本の紹介

2024年7月13日 (土)

日本列島地名の謎を解く・・・谷川彰英著

↑の本、読了しました。

第1章

聞いてびっくり!ユニークな地名

1 宮本武蔵[みやもとむさし](岡山県美作市)

こんな駅名があっていいのか!?

「武蔵の里」は観光用に売り出しているものだった。

宮本武蔵の生誕地に関しては複数の候補地があって、どこであるかは諸説あって定まらない。

この地に生まれたという説は、実は吉川英治の小説「宮本武蔵」に「郷里の作州 宮本村」と書かれていたことからさらに広まったという。

これはあくまでも小説上の話。

武蔵は自著「五輪書」で「生国播磨」と書いている。

「播磨国」は現在の兵庫県西南部であり、「美作国」はその隣で、現在は岡山県である。

2 南蛇井[なんじゃい](群馬県富岡市)

水戸藩主徳川光圀公に始まり、明治になって完成した「大日本史」には、「那射、今ノ南蛇井村」と記されている。

これできまり。

3 極楽[ごくらく](愛知県名古屋市)

この中心地は「高針村」と呼ばれていた所で、「極楽」となったのは1979年、猪高町大字高針から「極楽」となってつくられた町名である。

4 輪島[わじま](石川県輪島市)

島ではなく「鷲魔」だった!

それは昔、ここに鷲の悪鳥が棲んでいたという話である。

「昔鷲の悪鳥住しより鷲魔の名あり」と書いているのは1931年、石川県図書館協会が刊行した「能登名跡志」である。

5 己斐[こい](広島県広島市)

鎌倉期から明治に至るまで「己斐村」として長い歴史を刻んできたが、1911年に「己斐町」、さらに1929年に広島市に編入されて今日に至っている。

昔、神功皇后が西国の熊襲征伐に向かった折、県主が大きな鯉を献上したところ、皇后がたいそう喜ばれ、それにちなんで「鯉村」と名づけたのだという。

それがなぜ「己斐村」に変わったのか。

それは元明天皇が全国の風土記を編集するに当たって、「好き字」に改めよという勅令を出したことによる。

「好字」でしかも二字であることは、この1300年前の政策の名残である。

この「己斐」(鯉)は広島のシンボルで、毛利輝元築城になる広島城も別名「鯉城」とも呼ばれている。

6 桑原町[くわばらちょう](京都府京都市)

平安時代の初期に菅原道真という当代一流の人物がいた。

しかし、ライバルとして覇を競っていた藤原時平の讒言によって九州大宰府に左遷されることになった。

道真は失意のまま903年2月25日、大宰府で亡くなった。

ところがその後、時平が病死したのをはじめ、道真失脚の首謀者が死亡するなど不穏な出来事が相次いで起こった。

これらは道真の祟りだと都では恐れられたという。

実は桑原町は道真の領地だった所で、落雷で脅かされた都の中で、唯一雷が落ちなかったと伝えられている。

そこから、人々は雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と言って難を逃れるようになったのだという。

これが「くわばら、くわばら」の語源だ。

7 おとめ山[おとめやま](東京都新宿区)

「おとめ山」は「乙女」とは縁もゆかりもない。

江戸時代は将軍の「狩り場」だったことから「お留山」「御禁止山」と呼ばれていたことに由来する。

8 男女川[みなのがわ] (茨城県つくば市)

なぜ「水無川」が「男女川」に変わったのか、それは「男女」合わせれば「皆」だからである。

つくば市には「男女川」という美味しい日本酒もある。

9 向津具[むかつく](山口県長門市)

この向津具は大津郡に属していた。

この大津郡には九つの郷があって、その一つが「向国」であった。

意味からすれば「向こうにある国」である。

10 半家[はげ](高知県四万十市)

この「半家」は「ハケ」「ハゲ」といった「崖」にちなんだ地名である。

これは漢字が日本に入ってくる以前からあった地名で、これらの「音」に漢字を当てはめただけのことである。

同じ理屈で考えれば、「半家」は「ハゲ」つまり「崖」の意味である。

11 浮気[ふけ](滋賀県守山市)

漢字が入ってくるまでは「フケ」という音で伝えられてきた地名である。

意味は「低湿地帯」のことで、全国各地にみられる地名である。

しかし、「浮気」という漢字が当てられているのは、この守山市以外にはない。

12 十八女[さかり](徳島県阿南市)

この集落には湯浅姓が多い。

祖先の湯浅但馬守の位牌を見せて頂くと1189年9月16日没と記されている。

壇ノ浦で平家が滅亡した4年後ということになる。

その湯浅但馬守が姫君をかくまって8歳から18歳まで育てたという伝承から、「十八女」という地名がうまれたのだという。

13 乳頭温泉[にゅうとうおんせん](秋田県仙北市)

この温泉郷を懐に抱いている「乳頭山」にある。

この山の名は、頂上が女性の「乳頭」に似ているところからつけられたのだという。

乳頭って何歳ぐらいの女性の乳頭なのか、と尋ねると、古老は、「20歳だべがな」と答えてくれた。

14 吉里吉里[きりきり] (岩手県大槌町)

この地域は1889年に「大槌町」が成立するまで「吉里吉里村」と称していた。

「砂浜を歩きますと、キリキリと砂が軋みますでしょう。

そこでアイヌ人たちは砂浜のことをきりきりと呼ぶようになったのだそうですね。

ですから東北の海や川の近くには吉里吉里、ないしは木理木理という地名が沢山あると」

第2章

動物が地名をもたらした

1 飛鳥[あすか](奈良県)

真ん中に三輪山が座り、向かって左に龍王山、右に巻向山が翼を広げている。

「飛ぶ鳥の明日香」はこの山容に由来するのではないか。

2 熊谷[くまがや](埼玉県熊谷市)

「熊谷」の地名の由来として熊谷直実の父直貞が熊退治をしたという伝説がある。

熊谷家がこの地に知行を得たのは、直貞が熊退治をした功によるものだという点ではほぼ一致している。

3 鵠沼[くげぬま](神奈川県藤沢市)

「湘南」はもともとは「相模国」の南に位置していることから「相南」なのだが、中国湖南省の「湘江」にちなんで「湘南」とした。

「鵠」とは白鳥のことである。

「熊谷」は昔白鳥が飛来してできた地名である。

4 犬山[いぬやま](愛知県犬山市)

大縣神社は、女陰を祀る神社として知られ、田縣神社は男根を祀る神社として有名である。

田縣神社と大縣神社の関係で、安産の神が生まれ、その一つ大縣神社から、犬山にある針綱神社に玉姫が赴いたことになる。

現在の位置関係では、北西と言うよりは「北北西」に近いが、大まかにいえば「乾」の方角と言っても差し支えない。

「乾」が「犬」に転化することはよくある話である。

犬はもともと安産祈願の神様のような存在であり、そこから針綱神社が安産の神様になったことになる。

5 亀有[かめあり](東京都葛飾区)

ここは江戸時代以前は「亀無」「亀梨」と書かれていた。

「亀有」となったのは1645年のことだという。

幕府が国図を作成するに当たって、「なし」は縁起がよくないので、「あり」にしたというのだ。

6 猫実[ねこざね](千葉県浦安市)

