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2024年6月

2024年6月27日 (木)

生命の大進化40億年史 古世代編生命はいかに誕生し、多様化したのか・・・土屋健著

↑の本、読了しました。

第1章

始まりの時代

形成当初の地球は、生命が棲むことのできる環境ではなかった。

議論を呼ぶ”最古の化石”たち

そもそも現在の地球で、知られている限りの最も古い岩石は、約40億3000万年前のものだ。

それよりも古い時代の岩石は、発見されていない

海洋プレートに乗った岩石は時間の経過とともに地球内部へと沈み込んでいくからだ。

その最古の岩石はカナダ北西部のアカスタで、1983年に発見された。

この岩石が「当時の生命活動が記録されることに適した岩石」ではないことによる。

2017年、カナダ北東部のラブラドル地域から採集した約39億5000万年の岩石に、炭素質の微粒子を確認した。

分析によってこの微粒子が生物起源であることが明らかにされ

つまり、約39億5000万年前の海には、すでに生命がいたらしい

生物の遺骸である「化石」でない。

そのため、海に生息していた生物の姿は、謎だ。

第2章

爆発的進化の時代

約5億3900年前、地球の歴史は次の段階へと進んだ。

地質時代の終わり(人類による文字記録の始まり)まで続く時代を「顕生類代」と呼ぶ

「顕生類代」という言葉ができたとき、エディアカラ生物群の存在はまだ知られていなかった。

顕生類代は、大きく三つの「代」に分けられる。

古い方から「古世代」「中世代」「新世代」だ。

このうち、古世代が最も長く、顕生類代の約53%を占める。

古世代は、更に六つの「紀」に分けることができる。

古い方から「カンブリア紀」「オルドビス紀」「シルル紀」「デボン紀」「石炭紀」「ベルム紀」だ.

カンブリア紀は約5億3900年前に始まり、約4億8500年前まで続いた。

カンブリア紀が始まるまでには「大陸」といえる広さになっていた。

地球の陸地はプレートに乗って日々移動し、離合集散を繰り返している。

当時の大陸と、現在の大陸はまるでちがっていた。

カンブリア紀の地球では、南極を中心に「ゴンドワナ」と呼ばれる超大陸が存在した。

そして赤道付近には「ローレンシア」「シベリア」、シベリアとゴンドワナの間には「パルティカ」と呼ばれる大陸があった。

ローレンシアは、概ね現在の北アメリカ大陸であり、シベリアは文字通りシベリア、パルティカは現在のヨーロッパの一部に相当する。

ゴンドワナはそれ以外の全ての大陸が集まっていた。

草原も森林もない、基本的には剝き出しの荒野だった。

生命の物語が紡がれる主な舞台は、海だった。

立体化し、硬質化する

カンブリア紀の始まりとして使われるその化石の名前を、「トレプティクヌス・ペダム」という。

トレプティクヌス・ペダムは「生痕化石」である、

動物の本体ではなく、その生活の痕跡だ。

この生痕化石は、巣穴ではなく、「移動の痕跡」である。

カンブリア紀になって動物たちに海底下へと潜る必要性が、明瞭に生じた(「潜る必要性の活発化をカンブリア紀の基底」と位置づ

「喰う・喰われる」の本格的な生存競争の開始である。

からだのつくりも左右相称であった可能性が高い。

エディアカラ生物群ではほとんどみることができなかった「硬い組織」を持つものが出現したのである。

それらの形は多様です。

この小さな硬組織の化石は「小有穀化石群」と呼ばれている。

[意味のない?硬質パーツをもつ]

そんな意味のない硬質パーツを持つ動物が、カンブリア紀の初頭の数千万年の間に増えていた可能性がある

ちょっと(?)変わり者たち

爆発的な多様化が発生したという現象を「カンブリア爆発」という

[上下・前後が”変わった”生物]・・・ハルキゲニア

上下が逆転し、前後も修正されて、正しい姿となったのだ。

[二つの分類群の特徴を持つ共通祖先]

ジャルツェングローゼスは「腸鰓類と「翼鰓類」の両方の特徴をあわせ持つことが分かったのだ

「腸鰓類と「翼鰓類」は「半策動物」と呼ばれる、より大きな分類群に属している。

「半策動物」については、ざっくりと「無脊椎動物から脊椎動物が進化する途上にいた動物群」と認識していてもらえればよいだろう。

共通祖先(に近い動物)の姿が分かることは、とても珍しい

[ほぼ完成していた神経]

アラルコメナエウスは大きなもので全長6センチメートルに届くかどうかという節足動物である。

神経は、すでに現生種に近いレベルに達していたのだ

史上最初の”覇者たち”と、その仲間たち

[五つの眼を持つ”節足動物の数歩手前”]

現在の地球で大繁栄する節足動物が誕生するその道程に、オパビニアが位置していたのではないか、というわけである。 

オパビニアとともに「オパビニア類」つくる新属新種として「ユタウロラ・コモサ」が報告された。

[史上最初の覇者]

「ラディオドンタ類

このグループは、かつて「アノマロカリス類」と呼ばれていた。

アノマロカリス・カナデンシス」を代表とする。

「アノマロカリス類」の名前は、この代表種に由来する。

奇妙なエビ」としてアノマロカリスと名づけたのである。

当時の生体系では、全長10センチメートルを超えた時点で、少数派なのだ。

その口は硬組織を嚙み砕くほどの力はなかったとみられているが、そもそもこの時代の動物たちは、”硬組織の鎧”を備えたものは多くない

近縁種の化石からみて、アノマロカリス・カナデンシスも一つの複眼あたり数万個の微小レンズがあった可能性は高いとみられている。

連綿と続いていた”平和な世界”に出現した”最初の覇者”。

アノマロカリス・カナデンシスやその仲間たちだったのかもしれない。

[五つの眼を持つ”節足動物の一歩手前”]

キリンシアは、ラディオドンタ類と同節足動物の間をつなぐ動物とされている。

”爆発的進化”の決め手は「眼の誕生」だったのか

光スイッチ説では、動物が眼をもったことが進化を加速させたとしている。

進化の目撃者 カンブリア紀編∼平たい三葉虫類~

三葉虫類は、カンブリア紀の半ばには登場した。

その後、三葉虫類は、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、ベルム紀と、合計六つの地質時代にわたって命脈を保った。
その歴史は、実に約2億7000万年間

のちの時代の地上で覇権を握った恐竜類の歴史の約1.6倍にあたる。

しかし、約2億5200万年前に絶滅し、その後は、いっさい、子孫を残していない。

三葉虫類は繁栄は最初の二つの時代ーカンブリア紀とオルドビス紀にあった。

つまり、登場していきなり繫栄し”一定の期間”ののちに衰退の一途を辿ったことになる。

平たく、節が多い。

これが、カンブリア紀の三葉虫類にみることができる典型的な特徴だ。

生物大多様化事変

オルドビス紀になって、海底のようすが”3次元化したのである

複雑な礁は、多くの動物たちに生活の場を与えることになった。

複雑な環境に適した動物たちが出現する、その”舞台”が整えられたのだ

この現象は、「オルドビス紀の生物大多様化事変」、あるいは「オルドビス紀の生物大放散事変」、「オルドビス紀の大放散」、「オルドビス紀の放散」、などと呼ばれている

覇者の生き残り 

”覇者級の交替”

[最初の大型濾過食者]・・・エーギロカシス

ラディオドンタ類の生き残りとはいえ、エーギロカシスがアノマロカリス・カナデンシスと直接の祖先・子孫の関係があるわけではない。

台頭者たち

新勢力が台頭してきた。

その一つが、「頭足類」である

[新たな覇者]

カメロケラスが良く知られている理由は何よりもそのサイズにある。

全長6メートルとも、11メートルとも言われている。

[新たな節足動物]

”正統派の節足動物”として台頭した狩人、それが、ウミサソリ類であり、ペンテコプテルスだった。

全長は1.7メートルあり、化石が発見された「約4億6000万年前」はオルドビス紀の半ばにあたる。

[生きている化石の始まり]

「生きている化石」とは、化石で知られる古生物の姿と近縁な現生種の姿が余り変わっていない場合、現生種に使われる言葉である。

カナダに分布する約4億4500万年前(オルドビス紀後期)の地層から発見された「ルナタスピス」は、知られている限り最も古いカブトガニ類である。

現生種と「そっくり」とは言わないまでも、ルナタスピスは「カブトガニ類」とわかる姿をしていた

カブトガニ類は早期にその姿と神経、つまり、現生種と同じような外部と内部を獲得し、そして、命脈をつないできたのかもしれない

進化の目撃者 オルドビス紀編~立体的になった三葉虫類~

長い柄と眼を、現代の潜望鏡のように使っていたのではないか

同じロシア産の「ホプロリカス・フルシファー」である。

この三葉虫類は 、全長9センチメートルほど。

頭部後縁にまるでチョンマゲのような突起があるほか、頭部先端には長さ数ミリメートルの突起が多数ある

全長10センチメートルほどのパラセラウルスは特に尾部のトゲは緩い弧を描きながら後方へ伸び、一見して、強力な武器のように見える

全長4センチメートルほどのレモプレウリデスは海底を這うのではなく、海中を遊泳していたと見られることが多い

全長3センチメートルほどのシンフィソプスは、前後上下左右と3次元的にかなり広い視界をもっていたことがよくわかる。

遊泳してこそ、その”真価”は発揮されたことだろう

全長72センチメートルもあったイソテルス・レックスは例外でこのサイズは既知のすべての三葉虫類の中で最大である

まだまだの祖先

[サカナの防御力が上がった]

全長15~20センチメートルのアランダスピスは、からだの前半分が骨の板で覆われ、後ろ半分は鱗で覆われていた

”骨の板の鎧”は、甲冑魚と総称される

完成した古世代型生態系と、大量絶滅事件

[古世代型生態系の”海底の主役”]

