終の棲家設計編~1990年
年が明けて、ある程度の構想を固めてから荻窪支店時代にお世話になった電気屋さんの関係者が勤めている設計事務所を紹介して貰いました。・・・建物設計契約は’90.1.27
これからが大変でした。
家のデザインとコストの関係です。
予算が少ない私は当初描いていたモノは直ぐに出来ないことを知らされ夢は無残にも一撃で打ち砕かれてしまいました。。゜゜(´□`。)°゜。
私自身の考えの再構築です。
私の目的はオーディオがメインの建物が前提なのでその他はハッキリ言ってどうでも良いのです。
土地が傾斜地なので谷側に対してずり落ちないような形状にすることが先ず第一でした。
即ち傾斜に対して踏ん張れる形状にすること。土台のコンクリート基礎も谷側は最低3m以上掘って基礎を立ち上げること(実際は立ち会っていないので分かりません!?)。
建坪率・容積率を考えると自ずと形状が決まって来ます。それをベースに大枠は決まりました。
未来への夢を託して矢を放つ...!?。
20年後、学べば学ぶほど益々夢は遠のく...。゚゚(´O`)°゚
手前の部屋がオーディオルームです。
次は中身の構造と言うか割り振りです。
最初は結構奇抜なデザインの提案もありましたが私は別荘としてではなく終の棲家として建てるので極めて普通の作りを希望しました。
そう言うやり取りが5~6回あって漸く決まりました。これでも予算上厳しいので今度は内装とか当初希望していた不要不急なモノはカットし、何とか範囲内に収めました(結局不要不急なモノは築後20年経っても不要でした。こんなモノですね(爆)。)。
さて建築業者の選定をしなければなりません。これは地元でお願いしないとコストが掛り過ぎますから、私は全く見知らぬ土地なのでここを管理している管理事務所に行って業者を紹介して貰いました。・・・実はこれが誤算でした。
結果的に私の希望していた金額では収まらず、更に仕様の変更をしても最終的には予算オーバーとなりました。・・・建築工事請負契約は’90.9.5
本来は自分で納得行く業者を時間を掛けてでも探してからやるべきですね。
全く急ぐ必要はなかったのですが、設計図も出来上がったことで早く完成後の姿を見たい気持ちがはやり過ぎてオーバー分は何とか吸収出来ると踏んで妥協してしまいました(;´Д`A ```。
設計士も遠いので管理監督は出来ないようなことを言い出したので何の為の設計監理費なのかと問い詰め、設計料を引き下げさせました。後は自分でマメに現地に行って写真を撮ったり大工さんたちと話をしながら設計通りに進んでいるかの管理です。
と言っても行けるのは土曜日だけです。建築途上の場所で寝泊まりする訳にも行かないので毎週、昼前に到着して食事をしながら様子を見たりするしかありません。
と言うことは毎週行っても一週間分進んでしまうのでハッキリ言えば細かいチェックは何も出来ません。まぁ、見たところで素人に分かる訳もないですが...。
要は作業中に顔を出し任せっきりにはしていないよ、と言う姿勢を見せ、牽制するのが精一杯です(;´д`)トホホ…。
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コメント
takeotさん、今晩は。
>模型を見て1度お邪魔したくなりました!
そう言って頂くだけで光栄です。
>実際の建物を見てみたいのとオーディオの音を聞いてみたいです!otoさんもEVAさんのところは楽しいサウンドですよ!と聞いておりますのでね
otoさんのところがデモルームのデモルームとすれば我が家はその前のプロトモデルと言ったところでしょうか。(爆)
>いつか実現したいと思います
現状はそれほどのことはありませんよ。DSPドライブを導入して納得が行けば是非お越し下さい。
投稿: EVA | 2011年2月20日 (日) 21時42分
EVAさん今晩は!
模型を見て1度お邪魔したくなりました!
実際の建物を見てみたいのとオーディオの音を聞いてみたいです!otoさんもEVAさんのところは楽しいサウンドですよ!と聞いておりますのでね
いつか実現したいと思います
投稿: takeot | 2011年2月20日 (日) 21時35分