鎌倉時代に永仁の大津波に遭い、部落は甚大な被害を被った。

その後部落の人たちは、豊受神社付近に堅固な堤防を築き、その上に松の木を植え、津波の襲来に備えた。

この松の根を波浪が越さじとの意味から「根越さね」と言い、それがいつの間にか猫実と称せられるようになり、本村の村名となったという。

7 狙半内[さるはんない](秋田県横手市)

江戸時代には「猿半内」と書かれていた。

「猿半内」が「狙半内」に変わったのは1889年の町村制の施行によるものである。

「狙」は「手長猿」のことで、「猿」も「狙」も大きな意味の違いはない。

矢口高雄が生まれた狙半内村は「(釣りキチ)三平の里」して売り出された。

8 虎姫[とらひめ](滋賀県長浜市)

昔、豊臣秀吉が造った町として知られる長浜。

その北に虎姫町という町があった。

2010年1月1日、他の5町とともに長浜市へ編入された。

東に伊吹山を望み、北部に「虎御前山」という山があり、これが「虎姫」の地名の由来になったとのこと。

第3章

都会で気になる地名の謎

1 青山[あおやま](東京都港区)

1591年は家康が江戸入府した翌年のこと。

青山忠成は家康より9歳年下だったが、幼児から家康の小姓を務め、家康の全幅の信認を得ていたと言われる。

現在の青山霊園がかつての青山家の屋敷跡である。

2 代々木[よよぎ](東京都渋谷区)

「代々木下屋敷井伊家の大樅」

つまり、今の明治神宮は江戸時代には井伊家の下屋敷であったということだ。

この古木は第二次世界大戦の空襲によって消失してしまって今はない。

だが、境内には新しい「代々木」が指定されているという。

3 梅田[うめだ](大阪府大阪市北区)

地元から言えば、やはり中心は私鉄各線が集まってくる「大阪」駅だということになる。

ところが、この「大阪」駅を名乗るものはJR線のみであって、他の私鉄や地下鉄は同じ場所に、ありながら「梅田」と名乗っている

なぜJRは「大阪」で私鉄は「梅田」なのか。

そこには国と大阪市の間の厳しい「仁義なき戦い」があった

現在の大阪と神戸の間に鉄道が敷かれたのは1874年のこと。

この「大阪」駅は現存しているJR駅の中では最古の駅として知られる。

この「大阪駅」は大阪の町のシンボルともいえるものであった。

ところが1889年に大阪市が発足するや、大阪市は市内の鉄道を一元的に管理しようと考えた。

鉄道の収入は莫大な額になり、それを押さることはすなわち市の収入を確保することにつながった訳なのだ。

そこで、大阪市は国に対して、私鉄が大阪市内に乗り込んでくるよう国に働きかけてきたら、それを拒否するよう裏工作をしたのである。

ところがその戦略は明治政府によってあえなく断られ、それ以降大阪市は国に対して抵抗の姿勢を貫くことになる。

もともと、秀吉の大坂時代から江戸に向けてライバル意識を燃やしていた大阪のことである

大阪市は「大阪」駅の、まん前に「梅田停車場」という駅を置いてしまった。

国がつくった「大阪」駅に対抗してである。

人々は「梅田ステンショ」と呼んだ。

すると、その動きを察知した阪神や阪急の私鉄が大阪に乗り入れる際に、そのターミナル駅として「阪神梅田」駅、「阪急梅田」駅が完成した。

さらに大阪市は地下鉄を整備するに当たって、御堂筋線は「梅田」駅、谷町線は「東梅田」駅、四ツ橋線は「西梅田」駅を置き、結局JRの「大阪駅」の包囲網が完成した。

つまり、国がつくった「大阪」駅に対して、大阪市が認定した私鉄・市営の駅はすべて「梅田」駅になったということである。

国と大阪市とのねじれ現象の結果がこのような結果を招いているのだが、大阪人の反骨精神が垣間見えて、これはこれで中々面白い

梅田と言う駅名の由来についてはこの地一帯は大阪市の北部で低湿地帯であった。

もともと田んぼの所を「埋めた」ところから「埋め田」だったのだが、イメージを変えるために「梅田」にしたに過ぎない

4 針中野[はりなかの](大阪府大阪市東住吉区)

この町名は江戸時代から開業している診療科の医院があって、その医院の名前から付けられた。

この地に電車が通ることになった時、この辺一帯を寄付して電車が通るのに貢献したとのこと。

それで、地元の人々は中野さんに感謝して「針中野」という駅名を付けたのだという。

そして、それが「針中野」という町名になったのだという。

5 立売堀[いたちぼり](大阪府大阪市西区)

「立売堀」は「道頓堀」のさらにその北を東西に流れていたが、今の「中央大通」の少し南に位置していた。

(株)花王の大阪事業所の入り口に「立売堀川跡」という小さな記念碑が建てられており、そこには1626年開削、1956年埋立」と刻まれている。

300年以上も大阪の街の発展に尽くしてきた堀ということになる。

肝心の「立売堀」の由来だが、「大坂の陣」の際、この地が伊達家の陣所となったことから「伊達(だて)堀」と呼ばれていたが、大坂の人にとっては「伊達」はどう見ても「イタチ」としか読むことができず、「伊達(イタチ)堀」と呼んでいたらしい。

古代においては「伊達」は「いだち」「いだて」と呼ばれていた。

その接頭語のような「い」が抜けて「だて」と呼ばれるようになった。

「伊達」がなぜ「立売」に変わったのか、はこの堀を利用して集めた木材の「立ち売り」が許されて商売繁盛したところに由来するという。

6 関内[かんない](神奈川県横浜市)

「桜木町駅」が明治の初めにつくられた、我が国最初の鉄道のターミナル駅であることを知る人は少ない。

当時の「新橋-横浜」間の「横浜駅」とは現在の「桜木町駅」のことだった。

横浜には、開港以来多くの外国人が居留地に住むことが定められたが、「山手」と「山下」の両方にわたっていた。

当時は日本人による外国人殺傷事件が相次いで起こっていた時期であり、幕府は出入りする橋のたもとに「関門」を設けてチェックした。

その内側が「関内」であり、外側が「関外」であった

発展を続けた横浜に1866年、大火が襲い、関内の3分の1が焼失してしまった。

幕府は居留地を使用している諸外国と協議して、復興を行った。

7 国分町[こくぶんちょう](宮城県仙台市)

「封内風土記」によれば、「昔「千葉上総介平五郎胤道」が宮城郡国分荘を領してこの城に居住したことによって国分と称されるようになった」

「千葉上総介平常胤」とは平五郎胤道の父であり、千葉常胤のことで、頼朝を助けて鎌倉幕府を開いた最大の貢献者と言われる。

地元の千葉市では、2018年に生誕900年を記念するイベントも行われている。

その五男が「胤道」で、一般に「国分胤道」と呼ばれている。

この「国分」は上総国の国分寺のある現在の千葉県市川市国府台に領土を拝したことによる。

この筋で言えば、仙台の国分町のルーツは千葉縁市川市であるということになる。

8 二階堂[にかいどう](神奈川県鎌倉市)