腕足動物の殻の中はスカスカである。

そんなスカスカの空間に、小さな触手が並んでいる。

腕足動物は、殻の口をわずかに開けて、そこから入ってきた海水に含まれるプランクトンなどを、その触手で捕まえる。

地球史には、カンブリア紀以降現在に至るまで、五つの大量絶滅事件があったとされている。

これを「ビッグ・ファイブ」という。

サンゴの海

温暖な気候も影響し、低緯度を中心に「生物礁」が発達した、「生物礁」とは、自身では動き回ることのない底生生物がつくる地形的な高まりだ。

[サンゴ礁の成立]

シルル紀当時、他にも多くのサンゴが礁をつくり、海底を彩っていた。

進化の目撃者 シルル紀編~かろうじて生き残った三葉虫類~

一つ目は、「アークティヌルス」。

団扇のように平たくて広い体が特徴的な三葉虫類である

全長は14センチメートル。

二つ目は、「ディクラノペルティス」

アークティヌルスほどではないにしろ、平たくて広い体を持つ。

全長は5センチメートル。

とにかく平たいアークティヌルスとディクラノペルティスは互いに近縁の関係にある。

頭足類のような捕食者につかまれた際に、つかまれにくくする防御機構か、あるいは、からだを周囲に溶け込ませる際のカモフラージュ機構だったのではないか、との指摘がある

三つ目は、「ダルマニテス」

ダルマニテスの属する系譜は、シルル紀の次の時代であるデボン紀になって、徒花のような多様化をみせることになる。

海サソリ類が世界を制す

[さまざまな役割のあるあし]

一つは、「ミクソプテルス」である。

サイズは全長70センチメートルを超えた。

この多様なあしを使い、ミクソプテルスは時に遊泳し、時に海底を歩行していたとみられている

[高速の狩人]

残る三つは、「ユーリプテリス」「プテリゴトゥス」「アクチラムス」である。

この3種類のウミサソリ類は、ミクソプテルスとは異なり基本的に遊泳生活をしていたと考えられている。

ユーリプテリスが高い機動力を持つ狩人だった可能性を指摘している。

[垂直尾翼をもつウミサソリ類]

ミクソプテルスやユーリプテリスと比較した際、最も目立つちがいを挙げるならば、それは尾剣だろう。

ミクソプテルスやユーリプテリスには、一目見て「武器」とわかる尾剣があった。

プテリゴトゥスの尾部先端にはそれがない。

尾部の先端が左右に広がり、まるで飛行機の「尾翼」と表現した方が正しいかもしれない。

水中で体を安定させることができた可能性がある

[待ち伏せ型のウミサソリ類]

アクチラムスの全長は2メートルに達し、ウミサソリ類における屈指の大型種である。

ウミサソリ類の衰退とともに台頭してきたグループがある。

我らが脊椎動物、サカナである。

世界最古の雄

[ペニスがあった!]

コリンボサトンには現生種のものとよく似た形状のペニスが残っていたのである。

「世界最古の雄」のタイトルホルダーなのだ

繁栄の兆し

顎がないために”攻撃力”に欠け、そして、おそらくひれが未発達だったために、機動力にも欠けていた

約4億2300万年前の地層から化石を報告した。「ビアンチェンギクチス」だ

ビアンチェスギクチスは”甲冑魚”である。

この小さな甲冑魚には、硬骨魚類と軟骨魚類、そして板皮類の特徴が確認されたのだ。

[進化の兆し]

エンテログナトゥスは、全長は約20センチメートルで、ビアンチェスギクチスよりもかなり大きく、進化的である

つまり、シルル紀の終盤が近づいたころには、板皮類の中に軟骨魚類と硬骨魚類につながる”進化の兆し“をもつ種が出現していたのだ

つまり、シルル紀の海で、サカナたちの進化は進んだけれども、まだ弱者だった

[サカナ、大型化する] 

約4億2300万年前の地層から、長さ12センチメートルの下顎の化石を報告した。

この下顎の持ち主の全長は、1メートルに達したという。

「メガマスタックス」は「肉鰭類」に属するという。

シルル紀の海は、サカナたちにとって、躍進に向けた最終準備段階の舞台だった。

[水辺を緑に]

「クークソニア」だ。

クークソニアは、非常にシンプルな植物だ

[究極の、無気力戦略]

パラスピリファーは、ただ単に、殻を少し開けただけで食事にありつける

「究極の、無気力戦略」と呼ばれている。

[高速を手に入れた頭足類]

巻きが締まったアンモノイド類ほど、速く泳ぐことができたという。

進化の目撃者 デボン紀編

デボン紀の三葉虫類は、三葉虫類の歴史の中で徒花のようなものだ。

三葉虫類の大絶滅の前に、彼らは見た目の華やかな時代を作ったのである。

なお、三葉虫類そのものが滅んだわけではない。

彼らの歴史はまだ続く。

覇権は我らの手に!

[最大級にして、最強のサカナ]

デボン紀に至って、それまで海洋生態系の上位に君臨していた無脊椎動物から、我らが脊椎動物がその座を奪い取ったのだ

[板皮類の多数派]

多数派を代表する板皮類が、「ポスリオレビス」だ。

多様性にも富み、「ポスリオレビス」の名前(属名)を持つ種の数は、60種とも100種ともされている。

種によっては、全長1メートルを超えるサイズもいた

[脊椎動物、最古の交尾]

ミクロブラキウスの交尾は、脊椎動物の進化の歴史で知られている限り最も古い体内受精であり、そして、最も古い交尾姿勢ということになる

[へその緒のあるサカナ]

体内に胚を確認できた板皮類、「マテルピスキス」を報告している。

その胚と母体をつなぐように残っていた細いチューブ状の構造だ。

このチューブ状構造は、「へその緒(臍帯)」であるという。

「マテルピスキス」は胎生だった。

脊椎動物の進化史における”最古の胎生”の証拠である

[サメに似た軟骨魚類の登場]

クラドセラケは、サメのようにすぐれた遊泳能力者だった可能性は流線形のからだや発達した胸鰭びれが物語っている

上陸大作戦

カンブリア紀以来、1億年以上にわたって海のみを生活と進化の舞台としていたサカナたちの中に、上陸を可能とするものが現れたのだ。

[先触れ]

「肉鰭類」とは現生種でいえば、ハイギョの仲間やシーラカンスが分類されるグループだ。

ユーステノプテロンの最大の特徴は、その胸びれの中にあった。

そこに、上腕骨、橈骨、尺骨に相当する骨があるのだ

眼の位置が、頭部の両側面についているということは、このサカナが水中という3次元世界で生きていたことを意味している。

[腕立て伏せができるサカナ]

ティクターリクには「肩」「肘」「手首」があった。

そのため、ティクターリクは、サカナでありながらも、「腕立て伏せができた」とみられている

さらにティクターリクには首も腰も確認されいる。

からだのつくりはかなり四足動物に近づきつつあった。

[指のあるサカナ]

エルピストステゲにはその細い骨の一部は手根骨(手首の骨)と、指骨であるという

[そして、足を持つ]

アカントステガが備えていた最初の四肢は、歩くためのものではなく、たとえば、水底にたまった落ち葉などを掻き分けるために使っていたのではないか、と指摘されている

[そして、陸へ]

イクチオステガは「がっしりとした四肢」をもち、骨格をみたときに目立つのは、長く太い肋骨だ。

”アカントステガ以前”の動物たちは、これが貧弱だった。

イクチオステガの頑丈な肋骨は、地上で腹這いになっても内臓を潰さないだけの強度があったとみられている。

イクチオステガが陸上生活をすることができたことを示唆している。

超大陸パンゲア

大陸配置をみると、古世代の開幕から存在していた超大陸「ゴンドワナ」と「ローレンシア」、「シベリア」の3大陸は、石炭紀を通じて合体していく。

そして出来上がった唯一無二の超大陸は、「パンゲア」と呼ばれている。

石炭紀の終わりには、地球上の主たる陸地は地続きになっていて、動物たちは歩いて世界中を旅することができた。

[モンスターか。それとも、サカナか]

ツリモンストルムを「無顎類」に位置づけた

ツリモンストルムをめぐる議論は、混迷の最中にある

大森林出来る

石炭紀の大森林の主力は、シダ植物だった

[天敵のいない空で、大型化する昆虫]

「メガネウラ」は、翅開長ガ70センチメートルに達するという巨大な昆虫である

[有羊膜類、誕生]

ヒロノムスは「トカゲそっくり」な有羊膜類である。

ヒロノムスはそんな有羊膜類の最初期を代表する動物とされている。

そして最初期の爬虫類でもあった

[歯が少しだけ複雑に]

ィメトロドンは爬虫類ではなく、単弓類に属している。

異歯性は、哺乳類を中心に確認できる特徴でもある

[両生類が水際世界に君臨する]

エリオプスは水際世界に君臨し、古世代最後の時代を謳歌していたのかもしれない

[成長にともなって大きくなるブーメラン頭]

ディプロカウルスは成長にともなって、頭部の両サイドが長くなり、しだいにブーメラン型になっていく

[からだを持ち上げて歩く?]

