オーディオ中級編(下)~2006~出会いと別れ~
この年はHPを通じて色々な方たちと出会う時期にもなりました。
5月には茨城のタビさんと言う方とコンタクト取りあって近隣以外では初めて訪問して下さった方です。
当日は車でお越しになられました。普段はバイクで旅をするのが好きだとも言っておられましたが、やや遠いので安全策として車にされたようです。
遠路遥々お越し頂いたその日、暫く聴いて頂いた時、突然電話が鳴りました。
電話の主は兄です。一瞬不吉な予感がしました。
その予感は的中しました。母の死を連絡して来たのです。5/5のことでした。
勿論音楽を聴いている場合ではないので、タビさんに事情を話し、急遽、お開きにさせて頂きました。その節は誠に失礼をしました。
私は彼を見送ってその後、支度をして電車に乗ったのでした。
その後、兄は翌年の2月に亡くなりました。思えば’97.9に父を亡くしてから10年間に両親、兄の3人と別れることとなったのです。
残っているのは姉と私と弟の3人となりました。いつかは別れる日が来るのは致し方のないことですが、何とも寂しいことですね。
さて、この年の9月頃にはタビさんに紹介して頂いたアイガーさんを訪問させて頂きました。
その時初めてLINNのLP12のアナログシステムを聴かせて頂いたのです。
本当はLINNのCDPとアンプにB&Wのシステムだけを聴く予定だったのですが、アイガーさんがアナログも良いですよ、と終わりの小1時間聴かせて頂いたのが運の付きと言いましょうか、私はLP12に一目惚れしてしまったのです。
私がアナログとさよならしてからもう随分日が経っています。少なくともここへ引っ越してからは満足に聴いていませんので約10年が経過しています。
その前も東京~伊豆の往復で満足なオーディオライフそのモノを楽しんでいませんので聴かせて頂いたその音はかなり新鮮かつ衝撃的でした。
アナログでこんな音が聴かれるのか、と言う新たな発見でした。
それが頭にこびり付いてしまい、後でアイガーさんに販売店を紹介して頂くことになったのです。
そして、紹介して頂いたのが今はなきサウンドハウスの厚木店長(厚木さんは生きていますよ(爆)。)です。
当時、HPを通じて不要品の処分を促進していましてタイミング良く年内一杯で結構な金額となりました。
中でも大きく貢献してくれたのはその昔VTT-1のベースとして購入し、その後粗大ゴミと化して、処分に困っていた防振台が開設していた私のHP(今は閉鎖)が会社の関係者の目にとまり、わざわざメールで連絡して来られたのです。
内容は「ご迷惑をお掛けしているようで申し訳ございません」ついてはご購入額でお引き取りさせて頂けないでしょうか、と言うモノでした。
それを見た私はェエー、こんなことってあるの、どんな製品であれ、買った後のことまで気に掛けてフォローしているなんて聞いたことがない、私は正直そう思いました。
私は当時アナログについては全く復活させり積りはなかったのでそう言うベースも要らないので折角のお申し出に対し快く応じさせて頂きました(正直、捨てないで本当に良かったと思いました)。
後日社長自らお供を一人連れて伊豆の山奥まで来られました。
お話をした後、手際良く分解されて53段の階段を運ばれて引き取り作業は終了しました。
普通粗大ゴミを引き取って貰ってもコストが掛るこの時代、買った金額が戻って来るなんてまさしく「棚からぼた餅」とはこのことですね。
処分の内これが大きく貢献したことは言うまでもありません。
その節は有難うございました。なお、この会社は設立後着実に業績を伸ばしておられ大きく成長されていました。私がお会いした社長は設立当時と同じお名前でした。
長い間会社を牽引して来られたのですね。本業はオーディオではありません。オーディオは本業の技術を応用したモノです。
こう言う会社があることを知って未だゝ日本も捨てたものではない、と思いました。
で、その数ヶ月後タイミング良くLP12と出会い、これらを元手にLP12を入手すべしと言う気持ちが一段と強くなったのでした。
で、交渉して年明けの1月に目出度く御輿入れの運びとなったのです(爆)。
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