「二階堂」という苗字のルーツは「二階堂」という地名によるものだが、その地名は今も古都鎌倉に残っている。

「二階堂廃跡」・・・現代語訳はこの二階堂付近にはかつてお堂があり、それは奥州平泉にあった二階堂を模して造られ、永福寺(ようふくじ)と名づけられた。

頼朝が大軍を送り奥州平泉を征伐したのは1189年のことだが、その時頼朝が目にしたのが「二階堂」と呼ばれた大長寿院というお寺だった。

この寺院は宇治の平等院を模して造られたもので、正面中央に二階建てのお堂が据えられていた。

鎌倉に戻った頼朝が早速平泉で見た大長寿院を模して二階建ての寺院を建立しようと決意したのは当然の成り行きであった。

北条政子が二階堂にある藤原行政の家に赴こうとしたとある。

藤原行政のルーツは伊豆国であり、鎌倉幕府の要職を務めた行政が永福寺辺りに居を構えたことから「二階堂」を称したという。

9 雪ノ下[ゆきのした](神奈川県鎌倉市)

現在の「雪ノ下」のエリアは鶴岡八幡宮にほど近くなって地名が「雪ノ下一丁目」に変わる。

「吾妻鏡」によれば、頼朝は円暁の坊に出向いたとある。

相当な日陰地で、氷室を構える立地としては向いていたと言っていいだろう。

10 新宿[しんじゅく](東京都新宿区)

「内藤新宿」と呼ばれたのは、ここに高遠藩主内藤家の屋敷があったことによる。

今の新宿御苑である。

新宿はとても信州との繋がりが深い。

遊郭がつくられたことにより、多くの若い女性が飯盛り女として集められ働かされた。

彼女らは病気になって死ぬと投げ込み寺に葬られた。

新宿の投げ込み寺は、現在靖国通りにある成覚寺(じょうかくじ)である。

新宿にはもう一つの顔がある。

甲州街道沿いに玉川上水という上水路が流れていた。

政府は浄水場をこの新宿につくった。

場所は新宿西口一帯である。

1965年に東村山浄水場ができるまで、この「淀橋浄水場」が東京の水の供給源であった。

第4章

数字の示す意味は?

1 三田[みた](東京都港区)

「三田」は、もともとは「御田」であった。

「御田」という以上、朝廷や神宮に米を献納していたと推測される。

その献納先は今も三田にある「御田八幡神社」であったと思われる。

2 五箇山[ごかやま](富山県)

五箇山の由来に関しては、庄川沿いに「赤尾谷」「上梨谷」「下梨谷」「小谷」「利賀谷」(←これらの谷はたんまたはだんと読んでいる)の五つの谷間に集落が点在し、「五ヶ谷山」(ごかやま)と呼ばれていたのだが、それが変わって「五箇山」になったのだとガイドブック等では説明している。

3 六本木[ろっぽんぎ](東京都港区)

「六大名の屋敷があったので、それにちなんでつけられた」という説とこの地に六本の松の木があったという説の二つがあった。

どちらも信憑性に欠ける。

4 七五三引[しめびき](神奈川県伊勢原市)

大山詣での大祭中は、この地に「七五三引き」を行い、これより上には魚類を一切持ち込んではならぬ、という意味での「しめ」だったのである。

5 八景水谷[はけのみや](熊本県熊本市)

「八景」とは「ハケ」のことで、「崖」のことである。

「水谷」は文字通り「水の谷」である。

扇状地の遊水地であり、1924年に、八景水谷を水源地として整備された。

八景水谷を水源として得られた水は、近くの立田山に送水され、標高73㎡の立田山配水池から市内中心部に供給したという。

6 九度山[くどやま](和歌山県九度山町)

九度山町は空海が開いた高野山の麓にある町である。

空海の母が高野山を見たいと讃岐国からやって来たものの、高野山は女人禁制なので山に登ることは出来ず、政所に滞在せざるを得なかった。

そこで、空海はひと月に九度(・・・「多く」と言った意味だろう)、年老いた母を訪ねたところから「九度山」の地名が生まれたという。

慈尊院という真言宗のお寺がある。

この地に空海の母が滞在し、亡き後その霊を弔ったのがこの慈尊院なのだという。

7 十三[じゅうそう](大阪府大阪市淀川区)

十三の由来は淀川の十三番目の渡しであったと考えるのが妥当な線ということになる。

8 十八成浜[くぐなりはま](宮城県石巻市)

十八成浜の浜辺を歩くと「クックッ」と音が鳴る。

その音を「九+九」で十八と表記したことに昔の人のユーモアを感じる。

9 千日前[せんにちまえ](大阪府大阪市中央区)

法善寺横丁として知られる法善寺は浄土宗の寺で、この寺の隣に昔「竹林寺」というお寺があったという。

別に「千日寺」と呼ばれたという。

その「千日寺」の「前」だったので「千日前」という地名が誕生したのだという。

第5章

伝説を今に伝える地名

1 姫島[ひめしま](大分県姫島村)

大分県の北東に大きく突き出している半島が「国東半島」だが、その半島の北に小さく浮かぶ島が「姫島」である。

大分県にただ一つ残された貴重な村である。

崇神天皇の御世、一人の人物が今の敦賀にやってきた。

その乙女は難波に着いて比売語曾社(ひめこそしゃ)の神となり、さらにこの姫島村の比売語曾社の神となった。

姫は難波から来たものとされるが、大阪市東成区にも比売語曾神社が鎮座しているのだから、伝承といえどもバカにできない。

2 及位[のぞき](山形県真室川村)

この集落の裏手に「甑山」という山があった。

この山には、昔2匹の大蛇(山賊の類)がいて、悪行を繰り返していた。

そこに1人の修験者が通りかかり、何とかしてこの大蛇を退治しようと考えた。

修験者は、山の神の力で山腹をガラガラ崩して大蛇を埋めてしまったという。

大蛇のいなくなった「甑山」に入り、いわゆる「のぞき」の修行を始めた。

その後、修行を終えて、悟りを開いた修験者は、京に上って偉い層になり、時の天子から立派な位を授けられた。

こうして「のぞき」の修行から高い「位」に及んだことから、この地が「及位」と呼ばれるようになったという。

3 東尋坊[とうじんぼう](福井県坂井市)

その昔、荒木別所(福井市)に次郎市という若者がいた。

生まれつき力が強く、誰も次郎市にかなうものはいなかった。

しかし、力が強いだけではだめだと考えた次郎市は、比叡山に登って修行をし、のちに平泉寺(勝山市)に招かれて当仁坊と称したという。

その平泉寺には悪い僧も多くいて、その僧たちを当仁坊はことあるごとに諭そうとしていた。

ところが、悪い僧たちは当仁坊をけむたがって、「やつを消してしまえ」とたくらんでいた。

平泉寺では、毎年春になると三国港の先にある安島浦(今の東尋坊)に行って酒盛りをした。

当仁坊はもともと酒が好きで、大いに酔っぱらってしまった。

すると、一人の僧が、「当仁坊さん、向こうに見える船はどこの国の船かのう」と訊いたという。

当仁坊がよろよろと立ち上がって崖の縁に立ったところを、そばにいた僧が付き落としてしまった。

4月5日のことだった。

それまで晴れていた空が一転にわかにかき曇り、雨がどしゃ降りになり、稲妻が光り、岩に雷が落ちて多くの僧が死んでしまった。

さらに、炎は遠く東の平泉寺にまで及んで坊舎ことごとく焼き払ってしまった。

それ以降、毎年4月5日になると、どんなに晴天であっても、必ず激しいつむじ風が吹き、海が荒れるという。

その風は常に西から東に向かって吹くので、当仁坊はいつのころからか「東尋坊」と書かれるようになった。

伝説にはいくつものバリエーションがあって、この東尋坊そのものが悪者だったという話もある。

4 鉄輪温泉[かんなわおんせん](大分県別府市)