オロバテスは、四肢を踏ん張って、からだを持ち上げて歩いていた

[超大陸の証拠]

メソサウルスが南アメリカ大陸とアフリカ大陸から発見されたということは、かつてそこが地続きで、淡水生の動物が行き来できたことを示唆しているのである

[大型爬虫類は姿を消す]

パレイアサウルス類の多くは「どっしり重量型」と言える体格をしていた

[雌雄で暮らす単弓類]

ディイクトドンの牙が、性的二型の典型的な特徴であった可能性が高い。

これは、単弓類 の歴史の中で、確認されている限り、最も古い性的二型とされている

獣弓類は、単弓類の一翼を担うグループで、のちに哺乳類が生まれるグループでもある

史上最大の大量絶滅事件

「1回の絶滅ではなかった」、2億6000万年前、つまり、ペルム紀の終幕よりも800万年前に1度目の絶滅が起きた

”有力な仮説”が定まる将来も遠くないのかもしれない。

私たち哺乳類はペルム紀に栄えた「獣弓類」の末裔だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

読み応えのある本でした。

何と言っても耳馴染みのない名称が次から次へと登場するので、それだけで疲れてしまいます(汗)。

でも大昔のことが少しは知れたかも知れないので残された人生の足しには全くならないかも知れませんが知らないことが未だゝ沢山あると言う意味では勉強になりました。

私が書いた記事の名称が誤っていることも多かろうと思いますが、そこは平にお許し頂ければ幸いです。

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2024年6月23日 (日)

退院して1か月経過

退院して暫くして初めて風呂に入った時(5/28)には気が付かなかったがそのすぐ後(5/31)に入った時には両足の甲が結構腫れていた。

別に痛くもないし暫く様子を見る他ない、と思いました(退院後急激に運動量が増えたことは事実(入院中は22時間以上は横になっていた)なのでそれの影響かも)。・・・甲の腫れは寝る時の確認でも6月中旬頃には見られなくなった。

6/2には左足首が少し痛い(病院にいる時は右足首が痛む時もあったが、左足首は問題なかった)・・・これも室内での階段の昇降が多いのが原因ではないかと思っています・・・その後は特に問題なし。

今は色々とやることが増えているので足もやや悲鳴を上げているのかも知れません。

歩かなければ訓練にもならないし、前へ進めない(中々難しい)。

これらの症状は起き抜け時に特に強く感じ、その後は特に感じることはないので静→動への第一歩が要注意

1ヶ月経った時に足腰がどのようになっているかが目下の課題ですね。

「最後の断捨離」(6/1アップ)として書きましたが、この時点では退院後余り日も経っていないので謂わば意気込み(決意表明)を書いた次第です。

本当の断捨離はその後の毎日の積み重ねでした。

1ヶ月経過時には私自身の体調以上に家の中の変貌が期待されます・・・期待以上になりました。

家の中は溜まりに溜まった段ボール、家の完成時からドンドン増えて行ったゴミ等が実に綺麗に片付いてこれってホンとに我が家か、と二度見したくなるような状況です(汗)。

今迄は体がドンドン不自由になり已むに已まれない状況下で本来片付けなくてはならないモノが溜まって行って(負の連鎖)その内諦めの境地になって私自身の可動範囲がドンドン狭まって行きました。

モノは考えようで今は力強い助っ人(ヘルパーさん)が毎日来て下さいますので少しづつ(塵も積もればの逆パターン)やって頂いた結果、整理され見違える我が家となりました。

日々食事の準備等サポートをして頂いていますが、私自身も早く入院前の状態にしたいのは山々なので6/9に初めてコーヒーを入れて飲みました。

お湯を沸かしたりするのは中々、危険であり、大変なのですがたまたま先日物置部屋と化した部屋の片付けがある程度進んで中が見える状態になったので確認すると折り畳みの椅子が2脚見付かりました(6/11、手の届く範囲は完全に片付け終了・・・見違えるようにスッキリしました)。

その内1脚は台所のIHの前にセットし、立っている時間が長くなって疲れたら座れるようにしました。

これで後は慎重にお湯を沸かし、コーヒーをドリップしてカップをいきなりテーブルへ運ぶのは未だ早いのでワンクッション置いて運べるように中間地点にカップを置けるようにしました。

これで楽に最終地点まで運べ、コーヒーを楽しむことが出来るようになりました。

と少しづつですが元の状態へ近付けています(未だ鍋でお湯を沸かしての調理は出来ません・・・お湯の量が多いので持ち上げることが出来ない為)。

無理をせず、ゆっくりゆっくり一歩ずつ戻していければと思っています。

もう1脚は2階の洗面所へ持って行きました。

ひげを剃る時は結構長い時間立っているので腰砕けが起きないように疲れたら座れるように、と思い持って行きました。・・・6/9退院後初めてひげを剃りました(さっぱりしました)。

私自身今がホンとの最後の断捨離と位置付けていますので日々ゴミの廃棄に前のめりになっています(爆)。

6/19には入院中のアメニティ(パジャマ等の利用料)の支払いが完了しました。

約4ヶ月ともなると結構な金額となります(私の場合、約8万円)。

6/20には玄関前の階段の手すりが完成しました・・・中々見た目も立派でこれがレンタルとは驚きです(業者さんの配慮で天気予報を見ながら梅雨に入る前に準備して頂き、感謝です)・・・これで階段の昇降も随分楽になり掃除の範囲も広がりました)。

もう一つ、玄関の上がり框は低過ぎるので座ったら最後、立ち上がれないと言うこともあり、普通に座って靴の履く・脱ぐが出来るような高さ調節が出来る椅子を設置して貰いました・・・これもレンタルです。

少しづつではありますが可動範囲を広げて自分で掃除が出来るようにして行きたい、と考えています。

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2024年6月20日 (木)

溜息・夜間頻尿の老人

ア・アファ・アン・アン・ア~ァ並びに夜間超頻尿の老人のお話です(私の隣のブロックの患者)。

青江三奈宜しく溜息を付き(こちらは歌の世界ですが...)、夜は夜夜間超頻尿と個性豊かな老人です。

夜間頻尿については私も同様ですが私は1~4回程度(病院は就寝時間が長い・・・12時間)ですが、この老人はI時間に1回と寝ている時間がないほど多い。

最高記録は13回と他を寄せ付けないブッチギリの断トツです(これは毎朝ナースが確認しているので判明しました・・・余り多いので誤魔化している可能性あり・・・申告制なので信じるしかないけれど・・・自分のことだから誤魔化しても何の得にもならない)。

そもそもこの老人は大火傷をして最初順天堂大病院に入院してある程度安定して来たのでリハビリも出来るこの病院へ転院したのかどうか理由は定かではない。

入院する前は高血圧の薬だけ服用していたそうだが入院後の血液検査で他に沢山の看過出来ない数々の症状が判明、日々食事時に服用する薬も何の薬だか本人も毎日確認する始末でした。

高血圧の他にチラージン(甲状腺の薬)、貧血、下剤(便秘)等々。

高血圧なのに体内のナトリウムが不足している為最初は点滴をしていたがリハビリ等に障害となる為、その後は食事に塩(3g)(所謂現物支給)を提供、おかゆに混ぜて食べていたようだ。

高血圧には塩分を摂取させない食事が普通だが彼の場合は背に腹変えられないようです。

ナトリウムが不足すると意識障害が起こるようになるので推測ですが彼の場合それが原因で冬真っ只中の日、灯油ストーブの上に鍋を置きその中に水を入れて沸かしていたようでその時フラッと来てストーブに倒れ込み、沸騰したお湯を左肩から上半身にかぶり大火傷をしたと言うことでしょう。

アパートで一人降らしの老人なので必死に自ら119番通報して入院したと言うことでした。

恐らく町営アパートで家賃1万3~4千円だそうですが(今の時代にしてはかなり割安かも?)入院した為に結果滞納になったようで職員が病院まで回収に来ていた。

安アパートに住んでいた位なので食事も偏食でだったのでしょう、その結果悪いデータが次々に見付かった、と言うことか。

息子がいるようですがこの親父は「頼りにならない息子」と言っていましたが息子からすれば「頼りにならない親父」(間違いなし)でしょう。

相当長期間になる入院ですが一度も見舞いに来ないとこぼしていた(でも息子さんは親父の為に要介護認定の申請を町にしていて担当者が病院に面談に来ていた(5/2))。

これだけでも孝行息子だ。

家族の数は星の数ほどあるけれど問題多い家族も又同じ程度ある見本みたいな話。

彼は飲水制限をされていたのだが歩行器で見守りなしで動けるのを良いことに自ら自販機で250mlのコーヒーを買って部屋で飲んでいた。 

その際3度もこぼしてパジャマを汚し、ナースコールをして着替えをしていた(ホンと手の掛かる爺だ)。

全く出鱈目な奴で人相は目が異常に大きく(眼鏡を着用)(相当の近眼・・・テレビを30Cmの至近距離で見ていた)やることなすことこそ泥のような奴。

今回の退院でこいつと離れられたのが一番の幸せかも。

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2024年6月18日 (火)

宇宙になぜ、生命があるのか・・・戸谷友則著

 ↑の本、読了しました。

第一章

生命とは何か

つまり完璧な自己複製ではなく、「わずかに不完全な自己複製」こそが生命の本質というわけだ。

20世紀の生化学者であるオパーリンによる定義もまた、「自己複製と突然変異を起こすすべてのシステムは生きている」というものであった。

🔷それでも悩ましい「生命の定義」

結局の所、完璧な「生命の定義」は今のところ不可能であり、そしてもしかしたら未来永劫、不可能なのかもしれない。

🔷物理から見た生命--非平衡とエントロピー

「熱力学的」生命の定義である。

エントロピーとは「乱雑さ(秩序の反対)、「ランダムな度合い」の指標である。

エントロピーが最大となる(例:気体粒子が箱全体を満たす)ところで安定状態となる。

この安定した状態を物理学では「平衡」と呼んでいる。

第二章

化学反応システムとしての生命

🔷地球生命を形づくる物質

地球生命とは化学的な原子・分子の結合で出来た有機物質が、さまざまな化学反応でを起こすことで実現されている、「電気じかけの人形」である。

地球生命といっても、学術的に知られているだけでも130万を超すといわれる膨大な数の生物種が存在する。

🔷タンパク質~生命活動の主役

生命物質の大部分はタンパク質と呼ばれるもので、これはさまざまな種類のアミノ酸が多数つながって出来た高分子化合物である。

アミノ酸は、アミノ基とカルボキシ基と呼ばれる部分を持った有機化合物の総称で、自然界には500種類以上が知られている。

このアミノ基とカルボキシ基を直接くっつけたものが、もっとも単純なアミノ酸であるグリシンとなる。

さまざまなアミノ酸の中で、地球生命が使っているアミノ酸は20種類のみであり、これはすべての地球生命に共通している。

タンパク質はこの20種類のアミノ酸を多数結合させて、立体的で複雑な構造を持つようになったものである。

アミノ酸はあくまで1次元的に、つまり鎖状に連なって結合している。

実際に人体に使われているタンパク質の種類は10万を超えると言われる。

しかし生体内では、はるかに低い温度で有機物が「燃焼」し、エネルギーが生み出されている。

これを可能にさせているのがタンパク質からできた「酵素」である。

さまざまな酵素が触媒として働くことで、生命独特の化学反応が生み出されている。

🔷核酸∼遺伝情報の核心

生命の体を形づくり、その活動性の主役となるのがタンパク質なら、生命が持つ遺伝情報やそれに基づく自己複製の根幹をなすのがDNAやRNAと呼ばれる核酸である。

DNAは生命の設計図といわれるが、より具体的には、生体内で使われるタンパク質の設計図なのである。

地球生命はアデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)、ウラシル(U)、という5個の塩基を使っている。

