作ってみよ、全てはそこから始まる。温故知新をこれほど明快に示す表現もないだろう。

EMTについて

中野氏がEMT-927DSTを買ったのが10年以上前だとか(単純計算して’70初め頃)。

斡旋者は瀬川冬樹であった。。

彼はこのプレーヤを使うようになって初めてレコードに関心が向くようになったと...。

で、この時期聴いていたレコードの80%が東西のドイツ・プレスとオランダ・プレスである。又この時期、自社でもレコードを作っていた時期でもあったが反省しきりだったようである。

この頃の彼の述懐:オーディオと音楽の道はそれほどまでに深く、かつ楽しくて底が深いものだと。

ある春の宵、瀬川氏が松見達夫博士*と言う医者を連れて来られた。目的はEMT-927DSTを買う切っ掛けになれば、との狙いである。

この時点で瀬川氏所有の930STは聴いておられる。その松見博士が現物をご覧になり、その音をお聴きになった途端、顔色が一変したそうである。

即座に購入の意思を固められた。しかもその後、アルコールが入り、メートルが上がるにつれ瀬川氏の持っている930STなんかゴミみたいなもんだ、の発言まで飛び出し、瀬川氏も買うことになったそうだ。

この時点ではその後のことは書かれていませんので買ったかどうかは分かりません(爆)。 ・・・当時250万円以上していたようです。・・・蛇足ですが当時からゴミ発言をされていた方がいたのですね(爆)。・・・当時私の給料で計算すると少なく見ても110ヶ月分位にはなる。ドッヒャー、ですね。

*・・・氏は写真家木村伊兵衛氏の主治医兼高弟であられた。木村氏に傾倒する余り、以後木村氏の健康管理全て無料で引き受け、最期まで見届けられた方である。

2機種のスペック状の差は極めて少ない。だがそこに醸し出される安定感と雰囲気の差は如何ともなし難いものがある。・・・「オーディオは数字ではない」と痛切に感じた、と。

この時、筆者の年齢は70歳を超えている。・・・矢張り60歳程度は未だゝ鼻垂れ小僧なのかもしれない。

その後トーン・アームを新型の997型に替えようと言うことになった。その結果は一段と再生音の質が向上したことは言うまでもないことであった。

その時、瀬川氏からこのプレーヤに内蔵されているイクォライザーを通して再生すると良いですよ、と囁きがあったのでした。

中野氏は購入した当時は半年程使用していたが、性能が思わしくない、との理由で取り除き他のプリのイクォライザー経由で使って来た経緯がある。

瀬川氏の折角の進言ということでやっと重い腰を上げて、10年間ほったらかし状態のイクォライザーに接続、音出しをした瞬間、その場に居合わせた人々の間に深い沈黙が支配したのである。あの瞬間、私の居間を支配した静けさはまさしく、本当の美しさに対する沈黙であった。

このことは装置の問題ではなく当時の耳、いや心がそれをとらえなかったのだとしか思えない。聴く耳を持たないと言うことは恐ろしいことだ。・・・未だ残されている空白の分野は無限にある-これがこの夜の結論である。

SP遍歴

凄まじいものだったようである。何とパラゴンは日本での導入第一号だとか。(’64年頃は未だ日本にもう1台あっただけとか...)アジアでは二番目、それがどうした、と言われれば、別にどうもしませんけれど。・・・この後パラゴンは江川三郎の許に嫁いだと...。今は何処へ。

更に彼の部屋には数機種のSPがあった。その内のヴァイタ・ヴォックスが旅立った後のSPの音は低域が素晴らしく爽やかな音で、吹き抜けるようになった。ヴァイタ・ヴォックスが巨大な共鳴箱として悪さをしていた訳です。・・・部屋に複数のSPを置く弊害がモロに出ていたようですね。

SPの問題:「耳」だけ良い人はいくらでもいます。・・・作り手に感性があり、音楽感の違いが製品作りに影響している。・・・スペックの問題だけではない。

カートリッジ作り

カートリッジを作る為には、カッターとカッター・ヘッドに関する知識が不可欠だ。日本人にはそれが決定的に欠けている。それなしに絶対に良いカートリッジは出来ない。

どう言うことかと言うとカッターとカッター・ヘッド、それにレコード制作のプロセスに重大な問題点が数ヶ所あり、欧州系のメーカーは、その欠陥をカートリッジ側でキャンセルしたり、巧妙に利用したりすることによって魅力ある音創りを行っている。

カートリッジの物理特性を良くして行くと、何となく音楽が詰らなくなる。

オーディオの追及の仕方

評論家やメーカーの方がテストに使うソースにはジャズが多い。ジャズによるテストはそれなりに重要な意味を持つが、逆にマッシヴな合奏の響きとか、連続音とかは分からない。今のやり方は部分部分に囚われて音楽にとって一番大切な要素であるハーモニーと響きの美しさを忘れてしまったようなオーディオの追及にはやりきれない思いがしてならない。・・・相沢昭八郎

オーディオの歴史は低音を聴きたいと言う願望の歴史なんです。本当の低音が響いた時の音楽の美しさを近頃の人は知らない。シューベルトの「ます」なんて、50Hz以下がきちんと出るようにした装置で聴いて初めて納得出来るんですよ。皆さんが聴いておられる「ます」はピアノ五重奏曲でなくてコンバスの抜けた「ピアノ四重奏」ですな。・・・池田圭(曲じゃぁない、と言っているのです)

日本人は生理的に「低音音痴」なのではあるまいか・・・これは当時の筆者の感想である。

日本人の低音音痴は赤ん坊の時教会に通って毎日曜日ミサのオルガンを聴いた体験を持たないからだ。・・・五味康祐

オーディオの原点

オーディオによる完全な原音再生なんて出来る訳がない。事実再生機器が介在する限り、100%忠実な音像の再現は不可能に決まっています。

ですが不可能と言うことは一生やっても終着点がないって言うこと、これは無限の可能性があるってことですから極め尽くせないものに挑戦するのが一番面白い・・・とはこの仕事を死ぬまで続けたい、と言った若い技術者の発言。

EMTで聴く音楽は全てドイツ・オーストリアの香りを帯びてしまう。感動的に聴こえますからEMTのポリシーは間違っていないでしょうがEMTの開発技術者はある特定のホール・特有のアコースティックを前提に音作りをしているように思われてなりません。

これがある意味自然のまま、と言うことでしょうか。無意識の内の原体験が製品作りに反映されている。・・・これではスペック重視の日本製は適わない。

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