「豊後国風土記」には「玖倍理の湯」の温泉が記されているが、これが鉄輪温泉だろうとされている。

この湯は「加直山」の東にあり、この「加直山」が「鉄輪温泉」に転化したのではと考えられている。

5 鬼無里[きなさ](長野県長野市)

平成の大合併によって今は長野市一部になってしまっているが、もとは上水内郡「鬼無里村」であった。

主人公の名前は「呉葉」。

摩天に祈って生まれたという呉葉は生まれつき特殊な能力を持っていたらしい。

縁あって都に上り、源経基に仕え、「紅葉」と改名し、経基の寵愛を受けることになる。

ところが懐妊すると、正室を退けようと妖術を使い、夫人を病に陥れてしまう。

この陰謀が露見して、紅葉は信濃国の戸隠山中に追放されることになる。

紅葉は都の生活が忘れがたく、戸隠の近くの「水無瀬」の里を都に見立て、「東京」(ひがしきょう)、「西京」(にしきょう)を配した。

しかし、都では、紅葉が高貴な身分を利用して暴虐・乱行をきわめているという風評が流れ、天皇はついに平維茂に討伐を命じた。

維茂はいったん紅葉軍に敗北を喫するも、祈りをささげて戦い、ついに紅葉の首を打ち取ってしまう。

紅葉の首はこつぜんとして空に舞い上がり、どこかに消え失せてしまったという。

時に享年33であった。

この土地はもともと「水無瀬」であった。

だが、この伝説が生まれてから「鬼無瀬」となり、さらに「鬼無里」となったのだという。

面白いのは、鬼無里には今でも「東京」「西京」という地名が現存し、紅葉が住んだという屋敷の跡も「代理屋敷跡」として記念碑が建てられている。

6 鴻巣[こうのす](埼玉県鴻巣市)

鴻巣の由来に関しては鴻神社にまつわる伝説として各種の本に書かれている。

昔ここに大樹があって樹神と称していた。

鴻が来て枝の上に巣をつくったが、そこに大蛇が現れて卵を飲み込もうとした。

鴻は大蛇を嘴でつつき殺してしまった。

神は人に害を及ばさなくなり、白鳥には害を除く益があるということから、「鴻巣」と呼ばれることになり、ついには土地の名になった。

7 姨捨[おばすて](長野県千曲市)

「姨捨山」は駅の裏手に連なる「冠着山」を指していたらしい。

若い息子が年老いた母を背負って山の中に入っていくと、「ポキッ、ポキッ」と枝を折る音が聞こえてきた。

山の奥に母を置いて帰ろうとした頃にはとっぷりと日が暮れて、辺りは真っ暗になってしまった。

すると母は「さっき、木の枝を折ってきたので、それを目印に帰りなさい」という。

その母心に胸を打たれた息子は、母を棄てることが出来ずに家に連れて帰り、密かにかくまっていた。

ある時、その国の殿様が隣の国からとんでもない無理難題を突き付けられた。

そこで、あの息子がかくまっている母に訊いてみると造作もないことだと教えてくれた。

また隣国の殿様が別の無理難題を突き付けた時、またしても解決策を教えてくれた。

殿様は、それ以降、老人を山に棄てることをやめさせた。

ここまで聞くと、姨捨山の棄老伝説は老人を大切にする話だったことがわかる。

8 走水[はしりみず](神奈川県横須賀市)

その昔、浦賀水道を渡ろうとした日本武尊が嵐に遭い、入水した弟橘媛によって助けられたという伝説が残されている。

相模国から一行を送り出した立場にあり、その意味で、神社名にも「走水」が強調されている。

9 女化[おなばけ](茨城県牛久市)

昔、根本村というところに忠七という若者がいた。

この里で一匹の狐を狙う狩人を見付けた。

忠七は狐を不憫に思い、大きなせきをして、狐を逃がしてやった。

ところがその日の夕べ、奥州から鎌倉へ行くという一人の男が、二十歳ばかりの女を連れて、一夜の宿を貸してくれと涙ながらに頼んだという。

不憫に思った母と忠七は二人を泊めてあげたのだが、翌朝起きてみると、男はすでになく、若い女はしばらくここに置いてほしいと頼み込んだという。

やがて、この女は忠七と結婚し、3人の子供も授かったのだが、ある日涙を流しながら、自分は昔根本が原で助けられた狐であって、人に悟られてしまった以上、一緒に住むことは出来ないと言って、穴に隠れてしまったという。

これは鶴の恩返しの話と同じものである。

10 鬼首[おにこうべ](宮城県大崎市)

その昔、征夷大将軍として坂上田村麻呂が東征した際、鬼と呼ばれていた敵の大将の大竹丸を追ってこの地で首を刎ねたことから「鬼切部」と呼ばれていたが、いつの頃からか「鬼首」というようになった。

11 不来方[こずかた](岩手県盛岡市)

三ツ石神社に「不来方」をめぐる伝説が残されている。

その昔この地方に羅刹という鬼が住んでいて、住民を苦しめていた。

そこで三ツ石の神が鬼を石に縛り付けたところ、鬼は再び悪さをしないことを約束し、その証文として三ツ石に手形を押したという。

こうして鬼が再び来ぬようにということで、この地を「不来方」と呼ぶようになったという話である。

やがてこの地に進出した、盛岡藩の2代藩主が「不来方」は「心悪しき文字」と忌み嫌い、「森が崗」に改称したという。

その後いつしか「森崗」と転化し、4代藩主の代に「盛岡」と変えられたという。

「盛り栄える」という縁起をかついだ名称である。

第6章

古代史をたどる地名

1 不知火[しらぬひ](熊本県宇城市)

「不知火町」と言えば、「知らぬ人」がいないほど知られた町だったが、平成の大合併によって、「宇城市」という名称の市に統合されてしまった。

2 崎玉[さきたま](埼玉県行田市)

古墳群の外れに「埼玉」の地名の由来となった「前玉(さきたま)神社」がある。

3 安房[あわ](千葉県)

「安房」は館山市・鴨川市・南房総市一帯を指す。

阿波の斎部(いんべ)が阿波国から総国(現在の千葉県)に移ったと書かれている。

4 間人[たいざ](京都府京丹後市)

聖徳太子の母親は「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」と言った。 

この地に滞在中、里人の手厚い持てなしを大いに気に入って、斑鳩に帰ろうとした際、自分の名前を村に与えようとした。

しかし、村人たちは皇后さまのお名前を頂くことなぞ滅相もないとして、皇后が「ご退座」されたというところから「間人」を「たいざ」と読むことにしたのだという。 

5 安曇野[あずみの](長野県安曇野市)

「安曇」という地名は、その昔、九州地方に勢力をもっていた安曇族がこの地に移住してきたことによる。

もともと安曇族は海洋民族で、日本各地にその痕跡を残している。

6 宍道湖[しんじこ](島根県松江市)