このうち、A、C、Gは、DNAとRNAで共通して用いられるが、TはDNAだけで使われ、UはRNAのみで使われる。

つまり、DNAでもRNAでも4種の塩基を用いていることになる。

🔷膜に包まれた小宇宙

生命の最も生命らしい性質である自己複製と遺伝は、この核酸によって実現されている。

設計図である核酸と、それにもとづいて正確に製造されるタンパク質こそ、生命現象の本質をなす二大成分であり、細胞とは、それが膜に包まれた小宇宙であると理解してもよいだろう。

🔷水こそ命の源

生命体の中で最大の割合を占める物質はタンパク質ではなく、実は水である。

水の密度がいちばん高いのは4℃の水であり、それがいちばん、底にたまる。

もし、この広い宇宙に多種多様な生命があちこちで発生しているとしても、水を利用する生命はそのなかでも多数派であろう。

我々が地球外生命を探すときでも、まずは水の存在を基本に考えることは、理にかなっているといえよう。

🔷遺伝と発現のメカニズム

DNAは2本が対になってらせん状の構造をとっている。

有性生殖の生物の場合、染色体は父親と母親から1本ずつ受け継いだものがペアになっている。

つまり我々の体内の一つ一つの細胞の中には、父親由来と母親由来で、合計2人分の遺伝情報が含まれていることになる。

遺伝情報とはタンパク質の設計図に他ならない。

その遺伝子にもとづいて、ある性質が実際に生物に現れることを「発現」と呼ぶ。

🔷DNAの遺伝情報からタンパク質へ

このDNAとタンパク質の間の橋渡しをするのがRNAと、そしてリボソームと呼ばれる細胞小器官である。

このDNA→RNA→タンパク質という合成システムはすべての地球生命に共通しており、「セントラル・ドグマ」と呼ばれている

生命科学的における最も根源的で崇高な教義といったところであろう。

第三章

多様な地球生命とその進化史

🔷宇宙における私たち人間の位置づけ

地球上には目もくらむほど多種多様な生物が生息している。

元をたどればたった1つの共通祖先である生命体から進化・分化してきたと考えられている

🔷地球生命の分類

根源的な分類といえば、真核生物か原核生物か、という2つのグループへの分類であろう。

すべての生物種は例外なく、このどちらかに分類される。

🔷生命の進化系統樹

互いにまったく独立な起源を持つ無関係な生命種族の集合とも考えてしまいがちである。

これらすべての地球生命は全く同じDNAの遺伝子コードを使い、同じメカニズムでDNAからタンパク質を作り出している。

すべての地球生命はたった1つの共通の祖先細胞から進化してきたと考えられているのだ

🔷さまざまな生物のゲノムの大きさ  

進化の過程で高等生物が長いDNAを獲得するなかで、無断な部分も多く含まれるようになっているのであろう。   

🔷生命の物理的な大きさとゲノム

原核生物の細胞の大きさがヒトの細胞より10倍ほど小さいことも、うなずけることである。

🔷その後の進化と多様化

地球大気の成層圏にまで達した酸素分子は、太陽からの紫外線と反応してオゾンをつくり、地表からの高度25キロメートル付近にオゾン層ができた。

このオゾン層が生物に有害な紫外線を効率よく遮蔽してくれるため、陸上でも生物が生存可能になったのである

🔷地球の進化と生命

地球における生命は地球に対して受け身の「住人」ではなく、地球全体の物理状態を大きく変えるほどの力を持った、地球の重要な構成要素の一つであるということ。

最もよい例が、生物の光合成によって地球の大気が酸素を多く含むようなものに変えられてしまったという事実である

第四章

宇宙における太陽と地球の誕生

🔷地球は宇宙でありふれた存在なのか?

月の存在によって地球の自転が安定しているということである

地球の自転軸は23.4度だけ傾いていて、それが季節を生み出している。

これは月のおかげなのである。

地球のように大きな衛星を持たない他の惑星、例えば火星の自転軸の傾きは10万年ほどの間に約10度も変化する。

もし、地球に月がなかったら、大規模な気候変動が繰り返されたはずである。

第五章

原始生命誕生のシナリオーどこで、どうやって?

🔷原始生命をつくる最低必要条件~水と有機物

すなわち、生化学反応の必須の舞台である液体の水がある場所で、さらに生命の構成物質であるいわゆる有機物が存在していたはずである。

地球に海があるのはなぜ、有力な説は、小惑星や彗星からもたらされたというものである。

誕生直後の地球に降り注いで、水を供給したと考えられている。

いずれにせよ、原始生命に必要な水は地球誕生直後から豊富にあったと考えてよかろう

🔷ミラー・ユーリーの実験

地球の原始大気において、雷をエネルギー源として有機物が生成され得ることを示している。・・・歴史的意義はやはり大きいというべきであろう。

第六章

宇宙に生命は生まれるのかー原始生命誕生の確率?

🔷人類間での進化と人間原理

「知的生命体が存在することが可能で、さらに実際に生まれている宇宙」にかぎられる。

このような概念を一般に人間原理と呼んでいる。

原始生命が誕生して、人類のような知的生命体に進化するまでに、約40億年かかっている。

太陽は誕生してから約100億年は安定して輝くことができるとされている。

地球に生命が存在できる期間は最大100億年ということになる。

この100億年のスパンのうち、最初の約5億年で生命が誕生し、その後40億年あまりで人類が出現したというのなら、生命の誕生はやはり早かったと言うことになろう。

わずか10億年ほど後には地球の環境は高温化して、生命は存在できなくなるという見積もりがある。

地球科学の知識にもとづけば、地球に生命が存在できるタイムスパンは地球誕生から100億年ではなく、55億年ほどにすぎないという可能性が高い。

つまり「最初も最後もギリギリ」ということになるのだ

第七章

宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか

🔷広大な宇宙を作るインフレーション宇宙論

インフレーションをビッグバン宇宙論の基盤の一つとして受け入れている状況になっている。

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とにかく難解な本でありました。

入院前に買っていた本の中の1冊ですが、なぜか妙に読みたくなって買った次第です。

以前の私はこの種の本とは無縁でしたが、加齢に伴って読みたくなったというのが本音です(理由は不明)。

タイトルが根源的・かつ魅了されるものだったからか。

読み終わっても凡人の頭では到底理解は出来ませんでしたが分からない、ということが分かって腑に落ちました(汗)。

入院前から生命・宇宙・地球の歴史等に関心が強くなって来たのもがむしゃらに生きて来た以前の自分を振り返って死を迎える歳になって行き着いたテーマだったのかも知れませんね。

なぜか分からないけれどもスッキリしました。

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2024年6月15日 (土)

謎の老人

それは私が3/29、3階の障害者病棟に移った時のことでした。

リハビリを終えて部屋に戻って来た時、部屋の入り口入ったところでその「謎の老人」とバッタリ出逢いました。

その老人は杖を突いて歩く小柄な老人で背広を着ていて私たちを優先させて後から隣のブロックへ入って行きました(その後何度も顔を見る機会がありましたが、眼光鋭く頭髪はオールバックにきめていました)。

良く分からないのが何故こんなパジャマ姿でない人が面会でもないし私と同じ病室へ入って行ったのか疑問が残ったままでした。

私の隣りのブロックでもあるし、関心があったので暫し観察することにした。

驚いたことにこの老人は自由に病院内を杖で歩き回っていることでした(普通は見守りが必要・・・でも後で分かったのは病院が問題なしと判断すればそれも必要ない・・・院内に限ってのことだが)。

いつだったか忘れましたが電話が掛かって来て(室内では発信はおろか受信も禁止)小さな声で電話していた(本人は禁止を知っているようで同部屋の3人にも聞こえるように10分が限度だからな、と言うように相手に言っていた・・・これは嘘も方便です)。

その時何の数字だか分らないけれど8%だと不味い、学会の要望で7%未満にしろと指示。

後日の電話で7.4%で決着した、と話していた・・・仕方がないのでそれで行こう、と決断したようだ。

本人の話によると県内でのメガソーラーを計画(函南、静岡、島田等と聞こえた)。

契約書は(謎の)老人の名前でするなと何度もダメ押ししていた。

このメガソーラーの完成が本人の最後の仕事のようだ。

退院控えてのある日驚いたことに見守りを付けて退院後入居するアパートの確認をしたり近くの家具屋にタクシーで出掛けてベッドを探したりとやることがハチャメチャ・・・常識では考えられない。

これは相当の人物で病院でも断り切れないモノだと知った次第。

本人はガンを患って退院後転倒してどこかを骨折したらしくここに入院してもう2年になると言う牢名主のような人物。

ガンの抗生剤投与で今でも指は冷たく血中酸素濃度が測れないとこぼしていた。

入院に当たって持ち込み禁止のモノが刃物(ハサミ・T字型の髭剃り(電気シェーバーはOK)、何故か耳かきもダメだそうで・・・私は4ヶ月以上耳かきが出来ない状態だったので退院後真っ先に耳かきをした・・・ビックリするほど大量の耳糞が出て来た・・・医者が言っていた耳糞は自然に落ちて来るのは嘘だ、と私は確信した。

