オーディオ中級編(下)~1990年代(1)
家の完成後先ずやったのはマンションの機材の一部を運び込むことです。
ベース(台)やらアンプやら色々と大き目なモノがありましたので、知り合いの車の修理屋の社長に連絡してミニ引っ越しのお手伝いをお願いしました。
当日はトラックに乗ってマンションへ来られました。私はその前に自分の車に乗せられるモノは乗せて準備をして後の大き目なモノをトラックに積んで出発しました(夜逃げではありません。為念)。
ルートは事前に打ち合わせをして小田原のターンパイクまではそれぞれマイペースで走りました。
首都高や東名を後続のトラックを気にしながら走るのは危険ですのでそうしました。
勿論私の車の方が早く付いたので到着まで待ちました。暫し休憩した後、ターンパイク経由我が家までを先導したのです。ここはそれほど混む訳はないので見失うこともなく付かず離れずで無事に到着しました。
荷物を運んで休憩した時に社長も昔、親父さんが熱海の近くに別荘を持っていたことを話してくれました。良く釣りに行ったりもしたそうです。
何だかんだで私は知り合いの方に助けられながら何とか節目節目をクリヤー出来ました。
社長さん、その節は有難うございました。
さて建物が完成してこの家で聴く装置として選んだのが電音のギアドライブとそれにセットするWEー9A(ステレオ改)でした。
このプレーヤは重量100kgと言われており、エルタスの社長夫婦が運んで来てくれました。
その時に私は階段(当時は丸太階段です)を上がりながら運ぶのには人海戦術しかないと思い、こちらで庭の造作やらをやって頂いていた土木のSさんにお願いして人を集めて貰いました。
全員若い衆だと言っていましたので安心していたのですが、当日来られた顔ぶれを見ると全員私より年長の感じです。この世界では50歳程度は若いのだと妙な感心をしたモノです(爆)。
でも6人位で運ぶと一人当たりの重量はそれほどでもなくなりますが形状が四角っぽいのでそんなに沢山の人が手を入れることも出来ません。角角を考えて結局4人で運んで貰ったのではないでしょうか。
あっと言う間に終わり部屋の中まで運んで所定の位置にセットして貰って終了です。ご苦労様でした。
後はエルタスの社長の調整です。
その他のラインナップが適当なので終了後も大した音は聴かれませんでしたがセットは出来たので目出度しめでたしと言うところでしょうか。
この日は奥さんの鉄板焼きでお昼を頂きました。我が家のテーブルの上で調理したのはこれが最初で最後です(爆)。
このプレーヤはアームが2台セット出来るのでもう一つはオルトフォンのアームにソノボックスをセットしました。
昇圧トランスはWEのトランスを使用したモノですが結局音色が合わず仕舞いで放り投げてしまいました(その後WEのトランスは放出)。
別荘に相応しいと思って買ったのですが結局オブジェとなってしまいました。高い買い物でした(;´Д`A ```(今も粗大ゴミながら一角を占拠し存在を誇示しています)。
と言うことで私のアナログ生活はマンションを引き払うまでとなります。
この年から東京と伊豆を往復する週末田舎暮らしがスタートします(当時は若かったので出来たけれど今だったらとても無理です)。
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