「出雲の国を治めておられた「(大国主命)が犬を使って猪狩りをされました。

(猪の通った道という意味から)この地域を猪の道=宍道(しじ)と呼ぶようになりました」。

かれこれ1300年前の話である。

東北地方に見られる「鹿踊り」も「しし踊り」である。

7 金華山[きんかさん](宮城県石巻市)

江戸時代に金を生んだ神様として崇められるようになったことから、その島は金華山と呼ばれるようになった。

8 善光寺[ぜんこうじ](長野県長野市)

「善光寺」という寺の名前は「善行(よしみつ)」という一人の人物名によっている。

お釈迦様がいた頃、インドに月蓋(がっかい)という長者がいた。

信仰心のない男だったが、娘の「如是姫」の病を治してくれたことから阿弥陀如来を崇めることになり、それがやがて百済国に渡り、さらに日本に伝えられたのだという。

これが日本に伝えられた最古の仏像であったが、結局仏教を信奉しようとした蘇我氏にこの仏像の所管を任せることにした。

ところが物部氏が攻撃をかけ、この仏像を堀江(運河)に投げ捨ててしまった。

その後しばらく時が経ってのこと。

信濃国の本田義光という人物がこの地を通りかかったところ、どこからか「義光、義光・・・・」と呼び掛ける声が聞こえた。

すると、「我を信濃に連れて行くように・・・・」とおっしゃたという。

そこで、自分の故郷の伊那(現在の飯田市)に持ち帰り、そこに「坐光寺」いうお寺を造り、阿弥陀如来を祀ったという。

ところが41年後に水内群(みのちのこおり)(今の長野市)に移すことになり、その寺の名を本田義光にちなんで「善光寺」とした。

そこで伊那の坐光寺は「元善光寺」と呼ばれることになった。

およそ、今から1400年も前のことである。

義光が阿弥陀如来を拾ったとされる大阪府藤井寺市小山にも「元善光寺」というお寺があり、藤井寺・飯田・長野というルートで善光寺は移動していったことになる。

善光寺が今のような盛況を迎えるのは鎌倉時代以降のこととされている。

9 比叡山[ひえいざん](滋賀県大津市)

「延暦寺」という寺号を嵯峨天皇から賜ったのは、最澄没後のことであった。

「延暦」は桓武天皇の時の元号であり、元号を寺号として下賜したという点に、いかに朝廷が延暦寺を重視していたかが表れている。

最澄が薬師如来を本尊とする「一乗止観院」を点てたのは788年のことで、それ以降、この比叡山に三塔十六谷の堂塔が建立され、天台宗の総本山となった。

一乗止観院のちに根本中堂となるが、幾多の戦火で焼失し、今の建物は三代将軍家光によって建立されたもの。

国宝に指定されている。

さて比叡山の前は何と呼ばれていたか。

実は「比叡山寺」という名前だった。

10 太秦[うずまさ](京都府京都市)

この地に渡来人の秦氏が住むようになって、その秦氏と聖徳太子は主従関係を結ぶことになった。

当時の秦氏の中心人物・秦河勝のもとに太子から贈られたのが広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像ではないかと言われている。

この弥勒菩薩は法隆寺の夢殿に安置されている弥勒菩薩とほぼ同じ形態をしており、朝鮮半島の影響を受けたものである。

「日本書記」によると、秦の一族がばらばらに散らばっていたので、秦酒公はうまく統制出来なかった。

そこで天皇が詔を出して秦酒公のもとに馳せ参じるべしとしたので、秦氏は感謝の気持ちで天皇に絹を献上し庭にうずたかく積んだので「兎豆麻佐(うずまさ)」という姓を賜ったという。

秦氏は半島を通じて養蚕や酒造の技術を日本にもたらしたとされ、その後の日本の産業の基礎をつくった。

第七章

武人たちの鼓動を伝える地名

1 鵯越[ひよどりごえ](兵庫県神戸市兵庫区)

 「一の谷の合戦」で、義経が「鵯越」を敢行し、山の上から一気に駆け降りる、いわゆる「逆落とし」で平氏を打ち破ったというのは有名な話だ。

ただ、この由来に関してはいくつかの説があるが、正解はない。

2 蹴上[けあげ](京都府京都市東山区)

「蹴上」という風変わりな地名の由来は、義経に水を蹴ったところからきている。

3 相去[あいさり](岩手県北上市)

寛永年間、岩手県の江刺・胆沢両郡が伊達政宗の領地に、和賀以北が南部利直の所領に、それぞれ定められたのだが、どうもその境目がはっきりしない。

境目をはっきりさせようと、伊達の殿から南部の殿に申し入れがあった。

「双方が同日同時刻、午に乗ってお城を出て出会った所を境にしようと」という提案である。

これは南部侯にとっ有利と思える提案であった。

結果は南部侯は牛に乗って来たにも関わらず、何と伊達侯は「馬」に乗って来ているではないか。

これは伊達侯の作戦勝ち、という落ちである。

単なる読み間違いであった。

結局、伊達侯と南部侯はここを「相去って」「相去」という地名が生まれた。

4 桶狭間[おけはざま](愛知県)

桶狭間とは「崖地」で「狭くなったところ」でこの上もない難所であった。

5 安土城[あづちじょう](滋賀県近江八幡市)

安土はもともとは(あど)と呼んでいたようだ。

安土城跡は190㎡の高さの頂上にある。

私も大昔、ここを訪れたことがあります(当時は特に感慨はありませんでしたが何もない、が印象的でした)。

6 関ケ原[せきがはら](岐阜県不破郡関ケ原町)

「不破」とは、いかにも軍事的な目的で命名されたことが明白で、その流れの中から「関ケ原」という名称が生まれたとされる。

中世においては「関ケ原郷」、関ケ原の合戦以降の近世には「関ケ原村」となり、1928年に「関ケ原町(ちょう)」となって現在に至る。

7 巌流島[がんりゅうじま](山口県下関市)

この島が決闘の地で、伝承によると、武蔵の一振りで勝負が決したという。

しかし、どうやら真実は闇のままだ。

最近の情報だと、武蔵は先に来ていたとか、小次郎は青年ではなく70歳を超えた老人であったという説まで出ている。

ただ、勝負に負けたのが小次郎だったことは事実で、この島の名を小次郎の流派から「巌流島」と名づけたのだろう。

島の一角に小次郎を悼む碑が建てられている。

8 田原坂[たばるざか](熊本県熊本市)

この田原坂は、なだらかな丘を掘りぬいて道が通っていたのである。

この道は、西南戦争からさらに300年さかのぼった時代に加藤清正公が造ったものである。

問題は「田原坂」の意味である。

東日本の人間から見ると「原」を「バル」と読むのは違和感があるが、西日本ではごく当たり前である。

もともと「ハリ」「ハル」とは「開墾」を意味している。

この「田原」も「田畑などを開墾した地」といった意味である。

第8章

北海道開拓がもたらした地名

1 知床[しれとこ](北海道東部)

「知床」はアイヌ語の「シリエトク」に由来すると言われ、「大地の頭の突端」あるいは「大地の行きづまり」という意味である。

2 幸福駅[こうふくえき](北海道帯広市)