耳かきをして耳糞が完全に蓋をしていて聞こえも悪かったのでこれで一安心。

話し戻してこの老人は退院後アパートに住むようだが住まいやモノには関心ないようで兎に角最後の仕事をやり遂げることだけが望みのようだ。

先の熱海の土石流事故を気にしているような話をしていたので何か関係あるのかな・・・。

その後、謎の老人は何事もなかったかの様に退院して行った。

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2024年6月13日 (木)

「日本年金機構」から便りが届いた

↑の件、6/11に届きました。

中を見てみると「年金額改定通知書」でした。

良く見てみると年額で6万円ちょっと増えています。

私自身、5/23に退院したのでこの種の情報は一切知りませんでした。

年金受給者になって初めての大幅増です(記憶上のことなので間違っているかも知れません)。

おまけに所得税減税に伴う措置で通知書上は年内の所得税はゼロ円になっています(それだけ年収が少ないと言うことですネ(汗))。

住民税は10月に控除の予定(これは縦割り行政の弊害・・・管理する場所が違うことでタイムラグが起こる)。

今年に限って言えば入院中(約4ヶ月)は外部の情報はシャットアウトだったのでこの通知書が来るまでは全くの門外漢状態でした。

それでも収入が増えることは大歓迎。

有り難や、有り難やです。

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2024年6月11日 (火)

なぜヒトだけが老いるのか・・・小林武彦著

↑の本読了しました。

難解ですが。テーマが面白そうなので買ってみました。

内容は要約下記の通りです。

分解=死は進化に必須

なんで私たちは死ななければならないのだ・・・これは運命ではなく進化のためです。

死ぬものだけが進化出来て、今存在している。

最初から死ぬようにプログラムされている。・・・これが全ての生き物に必ず死が訪れる理由です・・・生命の連続性を支える源。

生が利己的であるのに対し、死は利他的、公共的と言ってよい。

これからの新しい生命のために死なないといけない。

つまり利他的に死ぬためには、心の覚悟と体の準備が必要、その一番カギとなるのがヒトの「老化」です。

ヒトは例外的に寿命が長い。

他の大型哺乳類に比べると体の大きさの割にDNAの修復能力がずば抜けて高い。

ヒトの場合も55歳くらいまではほとんどガンにはなりません。

以降、急速にがんで亡くなる人が増えます。

ヒトはなぜ、がん化のリスクを背負いながら、55歳以降の約30年間も生きられるのか。

一つの理由は、強力な免役機構のおかげだと思います。

強固にした要因の一つは十分な栄養のおかげだと言われています。

老化の起こる原因は生命誕生から続いている遺伝情報の壊れやすさです。

この程よく壊れる過程が死に至るまでの「老化」です。

つまり、進化のプログラムは変らない。

人生の40%が生物学的には「老後」

産むと言う機能を喪失したらある意味老化した「老後」となります。

老後のある生物は例外的で普通はない。

老後の存在はその種固有の性質。

「ヒト」は教育で「人」になる

シニア量産の正のスパイラルは現代社会にまで続いています。

政治家は政策はもちろん大切ですが刻々と変化する情勢の中で適切に判断していく能力・経験・知識と人を説得できる人間性を持った人を、選ばないといけません

常識を打ち破れる型破りな人が時代を変え、時として世の中を飛躍的に進歩させるのです。

ヒトの場合、46本ある染色体の23本がランダムに選ばれて精子や卵ができます。

その種類は2の23乗でで約800万通りとなります。

それがまた同じだけの種類がある卵と精子とランダムに受精するので70兆種類の受精卵が出来ます。

さらに「組み換え」と言って染色体自体を繋ぎ新しい組み合わせを作る仕組みもあり、生物学的に言うとこういう「ガラガラポン」をする仕組みを持つ生き物が、生き残れて来た

身体的な遺伝は「運任せ」で仕方がないとしても、「環境」は変えることが出来ます。

「環境」の中でも人の形成に、最も影響を与えるのは、言わずもがな「教育」です。

幼少の頃の大半を過ごす家庭の影響力が大きいです。

シニアは客観的にその子(人)の個性を発見できます。

親にはできない「個性を育てる教育」に適した人材なのです。

教育は生きて行く上でのスキルのみならず、希望と勇気とを与える大切な行為です。

「死の意味」から考えても、現在の自身の「生」は過去の多くの「死」の結果です。

「死」は他者の「生」のためにあると言ってもいいのかもしれない。

「老い」は「死」に至る過程であり、利他的で公共性の極みであり、かつ自分たちの将来の姿なのですから。

シニアの定義とは「徳のある人」です。

定義的には「悪いシニア」いません。

つまり「悪いシニア」は「シニア」ではない。

いい「シニア」の存在が、人類の寿命を延ばしてきた理由なのだから。

「老い」はいいシニアになる為にある

老いを感じて死を意識したら、少しずつでも世のため、次世代のためにと言う意識を持つようにしたらそれで十分です。

シニアの最大のミッションとして絶対に阻止しなければならないのは、次世代が使う環境を破壊し、資源を枯渇させることです。

シニアになり切れていない「なんちゃってシニア」がどうせ自分たちはそのうち死ぬのだから。みんな好き勝手にやりましょう的な発想を持っていたとしたら最悪です。

死ぬことは個人にとっては終わりでも、社会や地球の生物全体にとっては終わりではない

「なんちゃってシニア」は自分の「古い」価値観を押し付けます。

大きな改革に消極的になるのも良くない。

これらは明らかに次世代の多様性や可能性を低下させます。

組織に優先席はありません。

異性に興味がない人も増えて来ています。

これが進化の過程の「変化」と言うことになります。

「選択」ですがヒトと言う種が生き残るなら、「産みたいヒト、産んでもらいたいヒト」に頑張ってもらうしかありません。

この状態が続くとミツバチのような「昆虫化」に繋がります。

「産むヒト」は女王バチのようにかなり頑張って産んで貰わないといけないかもしれません。

「産まないヒト」は働きバチのように産むヒトを支えることになります。

もう一つの選択は、残念なことに人類の絶滅です。

ずいぶん先の未来ですが、あり得ることです。

出生率は低いままで、理想数も下がって来ています。

最悪です。

「産みたいヒト、産んでもらいたいヒト」にとっては辛い現実です。

一番の理由として教育と子育ての負担の増大です。

これは政治的に解決できる問題です。

選挙でしっかりいい人を選ばないといけません。

そして老化によって引き起こされる病気を減らすことです。

科学の力に加えて生活習慣や社会構造の変化で、ある程度達成できる。

根拠は、そういう「ピンピンコロリ」的な生き方をする生き物のほうが、自然界では普通だからです。

そしてその元気な余生を、少しでも公共のために使ってもらえればよい。

老化症状を緩和させる「老化細胞除去」と言う方法があります。

歳をとって肝臓や腎臓の調子が悪くなる一つの要因は「老化した細胞の蓄積」によるものです。

「老化した細胞」はDNAの傷などで起こる。

通常、そのような細胞は死んで分解したり(アポト-シス)、リンパ球に食べられたりして除去されます。

この排除機構が加齢に伴ってうまく働かなくなり、老化した状態でそのまま肝臓や腎臓に留まってしまうことがあります。

それら「残留老化細胞」は炎症性サイトカインと言う物質を出し続けます。

炎症性サイトカインは、通常傷ついたりウイルスなどに感染した細胞が、周りの細胞に炎症を起こさせてリンパ球を呼び込んだり、細胞分裂を促して傷を修復し、組織を守る大切な物質です。

それを出し続けることによって炎症が長引くと、臓器が正常に機能しなくなります。

イメージ的には、赤く腫れっぱなしの状態のままです。

炎症性サイトカインは、がんの発生頻度も高めます。

つまり「残留老化細胞」は、かなりの「悪者」」なのです。

自殺・・・日本は残念なことに、先進国(G7)では自殺率が一番高い国です。

自殺は人特有の「異常な死に方」と言うことも出来ます。

シニアは、将来の自分の姿であり、人生のモデルです。

シニアが「集団」の中で、自らの寿命を延ばしてきたのも「公共=集団のため」という人の社会の中に居場所を見つけられたからです。

居場所は、社会性の動物にとって生きるために必須な要素なのです。

教育現場へのシニア人材の投入は、一つの有効な解決策だと思っています。

シニアが社会に対して人生最後にできる貢献は、人から惜しまれながら、本人的には、苦しまずに「ピンピンコロリ」と亡くなることかもしれません。

哺乳動物には総心拍数に限界があり、それは20億回程度と言われています。

実際に寿命が2~3年のハツカネズミも、60年のアフリカゾウも総心拍数は同じくらいです。

心臓は言ってみれば消耗品なのです。

ピンピンコロリで亡くなるには体力が必要です。

シニアが元気に活躍できることが必要です。

「老い」をネガティブではなく、一つの変化と捉えて精神的にも肉体的にも「老いずに生きる」ことが出来れば素晴らしいと思います。

老いの人生観

①元気なときには、本能のおもむくままにやりたいことをやる(公序凌辱に反しない範囲で)

②老いを感じ始めたら、少しづつ中心を自分から周りに広げて

③「シニア」になり、無理のない範囲で公共に尽くす(次世代の自由度を確保するために自分たちがある程度調整役を担うことが出来るかどうかです)

