終の棲家完成編~1991年
と言うことで年が開けた3月に完成(’91(平成3).3.3)して引き渡しを受けてからでしたので3月だったと思いますが、その搬入日熱海まで来たら(冬は私も雪を心配して伊豆スカイラインは利用しません)、雪が降っているではあーりませんか。それも結構積っています。私の車はノーマルタイヤなので熱海梅園の坂も上れない位です。
仕方がないので建築業者の社長に電話して管理組合から鍵を預かって搬入に立ち会ってくれとお願いしました(ここでは予備の鍵を預けてこう言う場合に備えることが出来ます)。
私は上手く行くことを願いながら、止むなく引き返しました。
後日行ってみたら、きちんとセットされており、現在までもその位置は1mmたりとも動かしていません。と言うか私には動かせません。改めて感謝しております。
しかし、初めて行って良く現地へ到着出来たなー、と私は寧ろそちらの方で感心しました。
恐らくモノがモノ*だけに人数もある程度行ったのでしょうし、当然トラックだと思いますので良く無事に到着してくれました。
*D:220cm、W(最大):120cm、W(最小):90cm、厚み:55mmです。
その後、我が家へ住所だけで何の目安もない中、連絡もなしで来られたのはたった一人だけです(この家の電気関係の設計をして頂いた電気屋さんです)。
その他ではずっと後年サーロジックの村田さんは電話でやり取りをして無事到着されました。
その他は大体、分かり易い場所まで私が出向いて引率する方法をとりました。それほどに迷路状態の道で、かつ当時は元よりその後もナビなど効かない場所なので結構大変です。
それにしても時間帯が悪ければ国一と伊豆スカイラインは濃霧が当たり前の道路で慣れるまでは結構ヒヤヒヤモノでした。特に伊豆スカイラインは急カーブの連続で時には横転している車もありました。
ガスっている時はセンターラインを頼りに走るしかなく、スピードは上げられません。
私は毎週通っている内にカーブの状態も頭に入って来たので割と苦にはなりませんでした。
たまに慣れなくて物凄く慎重に運転している車が前にいる時などは私も未だ若かったのでいらいらしたモノです(爆)。
今はそんなことはありません(爆)。と言うかこの道は全く走っていません。
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