終の棲家建築編~1990年(2)
私は現実にこんな傾斜地にコンクリートの基礎を作る現場を見ていないので今思うとどういう風にコンクリートを流し込んだのか見てみたかったなーと思わざるを得ません。
道路から建物の位置まで結構な距離があるので相当大掛かりな工事だったのではないか、と思います。
前回記事のように見た時は既に硬化していましたので、1週間と言う時間の差は大きいですね。勿論木枠は付いたままでしたが...。
そうそう最初に行った時に我が家(予定)の工事案内が立てられていたのに気が付いたのですが、我が家は突き当たりの道路脇になるのでその案内板は離れた幹線道路の目立つ場所に立てられていたので恥ずかしいから、撤去してくれとお願いしました(;´Д`A ```。
業者側はPRになるのでやっているのかも知れないが基礎工事が済めば大型車両が入り込んで突き当たりで車の態勢を立て直すことが出来ない訳でもないので、応じてくれました。
暫くは上モノが立ちあがる訳でもなさそうかな、と思っていたのですが翌週行ってみたら、既に骨組みは始まっていました。
こうなると予定通り私も毎週行って時には大工さんたちと話をしたりして意思の疎通を図りながら進捗状況を見守りました。
当初予定では年内に完成するようなことを言っていましたので正月には利用出来るかな、と思っていましたが、それは見事に思惑が外れました(爆)。
この時はバブル最終盤だったので建築関係も矢張りそれなりに忙しかったのかも。
まぁ、大幅なずれ込みにならなければ仕方がないか、と思って様子を見ていました。
外枠が出来て形も大分整って来た頃には大工さん一人でやっていましたから、これでは時間も掛るわい、と半ば諦めの境地です(´Д⊂グスン。
昨今でも建築途上のトラブルは結構ニュースになっていますが、私も矢張りそう言うことにはならないように内心願っていました。
そんな或る日、私は一升瓶をぶら下げて行きました。大工さんが酒好きだと聞いたからです。
そしたら、翌週何と大工さんからオーディオルーム(大工さんは何の部屋か知りませんが)の梁が設計上1本になっているが、ここは2本あった方が良いと思うがなー、と言うのです。
構造上は計算しているので大丈夫と思いますが、現場の感覚はそれ以上に大切だと思いました。
それでコストはこれ以上掛けられませんがと言ったら、大工さんが一言、金は要らないよ、と言うのです。
ひょっとして酒が効いたのかも...(爆)。
と言うことで2本になりました。見た目もこの方が安定感もありますし、良かったと思っています・・・ラッキー!(酒一本⇒梁一本に化けた(爆))。
材は米マツの無垢材で横幅6mちょっと、厚さ4寸、縦幅15寸と言ったところでしょうか。
遅々たる歩みでしたけれど何とか屋根も乗っかり、一応の雨対策も出来た頃、足場も悪い中、私は断って2階へ上らせて貰いました。
そう、富士山の確認です。見える、見える、嬉しいったらありゃしない(爆)。
その後建物らしくなった段階で私は手ぶらで行っても仕方がないのでマンションに溢れているLPを順次運び込むことにしました。
この時点ではドアは未だ付いていません。ですから誰でもその気があればいつでも侵入できます。・・・いらっしゃーい(爆)。
私はLPなど盗りに来るような好きモノはいないと踏んで、せっせと運び込みました。
ましてや迷路状態の山の道、たまたまの偶然でないと分かる訳もないですし...。
昼食も途中で買って来て家の中で食べられるようになったことは嬉しかったですね。
今思うとこう言う完成途上の時期が一番楽しかったのかも知れませんね。
因みに我が家の大黒柱はヒノキの無垢の丸太を背割りしてそのまま使用しています。高さ7m位?でしょうか。
この材はこの山で育ったモノを伐採して使って下さいました。地産地消そのモノです。
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