④最後は皆に惜しまれて天寿を全うしてピンピンコロリと死んでいく

シニアになってきたら、新しいことを取り込むインプットも必要ですが、これまでの蓄積を吐き出すアウトプットのほうを多くしていくべきだと思います。

人から人にしか伝えられない、ある種の「本能を揺さぶるフェロモン」的な効果があるように思います。

ヒトは反省するサルである。

反省することが出来るサルが、知能を発達させるヒトになったのです。

「反省するサル」から反省する必要がなくなった「幸せなサル」になれたわけです。

つまり生存本能やそのための逃避行動は、多くの生物に備わっています。

死は何のためにあるか。

それは進化のためです。

進化は何のためにあるのか。

それは私たちも含めた地球上の全ての生物の存在理由なのである

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随分難しい内容の本でしたが、なぜか読み進む内に面白くなり一気に読んでしまいました。

私みたいな年寄りにも楽しく引き付けて下さった著者の小林武彦さんに感謝です。

この本は私が入院する前に購入しましたが、退院後いの一番に読みました。

なぜか、それはテーマに共感を覚えたからです。

私自身は未だ76歳になったばかりですが入院したことで死生観が変わりました(死に至る病気ではありませんでしたが入院中、見聞きした出来事も大いに影響しました)。

一つは掛け替えのない趣味についても入院前と比べるとある意味距離感を置くようになりました(無理のない範囲でやっていければよいのでこのまま生活して入院前に予定していたモノは時期がズレても出来たらやりたい(死の方が先に来ればそれはそれでよし)。

という風に心に余裕が生まれました。

私は年金受給者で貯蓄も殆どないけれど世間で言われているような挫折感は全くありません。

考え方次第で年金だけでも楽しく暮らせます、贅沢をしなければ(気持ちの贅沢はOK)...。

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2024年6月10日 (月)

新型コロナ感染

2/16コロナに罹った(どうも出入り業者の方が感染源らしい)。

病院内での感染なので対応は早く重症化することもなく2/28には隔離解除(同部屋の最終解除者に合わせた)。

勿論初めて薬を飲んだが今まで見たことがないような大きな錠剤です。

薬に対して余り特別な感慨を持っていない私ですがこの大きさに初めて絶句しました。

コロナに罹ったお陰で色々な情報が得られました。

当病院のナースも結構罹った経験があるらしく色々なことを教えて頂きました。

後遺症は千差万別で3~6ヶ月以上掛かる人もいれば年単位で苦しんでいる人もいると言う(眩暈等)。

ある人は足の指の爪が黒く変色したとか、コロナの後、血中酸素濃度が低い人は脳梗塞になる可能性があるとか・・・怖いですね。

今振り返ると私はコロナに罹るなんて想像もしていなかったのでこれじゃ、踏んだり蹴ったりだと思いました。

これで入院生活が更に長くなるのではと心配しましたが罹ったのが圧迫骨折入院時と略同時期だったので影響はなかった、と思いたい(ホッと一安心でした)。

 

 

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2024年6月 9日 (日)

救急病院

救急病院入院は私の人生で初の経験です(普通の病院も含めて入院したことが50年以上ない)。

それがいきなり4ヶ月近くの長期間。

入院して感じたのは朝から夜中まで基本ズ~と騒々しいこと。

4ヶ月後退院して自宅で寝て感じたのはとても静かであること(この時期早朝4時頃には小鳥のさえずりが聞こえて自然と目が覚めます・・・早過ぎるのでそのまま横になっています・・・結果5時半に起床しています)。

寝付きが悪いのは今に始まった訳ではないものの流石に退院初日は安心感からか直ぐに寝てしまったようです。

それに比べ救急病院は救急車の音や院内では看護師等の移動時の音。

室内では4人部屋で半数がタン(気道粘膜によって作られる気道分泌物)絡みの患者。

これが実に煩いのです・・・患者さんに文句を言っても仕方がないが...。

殆ど過去の喫煙の結果が招いた症状ですが1日中、うめき・わめき・うなり声を発し同室の人は先ず寝られない・気が変になりそうになります。

最初こんな環境下で果たして夜休めて怪我が治るのか疑問でした。

しかし本人は周囲のことには我関せずで喚き散らしているのですから、お手上げ状態です。

患者さんには申し訳ないけれどホンとゾンビのようです。

前世で悪いことをして現世でそのお仕置きをされて発している様な叫び声なのです。

勿論軽い人もいますがこれを見たら誰しも喫煙はしまい、と思うでしょうね。

これでもやる人は意志の弱い人ですから仕方がありません、

うめき・わめき・うなり声を出して苦しんで貰いましょう。

中には吸引して貰っている間苦しいのでナースに向かって俺を殺す気かと暴言・罵声を浴びせる人もいる。

ナースは心得たものであなたを死なせないようにしているのでゴメンね、もうチョッと頑張ってねとやさしく声を掛けます。

吸引が済むと当然患者はスッキリするので楽になるのですが重症患者は直ぐにタンが絡んで来ますのでホンとイタチごっこです。

中にはタンで口をうがいする、とか言われていた人もいました・・・タンを飲み込んでしまうと誤嚥性肺炎を引き起こす可能性がある。

この悲惨な状態を見てしまえば喫煙がどれほど深刻な結果に繋がるか分かりそうなもの。

日本たばこ産業は今からでも遅くない、製造・販売を即中止するべきです。

世の中にはやって良いことは沢山あります。

是非それを追及して頂きたい。

そんな中救急車は24時間365日絶え間なくやって来る。

それが救急病院である。

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2024年6月 8日 (土)

リハビリ奮闘記

コルセットの出来上がり(2/8)以降直ぐに先ずベッドから降りて2本足で立って左右交互に足踏みをすることから始めました(リハビリ担当の先生の指示)。

これは簡単なようですがふら付いて中々上手く行かない(以前の自分だったらこんな簡単なことがと思いますがそれが出来ないのが現実なのです。実に歯痒い)。

特に昔から痛めている左足は全然持ち上げられない。

自分の足をこんなに動かせないとは全く信じられませんでした。

これが最初の印象です。

そこから少しずつやって行って足の上下運動が出来るようになってから漸く車椅子でリハビリ教室に移動です。

ここでも平行棒を使っての移動からスタートです。

足の前への踏み出しが怖くて出来ない。

何とか出来るようになると今度は庭の階段を見立てて簡単なブロック(3段・・・10㎝刻み)での昇降です。

少し出来るようになると庭の段差を目標に往復で60往復(120段・・・これ位やれば何とかなるだろう、と言う見込み)に挑戦です。

これも最初は休み休みでの往復がやっと・・・60往復には程遠い)。

これで疲れ果ていました(4月中)。

この時期よりベッド上で出来るリハビリ(自主トレと称していました)を10種類以上考えて日々トイレの後と3度の食事の後にやっていました。

少しでもリハビリの足しになればとの思いです。

5月に入ってやっと休み休みで60往復出来るようになりました(予定退院時(私自身が設定)までもう時間がないと分かっているので正直焦りましたが焦って腰・膝を痛めたら元の木阿弥なのでそこはリハビリの先生に従って行動しました)。

その後は順調に進み、60往復ノンストップで行けるようになったのはそれから直ぐ後のことでした。

この頃には平行棒の中ではハンズフリーで5往復出来るようになり、室内を5周(約50m)(我が家は障害物が多過ぎるのでそうは簡単にはハンズフリーで歩けません(泣く))歩くことが出来るようになりました。

ある程度波に乗れば結構ペースアップするモノですね。

病院の本物の階段を使っての練習も兎に角家の階段の段差がどの程度かハッキリ分からないのでそれがネックでした。

実際退院して家に帰ってから分かったのはそれ程差はないと言うことでした。

ある意味ホッとしました。

と言って油断してこけたらお終いです。

慎重に慎重に二度と入院しないをモットーに階段昇降をします。

2階の寝室は起床した後は当面夜寝るまで使わない・・・一人での昇降は回避する、と言うこと(ヘルパーさんがいる時はOK)。

自分の家なのに改めてこの環境に慣れるのに相当時間が掛かるのは覚悟しないといけない、と実感しました。

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2024年6月 7日 (金)

アマゾンが定期おトク便について粋な計らいをしてくれました(感謝)

私は1/29~5/23に亘り約4ヶ月の長期入院となりました。

そこで心配したのが定期お特便です。

私自身入院するなんて思っていませんでしたので普段は次月に購入しないものは取敢えずスキップしていました。

スキップすると言うことは当然欲しいものが増えて行きます。

当月になって最終的にキャンセルする候補品もあるのですが多くはスキップ扱いをして来ました。

従って入院した時取った行動は部屋からは電話は禁止なのですが、私は病院に掛け合って緊急事態なのでスタッフのスマホを貸して頂いて管理組合に電話させて頂くようにお願いしました。

私自身入院当初は全く動けない状態でしたので部屋から出て電話することも出来ないのでこれは特別に許可が下りました。

それでお願いの大半はアマゾンに対し定期おトク便・予約分のキャンセルを書いて頂き玄関に貼って頂くようにお願いしました。

果たしてこれが通じるかどうかは神に祈るのみでしたが、最近はアマゾン直下の町の個人事業者を利用した配達が主流を占めていましたので張り紙を見て持ち帰ってくれることを期待した訳です。

私が管理組合にお願いした文章からは随分端折った文章でしたが、私が入院中であることは伝わったようでした。

これは出水電器の島本社長に確認して頂きその後村田さんにも他の月に見舞いに来られた序に家に寄って確認して頂きました。

2~3月分は持ち帰って来れたようです。

その後4~5月分については置き配状態でした(私は以前から大きな荷物を置き配されてもドアを開けて自力で持つことが出来ない状態・・・杖2本使っていたので両手が使えない)。