この地域一帯は明治時代に主に福井県の人々が移住して開発された所であった。

「幸福」の「福」は「福井県」の「福」なのである。

札幌市の隣にある「北広島市」は明治17年以降、広島県から移住したことが縁でつけられた地名である。

3 定山渓[じょうざんけい](北海道札幌市)

「定山渓」という地名は「定山」という一人の僧がこの温泉を開拓したという史実から命名されたものである。

温泉場に至る道は難所続きの険しい山道で、病人や怪我人を連れて行くのは、とても不可能であった。

念願の道路が完成したのは1871年のことであった。

この年、時の東久世開拓使長官が定山の功績を讃えて、この地を「定山渓」と命名したとのことである。

第9章

都市名に隠された歴史

1 仙台[せんだい](宮城県仙台市)

陸奥・仙台藩の初代藩主である伊達政宗が名づけた「仙台」は「岐阜」と名づけた織田信長を意識しての命名らしい。

2 会津若松[あいづわかまつ](福島県会津若松市)

「古事記」では、「相津」という漢字を使っている。

その「相津」が後に「会津」に転化したということになる。

「津」は言うまでもなく「湊」を意味するのだが、かつてこの「会津平野」(地元ではこう呼んでいいる)は湖であったと言われている。

現在の会津若松一帯を長く支配していたのは葦名氏であった。

伊達政宗がその葦名氏を攻め、政宗が一時この地を治めることになるが、秀吉の「奥州仕置」によって政宗は岩出山城に移ることになる。

その代わりにこの地に入ったのが近江国の蒲生氏郷であった。

氏郷はやむなく故郷を捨てて黒川に移ったとされ、故郷にあった「若松」という地名をとってこの地を「若松」と名づけ、城の名前も「会津若松城」とした。

3 平塚[ひらつか](神奈川県平塚市)

原文は「平らかなる」でそれを「平になった」と訳しているが「平であった」と訳すのが正しい。

坂東の武士のもとに嫁ぐ途中で亡くなった政子への思いを後世に伝えようとしたメッセージであろう。

そうなると「平塚」の「平」は平氏のことになる!

4 松本[まつもと](長野県松本市)

信州松本地方には、甲斐国・武田信玄の影響が、かなり強く残っている。

松本地方が昔、ある期間、武田信玄に一方的に支配されたという歴史がある。

32年間、武田によって支配されてきた深志城を取り戻した小笠原貞慶は、「今後、深志を改めて松本と号す」

5 名古屋[なごや](愛知県名古屋市)

徳川家康がこの旧那古野城跡に巨大な城を造ることを命じたのは1609年のことであり、5年後には金の鯱が輝く名古屋城がほぼ完成した。

現在の名古屋の基礎をつくったのは外ならぬ家康であった。

「名古屋」のルーツは「根古谷」だった。

「根古谷」が「那古野」になり、家康によって「名古屋」とされたと考えることが出来る。

6 岐阜[ぎふ](岐阜県)

当時は「稲葉山城」と呼ばれていたが、1567年織田信長が斎藤龍興と戦って勝利を収め、城下の「井之口」という地名を「岐阜」と改称した。

それにちなんで「稲葉山城」も「岐阜城」と改称したという。

「岐阜」の由来は沢彦宗恩が「岐山・紀陽・岐阜」という三つの地名を提案し、信長が選んだとされている。

信長の頭には居城した金華山が(左右を見分けることが出来る大きな崗)に見えたのではないか。

天下を取る人ならではの着眼点である。

7 金沢[かなざわ](石川県金沢市)

兼六園の髄身坂の出口から出てすぐの所に金澤神社があるが、その一角に「金城霊澤」という井戸があり、これが「金洗澤」だと伝えられる。

前田利家が納めた間は、意図的に「尾山」と使ったという。

それは利家が「尾張」出身だったからともいう。

8 富山[とやま](富山県富山市)

海から3000mもの山並みを望めるのは、日本広しといえども、この富山だけだ。

城郭を「富山寺(ふせんじ)」という寺の境内に建設したことにより、「外山」を「富山」に改めたのだという。

「富山寺(ふせんじ)」はその後「普泉寺」と名を変えたが、明治の頃に元の字に改められ手今も現存する。

9 福井[ふくい](福井県福井市)

柴田勝家が築城した城は「北ノ庄城」と呼ばれた。

賤ケ岳で秀吉に敗れ、最後は北ノ庄城でお市の方とともに自刃してその生涯を閉じた。

北ノ庄城はわずか8年の命だった。

江戸時代になって越前に入府した結城秀康は、今の福井城址に築城して北の庄の町を整備した。

しかし、三代藩主松平忠昌が「北ノ庄」という地名から「福居」に変更した。

「福井」のルーツは「福居」にあった。

10 高槻[たかつき](大阪府高槻市)

この地は元々「ツキノキ」(槻ノ木)が自生していた所だと推測される。

高槻市のマークはこの「槻ノ木」をシンボルとして使っている。

本丸はどこにあったかというと、その名もずばり「大阪府立槻ノ木高等学校」がある地点だという。

「城跡公園」のすぐ隣だ。

矢張り、高槻は「槻ノ木」に発しているのだ。

11 堺[さかい](大阪府堺市)

この地が摂津国・河内国・和泉国の「堺」にあったというところからついたとされる。

余談だが、CMで有名な「サカイ引越センター」のルーツがこの堺市である。

昭和46年に新海商運(株)が堺営業所を開設したことがきっかけで、昭和56年に「堺引越センター」となり、平成2年に「サカイ引越センター」と改称した。

12 姫路[ひめじ](兵庫県姫路市)

「姫路の十四丘」の伝承の最後が、「日女道丘」で後に「姫路」という香しい地名になったということである。

姫路城が建っているこの丘が「日女道丘」である。

13 松江[まつえ](島根県松江市)

かつて中国の呉に松江という所があって、そこの名産だった鱸とじゅんさいが共通しているので、「松江」と名づけたというのである。

14 高知[こうち](高知県高知市)

一豊公は1601年6月、「大高坂山」に城地を定め、2年後に本丸が完成した時、在川和尚に相談したところ、「河中山(こうちやま)」でどうか、という上申があった。

ところがその後、南と北を流れる川に洪水が起こったため、二代藩主が空鏡上人に申し付けたところ、城地を「高知」と名づけたのである。

高知の城下は「鏡川」、「江ノ口川」の二つに挟まれたエリアにあり、その地形は今も変わっていない。

15 福岡[ふくおか](福岡県福岡市)

黒田長政は「福崎」と呼ばれていたこの地を「福岡」という地名に改称、そこから「福岡城」という城名も誕生した。

その福岡という地名は、黒田氏ゆかりの備前国「福岡郷」からとったものである。

現在は「岡山県瀬戸内市長船町福岡」という地名になっている。

16 熊本[くまもと](熊本県熊本市)

「熊本」という地名は、熊本城の初代城主となった加藤清正が命名したとされる。

熊本城を完成した1607年にそれまで使われていた「隅元」を「熊本」に変えたというのである。

17 豊見城[とみぐすく](沖縄県豊見城市)

