別荘の方との付き合い(1)~1991年~1997年
建物が完成して最小限の生活出来る範囲のモノをマンションから運んでいよいよ週末田舎暮らしのスタートです。
ここではベッドで寝たいと思い、これは東京の家具屋さんで購入してこちらまで時間指定で届けて貰いました。
その後は毎週来る度に車で運べる範囲のモノを運んで少しづつマンションの整理をし始めました。
この時点では私は最低60歳までは銀行に居残る積りでしたから未だ17年ある位の積りでした。
それがバブルが弾けて世の中の動きが変わって来たことで私の生活にも当然影響が出て来ました。
収入の頭打ち、なら未だ我慢出来るのですが、徐々にダウンし始めたのですね。そうなって来ると私も火の車になりますのでどこまで我慢出来るか我慢比べとなって行きました。
さてそれはもう少し先の話なので取り敢えず時系列的に進めて行きましょう。
当初オーディオルームは今では考えられない位大きくて広いなーと思ったモノでした。
その考え方が後々後悔することになるのですね。
この家を建てた時、少し離れたところに素敵な別荘がありました。
Fさんご夫婦は殆んど私と同様に毎週末利用されているようです。
後で分かったのですが、建築中も時々見に来られていたようです。
と言うことで私が週末利用するようになってから最初にお付き合いが始まった方々でもあります。
時にはBBQにお誘い頂いたり、家の中で食事をごちそうになったりととても楽しく付き合わせて頂きました。
Fさんご夫婦は百草園から来ておられました。
奥さまが平日先に車で来られて土曜日にご主人が函南駅まで電車で来られ迎えに行くパターンだったようです。
奥さまは元々喫茶店をやっておられたようなので食事関係はお手のモノです。
体がやや弱いと言うこともあって老後はこう言う生活をしようと思って私より何年か前に家を建てられたのでした。
しかし、楽しい関係は長く続きませんでした。
’93の4月の初め頃ご主人から電話があり、妻が今入院しています。多分助からないと思います。
一度で良いから見舞ってやってくれませんか、と言うお話でした。
新宿の病院でしたので次の土曜日に私はお見舞いに行きましたが、その時は既に面会出来る状態ではありませんでした。
結局その前(’92の終わり頃?)に別荘でお会いしたのが最後となりました。
詳しいことは分かりませんがご主人の話によると心臓にガンが出来ると言う珍しい病気だったそうです。本当に残念でなりません。お歳は49歳と私が後年銀行を退職した年齢です。本当に若過ぎる死です。
私がここへ移住してからだと思いますが、時折ご主人が一人で来られるようになりましたが、以前のような元気はありません。
話を伺うと近々ここを売却する予定とのこと。私もある程度予感はしていましたが、残念でしたね。’99.4に売却されました。
今日は奇しくも18年前に奥さまが天に召された日です(合掌)。
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