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2012年9月20日 (木)

セッティングの追い込みって何??

最近に限った話ではないのですが

大昔から今に至るまで良く話題になるのがセッティングの追い込み(詰めとも言う)の話です。

私は元来ずぼらなのでこの件については結構アバウトに対応しています。

理由はそこまでやる前提として全てシンメトリックなの、と言うことです。

1.環境(部屋)は?

2.システム・棚等置いてあるモノは?

3.エアコン等設置の場所は?

4.窓(カーテン)の位置・大きさは?

5.椅子等の位置やシートの素材は?

6.システムから出ているケーブルは?

等々単に平面的な問題ではなく空間や材質を加味すれば環境(部屋)全体でのセッティングの追い込みなんて出来ませんし、神経質にmm単位の追い込みなんてやっている人の達成感だけで何の意味もありません。

つまりやった人のマスターベーションに過ぎません。

とどのつまりルームチューンのホンの数%にも見たない効果(もorしか)ないことを幾らmm単位でやっても意味があるとは思えませんがやった人は一様にあると言われる。何でだろう~、何でだろう~ね。

何がどう違うのか全く分かりませんが...(≧m≦)。

私が疑問に思うのは上記の6点(未だあるかも)を含め環境全てを前提にしたmm単位での追い込み調整と言うことは前述のように不可能です。

精々左右SPの中心を基点にした調整程度を追い込みと言っているのでしょう。

放射された音が部屋中を反射しまくってリスポジへ到達する音にその程度の追い込みでどれ程の効果があるのかチョッと考えただけでも全く意味のないことが良く分かります。

神経質な人がリスポジから見て設置等のバランスが左右一方へ偏っているとかの見た目上の判断でしたら理解出来ます。

だとしてもcm単位でも見た目上全く分かりませんしそもそも音に何の問題も発生しません。

発生するとしたらそれ以上のチューニングと言うレベルでの対策が全く出来ていないからでしょう。

チューニングは環境全体が前提となります。

それに対しセッティングはリスポジ前の僅かなエリアの話です。そんな狭いエリアのことに拘るのは何なのでしょうね(セッティング自体を無意味とは言っていません、他にやること(優先度の高いこと)って一杯あるでしょうと言っているだけです)。

こんな本末転倒の逆転した対策こそが枝葉末節の木を見て森を見ずとなるのです。

私は大雑把なので見た目アンバランスでなければそれでセッティングとやらは終わりです。

そもそも我が家は部屋そのモノが完全なシンメトリーになっていないし↑の諸条件を考えたらそんな無駄なことに時間を割く余裕はありません。

それ以上にチューニングが大切だと思っていますから...(勿論私ごときのチューニングは未だゝのレベルですが...)。

最近になっても時々目にする不思議な「mm単位で追い込む」等々が大手を振って闊歩しているのを見て敢えて問題提起しました。

真摯な議論であればコメント大いに歓迎しますがそうでないと判断したコメントは公開しませんので予めご了承下さい。

因みに私はチューニングの状態に満足すれば数年経ってもそのままです。

その間DACが変わり、アンプが変わり、ケーブルが変わっても全く弄りません。変化の中身が違うのでチューニングを弄る必要がないからです。

今の時点で言えば「なんちゃって和心」を最初に置いた状態のままで楽しんでいます。

後は本物の和心の試聴をするだけです。それによって変える必要があればその時判断すれば良い。

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