「グスク」は通常「城」という漢字があてがわれることが多いが一般には、①聖地拝所説、②城節、③集落説などがその由来とされる。

琉球には14世紀から15世紀にかけて、北山、中山、南山という三つの勢力が覇を競っていた。

この豊見城は南山の最北端に位置する砦である。

三山を統一したのは尚巴志という人物で、ここに琉球王国が成立した(1429年)。

那覇はその都として大いに栄えた。

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これは実に面白い本でした。

地名は私にとっても興味があったのですが、中々買ってまで読むという勇気が今まで湧きませんでした。

この本も入院前に買っておいたものですが読み始めたら一気呵成に読み進めました。

地名の由来等は全く知らないことばかりでしたので大いに勉強になりました。

普段何気なく見聞きしている地名にこんな由来があったのだと自分が新発見でもしたかのような興奮を覚えたものです。

谷川彰英氏はALSという難病にもかかわらずこの本を認められました。

先ずはそのことに対して敬意を表したいと思います。

読み終わって少しはまともな日本人になったかもしれないと思い、感謝申し上げます。

有難うございました。

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2024年7月10日 (水)

眠れなくなるほど面白い 図解 老化の話・・・長岡功 総監修

 ↑の本、読了しました。

第1章

「老化」の不思議を科学してみると?

01 生き物ってなぜ老化するのだろう?

最近まであまり考えられていませんでした。

150年くらい前の19世紀(江戸時代末期から明治時代)には、人々はおおよそ50歳ぐらいで亡くなっていたからです。

20世紀にはいると、医療(特効薬の発見)、衛生、栄養などの生活環境が飛躍的に良くなり、寿命がどんどん伸びました

今では男女ともに平均寿命は80歳を越えています。

ヒトは「生き物は(ヒト)はなぜ老化するのか」と考えるようになりました。

「死にやすくするため」が答えです。

02 体が老化するってどういうことだろう?

共通した特徴があるんです

それは「小さくなる」です。

老化すると、体ははなぜ小さくなるのか

細胞と細胞の周りの大事な成分が減るからです。

血液の赤血球は骨の内腔の骨髄でつくられますが、寿命は120日で、最後は脾臓でこわされます。

この「つくる」と「こわす」のバランスが崩れ、「こわす」側に傾くと細胞数が減る

細胞の周り(間質)にもタンパク質、糖質、脂質が詰まっていて、この間質成分も歳を重ねると減少します。

細胞と同じように「つくる」と「こわす」のバランスが崩れ、「こわす」側に傾くと間質性分も減ってしまう。

これらが同時に発生し、細胞と間質性分の減少によって臓器が小さくなる

そこで体も小さくなるという仕組みなのです。

03 何がどうなったら体は老化するのだろう?

共通した特徴が2つあります。

①悪いモノが溜まる(蓄積)

さまざまな要因で形が変わってしまい(変性)、「つくる」と「こわす」のバランスが崩れて溜まってしまう。

②良いものが不足する(欠乏)

幹細胞の減少、ホルモンや補酵素の不足

幹細胞は各器官で働く細胞を生み出す大本の細胞です。

”ホルモン”はさまざまな器官でつくられて分泌されます。

生物の正常な状態を支える大切な物質です。

”補酵素”は細胞の中で働き、さまざまな酵素を助ける物質で、ビタミン類や微量金属類があります。  

04 身体を構成する細胞が老化するってホントなの?

私たちの体は270種類の細胞が約37兆個集まってつくられているんです。

一番多い細胞は血液の”赤血球”

全体の2/3を占めるといいます。

染色体末端の”テロメア構造”の短縮(回数券説)が老化を進めることが証明されたのです。

放射線や紫外線などのさまざまなストレスでも細胞は老化するとの「細胞老化の特徴」も明らかとなる。

「老化細胞は体の中の至るところにいる。歳を重ねると老化細胞数が増える。体にとって悪い因子(細胞老化関連分泌形質)を分泌して慢性炎症を引き起こし、体全体に悪影響を与える」ことが明確化していきました。

きわめつけは、老化した細胞を選択的に殺す方法が見つかったことです。

その処理によって老化を遅らせることが動物実験で判明しました。

05 老化するとどうして体の動きが鈍くなるの?

骨量が減ると骨折の原因となり、筋肉が小さくなると筋力が落ちたことで咄嗟の動きができず、走れなくもなります。関節軟骨も擦り減ると痛み、関節の動きがぎこちなくなります。

最近、食品に含まれる成分に老化細胞を除去する作用やSASP因子を抑制する作用が発見され注目されています。

06 老化のスピードは遺伝で決まっているの?

遺伝子が3~4割、環境が6~7割と答えます。

国民総生産(GDP)と寿命の長さとが相関するという現実があります。

先進国では平均寿命が長く発展途上国では平均寿命が短い。

早老症(ウエルナー症候群等)とは何か、そしてそのケアは?

残念ながら、ウエルナー症候群もハッチンソン・ギルフォード症候群も根本的な治療法はいまだに見付かっていません。

対症療法しかないのが現状です。

07 老化したら元に戻れないってホントなの?

「老化はもとに戻れるか?」答えは「戻れない」。

そもそも老化の定義としては、元に戻れないのが老化である

08 心(脳)が老化するってどういうこと?

脳は老化するわけです

神経細胞は分裂しないため複製老化とは無縁です。

歳を重ねると脳は小さく(萎縮)なります。

脳が小さくなっても認知症になるわけではありません。

認知症を発症するには、萎縮に加えて、「悪いものが溜まり、良いものが不足する」ことが必要です。

代表的な認知症が「アルツハイマー病」ですね。

09 日常生活が変わると老化がどんどん進んでいくの?

精神的にストレスを感じると、腎臓の上にある副腎から”コルチゾール”というストレスホルモンが分泌されます。

コルチゾール過多は、脳に老人班が溜まりやすいという研究が宝報告されているのです。

10 老化するってなんなの?病気なの?

(現時点の)答えは「病気ではない」です。

今後、時代が進むと「老化は病気だ。だから治療しよう!」と普通に会話する日が訪れるのかもしれません

目指せ!スーパーセンテナリアン

2022年9月1日現在、百寿者は90526人です(内、女性は80161人、男性10365人)。

100歳以上の方を「センテナリアン」、110歳以上の方をスーパーセンテナリアンと言うそうです。

歳だから「できない」ではなく「やるかやらないか」という強い意志のもとで「生きがい」を見付けることが出来れば充実した人生が送れそうですね

「生きがい(自利)と「笑顔で自分も他人も幸せ(利他)」という生き方を完遂できるかどうかが生活環境での長生きの秘訣だ。

第2章

老化するとどんな症状・病気に罹りやすいのか?

01 老化するとどうして歯周病が増えるのだろう?

老化によっては歯が十分に磨けなくなることがあり、バイオフイルムの除去が十分にできなくなる

それがもっとも大きい理由となっています。

口内の乾燥は加齢で進み、バイオフィルムがさらに強くなる

免疫機能の低下や生活習慣の乱れがあると、感染症である歯周病は進展しやすくなる

現在は国民に毎年の歯科健診を義務付ける「国民皆歯科健診」制度の検討を明記している

02 老化で呼吸する力が衰えるとどんな病気になるの?

