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2012年5月12日 (土)

我がオーディオのエポックメイキングな出来ごと

先日aitlabo DAC EMOCIONの導入で現時点での完成形・最終形となりましたので我がプアオーディオの変遷と言いますかその時々に於いてのエポックメイキングな出来ごとを備忘録として纏めてみました。

1.オーディオルームの完成(1991.3)

2.LVパネルetcの導入(2003~)

3.SWの導入(2004)

4.LP12フルシステムの導入(2007.1)

5.N2ケーブルの導入(2007.5~)

6.分電盤の完成(2008.4(100V)、7(200V))

7.aitlabo DAC EMOCIONの導入(2012.4)

ザックリとこんなところでしょうか。

尤もこれだけでは音は出ませんが大きな要因と言うことで↑に尽きます。

現在の出発点となった1.オーディオルームの完成が全ての始まりであり、同時に悩みの種となりました。

過去の経験から思いの丈を詰め込んだオリジナル設計のオーディオルームです。

上手く行って欲しいと願うのはやった人なら誰しもそうでしょう。

結果としては傾斜天井なくしては今の我が家のオーディオはないし、次へのステップも容易に踏み出すことが出来なかったと思います。

問題は悩みの種が約12年間続いたことです(;´Д`A ``` 。

とは言えこの期間の内前半約6年半はまさに暗中模索すると言うより殆んど↓の都合もあって別のことをやっていました。

それは’97.10に完全移住するまでは東京~伊豆の往復と言う週末田舎暮らしそのモノを楽しむことだったので時間的な制約もあり専ら趣味のターゲットは木工と庭弄りだったのです。

音楽は夜少し聴くだけで良い、と言うことで。

で、定住後は長い浪人生活を送る羽目になり、資金も底を尽き掛けたのでそんな気持ちは毛頭持てずやっとこさ再・再就職をして生活が少し安定して来て漸くオーディオ熱が再燃し、先ず部屋を何とかしようと2.LVパネルetcの導入となったのです。

言い換えればもっと早い段階で再燃していたら未だLVパネルが存在する前だったかも知れず、そうなると今の我がオーディオはあり得ない訳でこれはタイミングまで調整してくれた天の配剤と感謝しています(失業も全てポジティブに解釈するノー天気さ)。

だから深刻に悩んでいたと言う程ではなかったのです。単にやりようがなかっただけ。

傾斜天井の利点もLVパネルを導入するまでは器全体の△要素の方が多くて良く分かりませんでしたがチューニングが進むにつれてその形状の効能がハッキリして来ました。

それまではただでかい内容積だけの器で煮ても焼いても食えない状態だった我がオーディオルームもこれで一変した・・・当初逸品館経由導入。

この導入後、3.SWの導入(1台目)を実施。・・・同上

この後漸く今の我が家のオーディオの根幹となる音へ導いて下さる切っ掛けを作って頂いたサーロジックの村田さんと出逢うのです。

私にとって村田さんはまさに音の伝道師です。

この時点でも傾斜天井は未だこの方が良いかな、と言った程度で確信を持てたと言うには程遠い感じでした。

傾斜天井でなくては駄目だと分かったのはず~っと後のことです(結果オーライ)。

それからLVパネルの増設とSWの2台目の導入をしました。以来お付き合いが続いています。

この時以来オーディオの方向性は不変です。

現在の無償ルームチューンのようなパネルの設定や撤去等々のデモは一切ありませんでした。

私が既に自己流でやった状態を序の訪問時にお聴き頂いて事後報告的な形で無理やり?OKを貰っていました(これでいいんじゃないの、と言った具合です(;´Д`A ```)。

訪問頂いた回数(チョコッと訪問を含む)は数知れず、その都度的確なアドバイスを頂きそれを活かすようにしました。

暫くはこの状態+α程度が続きました。

こちらに来てからはCDのみの演奏を楽しんでいました。

もうアナログはいいよ、と言うことで...。

私はHP(ブログ開設はズ~っと後)を開設したことが切っ掛けで当時盛んにオフ会なるモノをやるようになりそんなある日ある場所で衝撃の音に出会ったのです。

それが切っ掛けとなって約半年後4.LP12フルシステムの導入(2007.1)に繋がったのです。

実に十数年振りのアナログ回帰でマンション時代とは違ったアナログの深い味わいを知ったが故に恐らく(今回の)最終着地と言うべき7.aitlabo DAC EMOCIONの導入に繋がったのだと思います。

