伊豆爺徘徊記(8.15)
昨夜のオーディオルームは25℃台でした。
寝室は26℃台です。
この気温なら大したことはないので最初から雨戸を閉めて窓を半開にしておきました。
寝る時は25℃台でした。
今朝の寝室は25℃台でした。熱帯夜は5日連続となりました。
そしてヒグラシの鳴き声は以前と同様目覚ましと略同時に盛大に聞えて来ました。
オーディオルームは昨日と同じ24℃台でした。
天気 | 気温 | 湿度 | 富士山 | |
AM6:35 | 曇り | 24.8 | 65 | X |
PM3:35 | 曇り | 25.5 | 70 | X |
1.エコロ爺散歩
今日も昨日同様怪しい天気ですが散歩の中止が2日続くと嫌なので傘を持って出掛けました。
すると予想通りと言うかモノの10分も歩かない内に霧雨が先ず降って来ました。
この程度ならと思って歩いていると段々強くなって来たので急遽コースをショートカットすることにしました。
普段スル―している道を歩いて帰宅の途へ。
帰る頃には雨も上がって来ましたが湿気が多くて汗はびっしょり。
その時ふと車庫の屋根の下を見ると蜂の巣が出来ていました。多分普通の足長蜂でしょう。
折を見て管理組合に連絡して除去して貰おう。
着替えて暫し休息です。
9時過ぎ位には空も少し明るくなったかなと思いきや雨は降っている。
今日一日はこんな調子でしょうか。
2.庭の整理
一時止んでいた雨も又降って来たので整理は中止です。
整理と言うことに掛けて今日は終戦の日でもあるので幼少時のことを思い出してみます。
私が生まれたのは戦後3年目の23年です。
本当に食うモノがなくて今では考えられない位体も細かったし、弱かった。(弱いのは今も一緒か...)
モノがなくて遊びの対象も山や川で町単位に分かれて戦ごっこなどをした。チャンバラごっこで出血の大怪我をしたこともある。良い思い出です。こんなことで昔は一々親は出て来ない。
(人と人との)横の繋がりがあったので心は決して貧しくはなかった。
貧しくて家にTVがない時代が長く続いたけれど小学生のころは良く兄弟揃って近所の友達の家に行って見せて貰った記憶があります。(力道山、ルー・テーズ、カール・ゴッチ、漫画はポパイ、懐かしいな~、その頃より熱狂的なプロレスファンの時代が結構長く続きました)
自宅にTVが入ったのは相当後なので私は余りTVに依存した生活はしていないのでそれが今に繋がっています。(今でも殆んど見ない)
そう言う意味では今では考えられない近所付き合いが普通に行われていた。
時代には逆らえないけれど今の核家族化(言われて久しい)は本当に寂しいことですね。
ましてや人口もハッキリと減少傾向を示していると言うことなので国は手を拱いていては駄目で今すぐにでもハッキリした指針の元、国作り・人作りをして行かなければ世代が代わる頃には悲惨な結果が待っているのは確実です。
リーダーシップのとれる人材は出て来ないのでしょうか。
以上整理ではなくボヤキを終わります...。
3時過ぎ頃より漸く雨も上がったようで空も若干明るくなって来たような気がします。
未だ油断は出来ませんが...。
今日も早目に音楽鑑賞スタートです。
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