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2017年6月 9日 (金)

オーディオ的快感よりも音楽的感動を!!の巻

表題はまさに字の如くです。

私もかつては長きに亘ってオーディオ的快感を求めていました(特にマンション時代)。

アナログ全盛時代には入口から出口まで略全ての機器を対象に改造しまくって市販にはない自分の世界を築くよう頑張っていたモノです・・・エセ・オンリーワンの世界(汗)。

でもある時これはやはり偏っているなと気付きそれ以降は市販品で纏めるように考えそのものをシフトしました。

それでも低音がどうの、高音がどうの何て言っている内は未だゞオーディオ的快感を求めている証拠ですね。

60歳を過ぎて自分の体の不具合が進むにつれてこう言ったことをするにも限界が生じて来たことが結果として幸いしたのかオーディオと言う趣味はそれをありのまま利用することで「音楽的感動」が得られるか否かが最も大切なことだと思うようになりました(種々雑多なアクセサリー類に頼らない(除くルームチューグニングパネル等は別)。

幸いにも専用状態の部屋もあるし(勿論不満を言えばキリがないが)、今まで空間容量に対しての唯一の不満はただひとつSPに対してでした。

これも今は絶好調ではないので先行き大型のSPを導入することで漸く空間容量に見合った相応しいSPで音楽が楽しめる予定です。

全てが環境に相応しい能力のあるシステム(金額は関係ない)で構築出来れば普通に音楽を鑑賞しそして感動が得られればそれがベストだ。

感動が得られる為に実施したことは次の通り。

1.オーディオ空間(独自アイデアを設計に反映したモノ)の建設

特色①・・・我が家は巨大レゾネータ環境であること。

通常の家では2階で階下の音は聴けませんので音の浸透・到達度合いは恐らく理解出来ない(想像すら出来ない)でしょう。

でも我が家はそれが出来ます。

そう2階で階下の音楽が聴けるのでどの程度音が届くか分かります。・・・言い換えれば直方体で閉ざされた通常のオーディオルームでは本来この有り余って逃げ場のない不要なサウンドのエネルギーが最終的には悪さを発揮します(つまり空間に充満し結果的に圧迫されることになります(音量にもよるが空間が小さければ小さいほど影響大))。・・・巨大レゾネータ環境は(逃げ場・道があるから)実に音抜けが良いのです。

特色②・・・床下が深い(フロント側4~5m程度あり)ので音にタメが出来、現状の小さいウーファーでも信じられない位低音が沈み込んで良く出る・・・今後38cmになったらどうなるのか楽しみである)。

巷でも低音が沈み込むと良く表現されるが多くの場合イメージ上の話であるが我が家の場合はホンとまさに深く沈み込むのである(名付けて地の利サウンドです)。

床下スペースに余裕がないと低音の反射が速くきつくタイトになり易い・・・2階建ての2階の部屋と同じじゃないか言う方もおられるかも知れませんが勘違いして貰っては困ります、全然違います。

それは床下の(支)柱の数が全然違うからです。2階建ての場合は下にも生活空間(部屋)があるので普通は柱は壁に沿ってあるだけなので要するに太鼓状態です(音は極論するとボワ~ンと響く)。

我が家は床下から地面(地球)までは(支)柱で支えているので音はそれを伝って逃げるのです・・・ここもレゾネータの役目を果たしています(サーロジックのSWではないけれど急峻にカットされメインSPの低域と被らないような感じで不要な音は(極論すると)ストンと逃げる)。

古い建築中の写真を見て分かったことは

①大引が半間間隔

②根太が1尺間隔

③支柱が2尺間隔でした・・・計算上支柱は約90本となります・・・普通仕様でしょうか。

2.電源の整備(100V・200V別電源システムの構築)

特色・・・分電盤のベースはカーボンパネルを使用したことで音の減衰(引き)が速い。

3.ルーム・チューニング(枝葉末節・ニッチなチューニングでなく根幹的なモノ)

等です。

ソフトも量的なことを言えば(上を見れば)キリがないけれど現時点でも聴きたいモノはLPで800枚、CDで600枚位はある(総数は3、400枚以上の中から)ので質・量とも先ずゞ良い線だと思っている。

ソフトの条件は特別なモノではなく普通に販売されているモノに限る。

特別に凝って作ったモノは飽きるのも早い(試聴用のソフトなんぞまさにその類である)。

と言うことで今は普通に音楽を聴くだけです。

日々8時間聴いても聴き疲れなどしない。

言うまでもなくどこか突出した音があればこれだけの(延べ)時間聴けば必ず聴き疲れする。

まぁ、私はO型で大雑把な性格が幸いしたのか微に入り細に入りの工作・工夫何てのは性に合わないのです。

気楽に音楽が鑑賞出来る環境が自分にとって一番でしょう(そもそもオーディオ趣味と言うのは自分の為のモノであって他人に聴いて貰う為のモノではないのでね)。

この辺を勘違いしてオフ会と称してやたら頻繁に跋扈している輩が非常に多いのも何だかな~と思っている(そんな時間があったら先ず自分ちの音楽を聴いて何が足りないのか把握しろ、と言いたい)。

結果次第ですが私の場合は自分で対処出来なければしかるべき専門家(分野別に村田さん、根岸さん、厚木さんの3人)に相談して解決するのが一番手っ取り早くて効果大・・・レベルの低いド素人同士で交流し合っても殆どの場合(レベルの向上等には)何の役にも立たない、と言うより寧ろ訳が分からなくなって路頭に迷うだけ・・・言い換えれば疑心暗鬼に陥るだけ)。

まぁ、思うにオフ会でお互いに色々(高級機器・含む自作品等)自慢し合いたいのでしょうね。

又何をやっても音が変わるのは事実だが際限なくやっている姿を見るに付け普遍性があるとはとても思えない。

人に教えたり、自慢するのであれば少なくとも数年位はその状態が持続する内容であって欲しいモノだ。

日々変化し続ける弄りは百害あって一利なし(良くなった、良くなったとばかり盲信・吹聴し負のことには全く気が付かないだけであって想像するに悪くしているケースが多いのではないか)・・・良くてトレードオフの繰返しでしょう。

やるなら地に足の着いた永続性のある大元のチューニングを先ずやって貰いたいモノだ。

今まで色々他人宅でも聴かせて頂いて来ましたが(良し悪し・好みは別にして)根本的にどうしてこんなに音の佇まいが違うのだろうかと言う謎が遅まきながらやっと分かった次第です。

それは構造が全く違うからでした。

つまり音楽鑑賞のターニングポイントは環境次第と言うことで機器類は二の次・三の次です。

構造が普通である以上サウンド傾向は勿論普通で結構です・・・強いて言えば巨大レゾネーターの効果がある位でしょうか。だからどこかが突出する必要は何もない。

これからはソフトが奏で織りなす音楽の感動にただゞ浸るだけです(私には尖ったサウンド・尖った思考・尖ったシステム等々何れも不要です)。

以上独り言でした。

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