仮にLP12を知らずして他のアナログシステムでは私はここまで拘らなかったかも知れません。

それ位私にとってはLP12はかけがえのないアナログシステムなのです。

又単にCDだけを聴き続けていたら対極のアナログの音との比較も出来ない訳で違いも良く理解出来なかったことと思います。

その意味でもこの回帰はDAC選定に当たっては決して無駄でも回り道でもありませんでした(LPも沢山ありますし)。

その次に5.N2ケーブルの導入となったのです。

先ず電源ケーブルから始まりその後ラインへと発展。

根岸さんのケーブルに魅了された私は最上流の分電盤から是非お願いしたいと言う思いが強くなり意を決してお願いしたのです。

理由はケーブル(=音色)を統一したいと言うことです。

N2に限らず、各種メーカーのケーブルを色々使った場合、音色の統一感は絶対得られません。

ただ確率は少ないかも知れませんがその方がバランスが合う場合もあるかも知れません。これは各オーナーが各自の器量で決めれば良いことです。

ご愛用の皆さんは既にご存知でしょうがN2ケーブルはハイエンド品のような高価だけが売りの製品ではありません、安価な部品で作った最高の中味が売りの製品なのです。

私は貧乏なので高価なモノで統一することなど端から考えませんでした。

「安価な部品で作った最高の中味」それこそがN2にした最大の理由です。

当時東京近郊の仕事しか引き受けないと言う珍しく守備範囲の狭い方でした。

理由はオーディオは本業ではなくその為の遠出は本業に支障を来たす為出来ないと言うことで...。

長い交渉期間を経て漸く重い腰を上げて頂き約半年後6.分電盤の完成へと繋がって行ったのです。

そしてあろうことか100V分電盤が完成したその日、音を聴いた根岸さんがそっと囁くのです。200Vも良いですよ、と(たった今10OVが完成したばかりなのに...)。

製作者として音を聴いた瞬間、それほど強くインパクトを感じるモノがあったと言うことでしょうか。

私にはその辺のことは分かりませんが良くなったことは分かりましたよ。

今度はあの根岸さんが自ら切り出したのでこの機会を逃す手はないと貧乏でお金がない私も決断するのに時間は掛りませんでした。

その場で是非やろうと言うことになったのです。早っ!

と言うことで立て続けに200Vまで行ってしまったのです(今となってはやっておいて良かった、のひと言です)。

そして止めが7.aitlabo DAC EMOCIONの導入です。

以上書けば簡単ですがここまででざっと21年要しました(長い中抜きがありましたが...)。

さて

根岸さんと言えば我が家が切っ掛けかどうかは分かりませんがその後遠方のお仕事も増えた(る)ようで結構なことです(北海道のotoさん始め何件か予定があるようです)。

当時は伊豆が最遠地だと言っておられたのでまさに隔世の感です。

7.aitlabo DAC EMOCIONについては分かる範囲で沢山記事を書きましたが機器類の中で音の変貌度で言うとそれ程激変する実感が湧き難いポジションだと思いますが我が家では瞬間にしてその違いが分かる程衝撃的でした。

プアな我が家の環境下でもその本領を如何なく発揮してくれ今では上流から最下流までの流れの中で最も重要な役目をしっかりと担ってくれ、なくてはならない存在となっています。

私のオーディオ計画はこれで終わりではないですがこの先は夢で終わる可能性の方が高いのでその意味で現状を完成形・最終形とします(言い換えれば一丁上がり)。

自己評価は大甘ですがやっと70点に到達したと評価しました。つまり我が家での最高点です。

我が家は至らないところが多過ぎてこれ以上は器の解体・新築しかなく実現は無理なので...。

欲を言えばキリがない、己を知る上でもこの程度が丁度良いのでしょう(+αがあれば御の字と言うことにしたいと思います...)。

後はひたすら音楽を楽しむだけです。

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