アマゾンに対し理由を書いて置き配禁止したのですがやっぱりやったか、と帰宅時は怒りが込み上げて来ましたが、メールを見たら大半をキャンセル扱いしてくれていたのです。

中身を一応チェックして当面不要なものはキャンセルした、と言うことです(中身は私が考える内容とは一部違っていましたが消費期限に問題ないものが梱包されていました)。

アマゾンとしては売り上げは伸ばしたいのにここまでやってくれるとは思いませんでした(私自身大口先とはまるで言えませんが...)。

人によっては置き配は有難迷惑(回収に困難なことがあることを知って貰いたい)なのでこれだけは今後も守って頂きたい、と思いますが...。

最初はカスタマーに電話して文句を言おうか、と思っていましたが今回は思い止まりました。

今後は定期おトク便のスキップは止めるようにします。

そして予約分は私自身入院前に1件づつキャンセルして行ったのですが何ヶ月先までやっていたのか全体を見る時間も体力もなかったので直近分から1件づつキャンセルして行きましたが、やはり1件(最後の分)だけキャンセル漏れが出てしまいました(これはLPではなくCDでしたので置き配でしたが片手で持てるものでしたので大目に見ます)。

又HMVも同様の予約分がありましたがキャンセル出来ていないものがあり2日間に渡って配達されその後は持ち帰られました(HMVは置き配をそもそもしていない・・・これが普通)・・・退院時伝票を見てドライバーに直接電話して謝罪しておきました・・・いつも配達してくれる女性の方でした・・・声で分かりました。

置き配などは業者都合なのだから強要すること自体が間違っている

今後都市部のマンションなどの置き配で配達出来ていない事例が多発するのではないか、と他人事ながら心配している。

第三者の持ち去り事件が起きても不思議ではないからだ。

どうぞ持って行って下さい、と言っているようなものでしょう。

発送業者の都合で事故が多発するようなやり方が良いとは到底思いません(選択出来るように内容を改めるべきです)。

まぁ、今回の件は最低限の配慮をしてくれたことに感謝して筆を置きます。

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2024年6月 6日 (木)

我が闘病記

1/29、3度目の救急搬送によって今度は入院出来る病院を探して貰いました。

1/25、1/26のように帰されたら堪ったもんではないので...。

伊豆の国市の担当者の方にも協力して頂き救急車は走りながら入院出来そうな病院を伊豆の国市の担当者と連携しながら確認して貰いました。

昼過ぎに三島の病院に到着。

今回は腰の圧迫骨折と言うことでしたが私自身経験がないのでどの程度の入院になるかは皆目見当が付かなかった。

取敢えずコロナ病棟(仮)・・・コロナが流行した際に増設した部屋らしいに入室。

病院のベッドは転倒防止保護柵(高さ20~30cm)が付けられており患者の転倒防止を図っている、が患者には猛者がいてそれを乗り越えようと頑張っているのを発見され何度もナースから注意を受けているのが聞こえた(6回の部屋替えを通して幸いにも私の同居人にはそう言う人はいなかった)。

1/29から2~3日同じ夢を見た。

それは空間移動して我が家のいつも自分が座っていた部屋の椅子に陣取っている夢です。

あり得ないことですが自分が入院した事実が理解出来なくてそれが夢にまで現れているのです。

当然のことながら目の前にパソコンがあってもパソコンは使えないし、オーディオで音楽を聴くことも出来ません。

これは夢だってことは直ぐに理解しましたが3日間ほど続いたのは余程この入院事実を認めたくなかったのでしょうね。

そんな中、昔良く耳にしたのに「かもめが翔んだ日 」のアーティストの名前が出てこない・・・これがショックでした(渡辺真知子)・・・アルバムは持っていません。

どうも腰・膝の痛みが激しくて頭が真っ白け(記憶が翔んだ ・・・かもめが翔んだに掛けた)になったようです。

入院直後は点滴で栄養補充(食事が出来る状態ではありません・・・全く起き上がれないから)。

この状態での入浴は体ごとベッドからストレッチャーに移動させられ風呂場に直行、スッポンポンになってまるで俎板の鯉です(汗)。

2/2、一般病棟に移ってコルセットの採寸、2/8に出来上がった。

コルセット着用後は何とかベッド上を斜め起き(私は右利きだから右側へ起き上がる)しその状態で食事です(飲み物は全てストロー使用・・・斜めなのでこぼす恐れある為)

一安心と思ったら2/16コロナに罹った(どうも出入り業者の方が感染源らしい)。

この時はナースの皆さんも以前TVで見た完全武装の状態なので誰が誰だかさっぱり分かりません(汗)。

病院内での感染なので対応は早く重症化することもなく2/28には隔離解除(同部屋の最終解除者に合わせた為10日以上掛かった)。

ベッド上で座って食事が出来るようになったのは正直いつからかは記憶がないので分かりませんが徐々に起き上がりの角度を上げ普通に座って食べられるようになったのは暫くしてからでした(ここまではおむつの完全武装)。

それから少しづつバルーン装着前立腺の中を通る尿道にステントを挿入し、尿の通り道を開通させ、排尿出来るようにする治療法) の24時間いつでもおしっこが出来る状態のシステム・・・尿道にチューブを装着しチューブの後方の袋に貯めるようにしたもの。

2/29村田さんが病院へ来てTV面談(コロナが収束していないのでその代わりに病院が設定したようだ)の予約をした、とのこと。

その時村田さんからは1万円の差し入れがありました。

これは早速マスクの購入に充てさせて頂きました(私は入院の際、お金は一切、持って来ていませんでした)・・・カード類は持って来ました。

その後両膝のサポーター・更にはコルセット代とリハビリシューズ(2足)を購入(5/14に近く(と言っても5分以上の移動)のコンビニにリハビリの先生に車椅子を押して貰って10万円引き出し残金の内、5万円は自分で管理するのは危険(病室は24時間ドアは開いた状態なので病院の事務方に預かって貰い退院時に受け取りました)。

村田さんが私の入院先を探し出すのには相当な時間を要したようです。

私を運んだ救急車がどの消防署に属しているか当たりを付けて直接確認に行かれたようです、が個人情報の壁にぶち当たり中々教えて貰えなかったようです。

私自身は病院内を歩ける状態ではないので連絡が出来ません(病室からの電話は禁止・・・尤も私はスマホを持っていないので最初から出来なかった)。

村田さんの粘りの交渉で何とか他の場所で情報を教えてくれるかも知れないと言うことを聞き出し、そちらを訪問、何とか入院先を聞き出せた、とのこと(そもそも私が入院前に村田さんに今生のお別れみたいなメールを出した所為です・・・申し訳ありません、本当に駄目だと思いましたから)。

しかし個人情報の問題は度を過ぎると壁が出来て間に合わない、と言うこともあるので少し考え直して貰いたいモノですね(私はそのレベルではなかったけれど)。

入院から1ヶ月が過ぎて漸く知人(村田さん)に(TV画面ですが)会えたのはホンと嬉しかった。

私も車椅子でリハビリの先生に病院内の公衆電話があるところまで連れて行って貰えるようになってからは何人かに電話連絡したけれどリハビリの時間が減ってしまうのは本末転倒なので痛し痒し・・・この頃にはシャワー風呂と言って浴室に入って椅子に座って最初はナースの手で洗って貰いました・・・その後少しづつ自分で出来るようにして行きました)。

前と後ろだけは自分で洗いました(入浴は週一が多く一時的には週2回もありましたがスタッフ不足で元の週一に戻った時は正直がっかりしました)。

あっと言う間に救急病院の規約で2ヶ月が過ぎ、3/29、私は3階の障害者病棟に移り退院時までリハビリ・療養が続きました。

私が入院した時期は冬真っただ中の1/29です。

毎年恒例の指先のひび割れ(アカギレ)、霜焼け(何れも部屋の中にいてなるのですから如何に冬に弱いか、ですね)、それが入院して暖房が聞いた部屋で1日中過ごした所為で4月を迎える頃にはすっかり跡形もなく治ってしまいました。

逆に乾燥肌が一層ひどくなりました。

風呂も1週間に1回が殆どで余り効果がありません。

アメニティ(病院が契約しているパジャマ等の供給会社)で供与のニベア(保湿剤)を塗ってみましたが余り効果はなかった様に思います・・・退院後の今でも乾燥肌のまま。

市街地と違い湿度の高い山へ戻れば少しは改善するかも知れない、と神頼み状態です(汗)。

以前からアマゾンで保湿剤は購入しているので風呂の度に塗ろうかと思いますが、これが1週間に2度の入浴なので病院よりは多いのですが当分ヘルパーさん頼みなので仕方がありません(一人で入って転倒したのでは元も子もありませんから)。

色々なところで不自由と言うハードルが待ち構えているのが私の現状です(泣く)。

後半には村田さんが、掲示板のコピーを持って来られてトドの裁判は終盤に入っているとのことでした(トドは完全に参っていると言われていました)。

ただし和解案には応じずの気持ちは固いようです。

和解してしまうと今迄の苦労も水の泡ですので判決で金額が僅少になってもトドの懲戒免職・強制執行で二度と弁護士を名乗って悪さが出来ないようにしないと不完全燃焼になる・・・「鬼平犯科帳」からあいつは長谷川平蔵と名乗っていたこともありましたがまさに令和の時代では長谷川平蔵=トドがお仕置きされるの図であります。

私もトドの懲戒免職・強制執行を望んでいますので確実に勝ち取って頂くようお願いしました(兎に角全国津々浦々に被害者はおられます・・・和解ではそれらの方々の無念は晴れませんから。

(豆知識)

ナースの皆さんに励まされ楽しい入院生活を過ごせました。

皆さんの返事が兎に角明るく元気なのです。

良く耳にして記憶に残っているのが「はーい、アイよ」でした。

「はい、はい」等の二度返事は全く聞かれませんでした・・・病院の教育が良いことが良く分かりました。

入院中の食事は全て黙食でした・・・それも壁かカーテンの前で(家ではTVを見ながらです)。

又、当病院に入院された人の最高齢者は108歳と言うことでした。

現在も100歳超の方が入院されているようです。

なお私の同部屋の高齢者ベスト3は98、93、90歳(年齢は何かの切っ掛けで知り得たもの)でした(私自身部屋は6回変わっています)。

私自身は未だ若い方に属すると言われました(老々介護が現実問題となっていることが良く分かりますね)。

長生きは素晴らしいことだが、最後はピンピンコロリが宜しいようですね、皆さんに余り迷惑を掛けずに済みそうです。

なお↑の98歳のおじいちゃんは折り紙の達人でした。

毎日ベッドにちょこんと座り何も見ないで次々と作品を完成しナースや掃除のおばちゃんたちに見せて喜ばれていました。

私は掃除のおばちゃん経由見せて頂くようにお願いし見せて頂きお礼を言ってお返ししようとするとどうぞお持ち下さいと言われ、そのまま受け取り退院時持ち帰りさせて頂きました。

