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2014年2月11日 (火)

音楽を聴く環境に付いて

音楽を鑑賞するのに生音(コンサート等に行く)と再生音を楽しむ方法があります。

私は専ら再生音楽鑑賞派です。

若い頃は少ない経験ですが生も楽しみましたが、これは会場そのものや聴く席で大いにその鑑賞レベルが影響されるので今では好きな音楽をいつでもべストポジションで聴くことが出来る再生音楽鑑賞派になりました(爆)。

勿論現在も私を含め多くの方が略満足出来る環境下で楽しめていると言うことにはなっていないと思います。

さてこれからが本題ですがこのような状態なのに今でもオーディオシステムばかりにうつつを抜かしているケース(失礼)が多いのは何故でしょうか。

生の好きな方にも

1.好きなアーティストの演奏だから聴きに行く。

2.音の良い会場だから聴きに行く。

3.加えて良い楽器を使用しているから聴きに行く(このケースは少ないと思いますが)。

等々の理由があると思います。

上記の1.や3.は再生音楽派にも共通している部分(3.は楽器をシステムに置き換えて)は多いと思いますが、会場については如何でしょうか。

生を聴きに行く人はやはり会場ごと最終的に仕上げた演奏者たちの技と魂が作り出す音楽の魅力を総合的に楽しむ為に足を運んでいるのだと思います。

それに比べるとオーディオマニアと言う人たちの中には会場(=自宅の環境)のことは最初から諦めて機器ばかりに依存している人が何と多いことでしょうか。

機器への投資額如何にもよりますが1000万円以上も掛けるのであればもうチョッと辛抱して将来的にそう言う環境を手にして楽しむと言う考え方にどうして行き着かないのかと私は常々思ってしまいます。

私の拙い経験でも環境が一番大事で残りのことは極論すればどうにでもなるレベルであるとさえ思っています(やることをやった上での判断ですが残念ながら当時の判断は今考えると未だゝのレベルでした)。

勿論余裕がある人は全てに一流乃至はお好みの機器を集めて楽しむのも良いでしょう。

ただ集めたからと言って気に入るように演奏してくれるかどうかは分かりません、と言うよりこんな筈じゃなかったのに、と掛けたコストと出て来る音にギャップを感じる方が多いとさえ思います。

私は高級機と言われるモノは使ったことがないので正確には分かりかねますが多分に普及帯の製品よりメーカーの個性がより強く発揮されている為トータル的な調教は却って難しいのではないかと思います。

程度の差こそあれ、これは全般的に言えることですから、結局は自身の腕(調教)次第と言うことでしょうか...。

今更ですがコンサートに行かれる方の記事では結構な頻度でホール(環境)のことをあれこれ言われているのですがそう言う人に限ってご自宅は結構貧相で機器にばかり投資されているような気がしましたからチョッと書いてみました(勿論そうでない方もおられますがね)。

なんでもそうですが土台が大事なのは言うまでもありません。

ここで言う土台とはまさに聴く環境のことです。

そこに置く機材などはその後で考えれば良いことです、もちろん並行的にやって来られた愛機があるのでしたら将来の環境下に設置して奏でられる音楽を夢見るのも良いでしょうね。

言いたいことはバランスと言うことを念頭に置いて楽しむ方が理に叶っているのではないでしょうか、と言うことです。

何となく自分のモノには批判するようなことは言わない、言わせない(最初に○○だからと言って防衛線を張っているケースが多い)けれど他人のモノには遠慮なく批判すると言うチョッと自分勝手な都合の良い考え方をする人が目に余る今日この頃です(汗)。

お粗末さまでした。

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