終活について
先日朝の番組で採り上げていた。
その日はちょうど中村勘三郎さんの訃報が流れた日でもあった。
最近著名人の若過ぎる死が目立つ(長生きの方もおられるけれど...)。
世代に大きく関わっているのかも知れない。つまりどう言う時代に若い時(成長期)を過ごしたかでしょうか。
これは専門家の方の分析に任せるとしたい。
そして私は標題の終活については何も考えていない。
考えてもどうしようもないと思っているから。
家の中で死んだ場合は発見まで多少の日数を要するでしょう。所謂孤独死ですから。
外で死んだ場合の方が発見とその後の対応は早いかも...。
どちらにしても野垂れ死にのようなモノ。
そのような前提に立てば私は死後の扱いについてあれこれ考えるよりそこに至る今現在を目一杯生き切ることを考えたい。
生あるモノは全て死にます。個々の長短は別として...。
私は常々死と向き合って今どう生きるべきかを考えています(おっかなびっくりですが...)。
今の最大関心事は好きな趣味をどこまで昇華出来るか。
それに執着することで生命力も増すだろうと勝手に判断しています。
執着心は時として憚れますが枯れて来た年代でこそ必要なことだと思います。
何にも執着せず、のんべんだらりと生きていてもそれこそ時間の無駄遣い、ならぬお金の無駄遣いです。
折角の人生何ごともどこまでやっても未完成で完成などあり得ませんが人はみなその達成過程に挑戦することである種の感慨、つまり生き甲斐が得られる訳です。
生き甲斐がなくなればホンと無駄な存在でしかありません。
そうならないように死ぬ直前まで体が痛くても私は挑戦し続けます。
終活についての考え方は人様々で良いと思いますがくれぐれもその類のビジネスにまんまと引っ掛からないようにしたいモノです。
自分の考えで利用する場合は別として...。
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