昔から折り続けているのでしょうね。

何も見ず折っているのは達人と言って差し支えないですね。

私自身部屋替えになってリハビリの際、以前いたこの部屋の前を通った時に入り口のドア(開放)に飾ってありました(ナースか誰かは分かりませんが飾ってくれたのでしょうね)。 

今でも入院されているのでしょうか。

お元気で...。

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2024年6月 5日 (水)

JOHN BUNCHのアルバム

今日紹介するのはJOHN BUNCHです。アルバムはJOHN’S BUNCH(’02)です。

メンバーはJOHN BUNCH(p&leader)、AL COHN(ts)、MILT HINTON(b)、URBIE GREEN(tr)、MOUSEY ALEXANDER(ds)です。

1.JOHN’S BUNCH[Take 5] (Luther) 

2.LOVE YOU MADLY [Take 1] (Ellington) 

3.WHO CARE’S  [Take 2] (Gershwin/Gershwin) 

4.CECILY[Take 4] (Luther)

5.ISFAHAN [Take 4] (Ellington/Strayhorn) 

6.JUST FRIENDS [Take 3] (Klenner/Lewis) 

7.CECILY  [Take 2] (Luther)

8.JUST FRIENDS [ [Take 2](Klenner/Lewis) 

9.JOHN’S BUNCH[ [Take 7] (Luther)

10.CECILY[ [Take 1] (Luther)

11.ISFAHAN[Take 2] (Ellington/Strayhorn) 

懐かしいジャズの香りがする良いアルバムです。

私はこう言うアルバムが大好きです。

消えずに残って行って欲しいですね。

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2024年6月 4日 (火)

宇多田ヒカ ルのアルバム

今日紹介するのは宇多田ヒカ ルです。アルバムはSCIENE FICTION(’24)です。

これは2枚組です。

何故か収納しにくい大きさのパッケージです(汗)。

宇多田ヒカルのデビュー25周年を記念したオールタイムベストアルバム!

1998年12月9日リリースのシングル「Automatic / time will tell」でデビュー以来、常に革新性と大衆性を兼ね備えたポップスをクリエイトし続けてきた宇多田ヒカル。

25年間に制作された全作品からアーティスト自身がセレクトしたCD2枚組、初のオールタイムベストアルバム。

26曲の収録曲のうち3曲はこのアルバムのために新たにレコーディングし直され、10曲は新たなミックスバージョンで収録。

また最新シングル「何色でもない花」に加え、書き下ろしの新曲1曲も収録。

25年間のキャリアを支えてくれたファンへの感謝と、常に自身の創造性をアップデートし続ける宇多田ヒカルのアーティスト性を浮かび上がらせた、まさに25年を経なければ創り得なかったアルバムです。

1.ADDICTED TO TOU(Re-Recording)

2.FIRST LPVE(2022 Mix)

3.花束を君に

4.ONE LAST KISS

5.SAKURA ドロップス (2024 Mix)

6.あなた

7.CAN YOU KEEP A SECRET(2024 Mix)

8. 道

9.PRISONER OF LOVE(2024 Mix)

10.光 (Re-Recording)

11.FLAVOR OF LIFE -Ballad Version- (2024 Mix)

12.GOODBYE HAPPINESS(2024 Mix)

1.TRAVELING(Re-Recording)

2.BEAUTIFUL WORLD(2024 Mix)

3.AUTOMATIC(2024 Mix)

4. 君に夢中

5.何色でもない花

6.初恋

7.TIME

8.LETTERS(2024 Mix)

9.BADモード

10.COLORS(2024 Mix)

11.二時間だけのバカンス (feat: 椎名林檎)

12.GOLD~また逢う日まで~

13.ELECTRICITY

14.SOMEWHERE NEAR MARSEILLES(マルセイユ辺り- (Sci-Fi Edit) [Bonus Track])

これは入院中の最後辺りに発売されアマゾンより送られてきたものです(入院前に行っていた予約取り消しに間に合わなかった・・・力尽きた)。

今となっては嵩張るLPでなかった為に退院祝いとして有り難く受け取って楽しみたい。

彼女らしいパンチのある歌唱で全曲楽しめました。

6月にはLPも発売されるようですが現在の私には無駄遣いは許されません。

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2024年6月 3日 (月)

今井美樹のアルバム

今日紹介するのは今井美樹です。アルバムはLOVE A PIANO(’08)です。

1.瞳がほほえむから( with河野圭)

2.年下の水夫(with小曽根真)

3.春の日(with武部聡志)

4.GOODBYE YESTERDAY(with倉田信雄)

5.遠い街から(with川江美奈子)

6.ルパン3世 愛のテーマ(with大野雄二)

7.PRIDE(with塩屋哲)

古いアルバムですが何故か聴きたくなったので少し前に中古で購入しました。

結構良い声で楽しめました。

これから暫くはCDのアルバムを楽しみながら記事をアップして行きたいと思います。

LPは中腰で両手で持ちプレーヤーにセットすることは当分危険なのでお休みが続きます。

退院後初のアルバム記事になります。

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2024年6月 2日 (日)

約4ヶ月間入院中に溜まったメールの仕訳処理完了

↑の件5/29に完了しました。

何件あったのかは分かりませんが迷惑メール・今となっては不要のメールを仕分けしてやっと完了しました。

そして分かったのは村田さんからのメールです。

私が入院前日のメールを見て伊豆の仲間に連絡して下さり、1/30には我が家の確認をして下さったようです(チョコさん、島元さん、hさん、鉄人wさん 、有難うございました)。

その時点では私が管理組合にお願いした文章(かなり端折ってあったが(苦笑))を見て入院したことは理解されたようです。

私自身この張り紙は主に宅配業者の方向けに書いて貰ったメッセージだったので入院先等は記載されていませんでした(管理組合は勿論知っていますが...。)。

そんな中、村田さんは入院先を確認すべく奔走されました(勿論管理組合に連絡出来たとしても個人情報の関係で教えて貰えなかったと思います・・・村田さんと私との関係を管理組合は知らないですから、例え知っていたとしても私から許可の連絡がない限り教えなかったでしょう(これは後で病院で村田さんと一緒に連絡した時、対応が難しいことを充分味わいましたから)・・・厳格に管理してくれている点は有難いですが今一、歯痒いところもあります・・・身内が婿養子に行ったら名字が変わりますからそう言う場合どうするのか・・・本人しか知り得ないことを話したら理解してくれるのか・・・難しいですね。)。

村田さんには入院中のお見舞い(5回)、退院時の病院~家までの送り迎えまでして頂き本当に有難うございました。感謝しかありません。

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2024年6月 1日 (土)

最後の断捨離

断捨離はかつて使用中のオーディオ機器・LPレコードの整理を兼ねてやったことがありますが今度は今後の生活(76歳になったので真剣にスリム化を図る)に不要なものを片っ端から片付けて行こうと思いました。

私一人では出来ないけれど今はヘルパーさんと言う強い見方がいますので私が要・不要を確認して家の中を片付けたい、と思っています。

多分ヘルパーさんも私が一人暮らしなのに家にこんなにモノが溢れているのは不思議だと思っていることでしょう。

例を言えば銀行員時代は必須だったyシャツは相当な数が眠っています。

背広もそうでしょう、年齢を考えれば不要なモノはごまんとある筈。

体も入院で多少はスリムになったのでモノもスリム化を図り、家に掛かる荷重(このレベルで言えば取るに足らないモノでしょうが...)と言うよりも心に掛かる荷重を減らしたいですね。

今はその良い機会だし、やるなら今でしょ!!(チョッと古いか)。

何事もポジティブに捉えてやって行くと毎日が楽しくなる。

手付かずの案件は山ほどあるので遣り甲斐はありますね。

先日の寝室の蛍光灯・2階の時計の復活に続いて5/31は洗面所の蛍光灯が復活しました(蛍光灯は直ぐに入手出来たのですが交換しても点かない、と言うことでバラシて頂いたところグロー球が見付かりました・・・これの寿命が終わっているようです、と言うことで5/30にグロー球の現物を持ち帰って同じモノを5/31に設置したところ見事蘇りました(古いモノには色々と泣かされますね)。

更にIHヒーターの上の換気扇の玉切れがあったので、ヘルパーさんに見て貰い球を交換して貰いました(白熱球(略生産完了・・・LEDに置き換え))の予備は買い溜めしていますが、何せ届かないので・・・)。

人感センサーを付けて凌いでいたが明るさによって点いたり点かなかったりするのでそう言うことに関係なく使えるのは有難い。

私が元気な時は思いも付かなかったことが出来そうな今、非常にワクワクしています。

我が家の唯一の和室(現状は段ボールの山となっています・・・先日ヘルパーさんの活躍で粗方片付いた(未だ残ってはいるが))を私は自分で出来ることをやろうと思って5/31、隅っこの封筒の中身をチェックしていたところ、静銀の現金封筒が数枚あったので念の為1枚1枚翳して中身がないことを確認していたら、何枚目かの封筒に影が...。

ひょっとしてゝ、と思い開けて見てビックリ新札の1万円が入っていた(これは封筒に一緒に入っていたその他の領収書等の日付から20年以上前に入れていたお金だと判明、現在は非常に物入りなので1万円と雖も有り難やゝでした(退院祝いとして授けてくれたのでしょう)。

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