呼吸は、息を吸う動作(吸気)と息を吐く動作(呼気)からなっています。

呼吸で大事なのは、大きく息を吸って吐くこと。つまり。深呼吸をすること(寝転んで大きな呼吸をすると胸焼けを起こしかねないからダメ)。

機能的残気量の増加は肺気腫に近い症状となります・・・”老人肺”、別名”老人性肺過膨張”という。

あっという間に”低酸素血症”が出現し、全身状態の悪化につながる可能性がある。

03 痰や咳がのべつ出るのも老化が関係しているの?

のべつ出る病態として、まず考えるべきは肺の疾患です。

痰が絡むとか咳の訴えは、”気管支喘息””肺気腫””慢性気管支炎”からなる慢性閉塞性肺疾患などの呼吸器疾患で多く聞かれる症状

痰の素は気道の粘膜下腺や杯細胞から分泌される粘液で、気道の慢性炎症が痰の増加を誘引する。

4 呼吸でゼーゼーなどの音が鳴るのも老化のせいなの?

こうした胸の音が頻発するときは、気管支の狭窄や痰分泌が増えるなんらかの病態、気管支喘息、COPDの悪化、心不全の悪化、誤嚥性肺炎などがないか考えるべきです。

05 老化すると誤嚥性肺炎が増えるってホントなの?

飲み込んだものと一緒に細菌が肺に入って炎症を起こすのが誤嚥性肺炎です

”嚥下反射”が障害されていても“咳反射”が保たれている高齢者では肺炎が起きないとの報告があります

要するに、咳を頻発させて誤嚥性肺炎を防ごう、と言うことです。

高齢者の場合、発熱を機に脱水や低酸素血症になって、心拍数が増加し、心房細動を誘発して心不全になることがしばしばあるので、要注意。

06 息苦しさも老化が大きな原因の一つなの?

”息苦しさ”とは、実は自覚症状で、病気の進行と必ずしも一致しているわけではない

気管支が広がりにくい病態、具体的には”喘息”等でもかなりの頻度で息苦しさの訴えがあります。

他に”間質性肺炎”や、”肺水腫”、“気胸”などでも肺がつぶれた状態では肺が膨らみにくいため息苦しさを感じます。

07 しょっちゅう動悸がするのも老化が関係しているの?

確かに動悸を感じる原因の一つに老化があります。

08 睡眠時に呼吸障害を起こすのも老化に原因があるの?

睡眠時の呼吸障害で頻度が高いのは、”睡眠時無呼吸症候群”です。

症状として出現するのは、大きないびき(いびきのあとに呼吸停止をきたす)

09 老化すると味覚障害が起きるってホントなの?

味細胞は老化によって減る。

味を感じるためには亜鉛や鉄といった成分が必要になりますが、薬の中の成分に亜鉛の働きを弱めるものがあるのです。

それは血圧を下げる薬や尿を出す薬などで、これらの薬には、味覚障害を起こす可能性がある

10 老化すると匂いの感じ方が変わるってホントなの?

加齢も嗅覚を低下させる要因の一つになります

11 めまいも老化が原因で起きることがあるの?

耳の中の”前庭器”(前庭覚)は、頭の位置や動きに対するセンサーで、体のバランスを取ったり視野の安定のための重要な器官です

前庭器の老化により”感覚細胞”が変化します。

悪くなるのは75~80歳頃からです。

12 老眼って何が原因で何歳頃からはじまるの?

老眼は通常40代前半から半ばで目立ちはじめ、65歳ごろまで悪化します。

老眼は”調節異常”なので、近視は老眼になりにくいと同じく、「遠視は老眼になりやすい」には根拠がないのです。

13 老化すると誰もが白内障になるってホントなの?

白内障は眼の老化の1つと考えられますが、老化によってなぜ水晶体が濁って透明性が失われ、混濁にいたるのかは明らかになっていません

白内障は、80歳でほぼ100%の人が発症し、徐々に進行する病気です。

14 緑内障も老化がいちばんの原因だってホントなの?

緑内障は的確な治療が行われないと失明したりします。

失明原因のトップが緑内障なのです。

15 皮膚が老化するとシワやシミができるのはどうしてなの?

”加齢老化”と”光老化”があります。

加齢老化とは経時変化によるもの。

光老化とは紫外線が悪さをする皮膚の劣化で、女性にとっての大敵、シワヤシミができる原因になります。

16 皮膚が乾燥するとかゆみや粉を吹くのはどうしてなの?

成人皮膚の面積は、畳1畳分、重さは3㎏、厚みは1~4mmです。

皮膚の面積が1畳分というのは理にかなっている。

寝返る分も担保してあるということですから。

17 耳が聞こえにくくなるのも老化のせいなの?

老化によって難聴は起きるのか。

答えは「起きる」です。

加齢性難聴は、軽いものを含めると、65歳以上の約3割、75歳以上の約半分、85歳以上の約8割に起こっております

18 老化で薄毛になったりハゲルのは遺伝のせいなの?

残念ながら、ズバリ遺伝します

19 白髪になるのは遺伝と老化、どっちが原因なの?

老化に伴い色素幹細胞の遺伝子が損傷し、幹細胞が消失する。

これが白髪の原因なのでやはり老化が関係しているわけです。

白髪は老化が大きな要因となるが、加えて毛質を含めて遺伝する

20 おしっこが出にくくなるのは前立腺肥大のせいなの?

男性の場合、膀胱の直ぐ下に前立腺と言う精液の一部を産生している臓器があります。

前立腺は、50歳を超える頃から膨らんで肥大という状態になっていく。

前立腺の肥大の圧迫で尿道が狭くなると、膀胱の出口も開きにくくなって、おしっこの勢いも悪くなっていく

21 失禁(尿漏れ)って膀胱が過活動するから起きるの?

1日の排尿回数が8回以上が目安。

また、夜間1回以おしっこに起きれば夜間頻尿とされていますが、高齢になると1回くらいは起きることが多いため、睡眠に支障がなければ2回以上が問題とされます。

過活動膀胱の原因としては

・脳神経の病気によるもの

・脊髄神経の異常によるもの

・前立腺肥大症(男性)

・骨盤底の筋肉や靭帯の衰え(女性)

つまり、老化が原因のひとつです。

22 老化すると大脳が委縮するってホントなの?

脳も加齢とともに自然に老化します。

「脳の萎縮とは、神経細胞の数がどんどん減って来る、その結果として起きてくる」ということです。

23 老化で心臓の血管が硬くなるとどうなるの?

老化によって心臓の血管が硬くなった状態を「動脈硬化」といいます。

動脈硬化は血管壁に起こる炎症と考えられ「粥状動脈硬化」と呼ばれています。

心臓の心筋細胞が壊死して「心筋梗塞」が発症します。

24 老化によって免疫機能が衰えるとどうなるの?

免役には生まれつき備わっている「自然免役」と、あとから備わる「獲得免役}がある

老化していくとT細胞がたくさん集まっている胸腺(胸骨の裏にある組織)がどんどん小さくなり、T細胞の供給が少なくなり、結果として「獲得免役」が弱くなります。

これが感染症に罹りやすくなる原因です。

その結果、「慢性炎症」という状態が続いてほかの組織の機能を下げてしまうため、老化を加速していくのです。

25 老化すると誰でも骨量が減っていくの?

女性では女性ホルモンの”エストロゲン”欠乏にともなう”閉経後骨粗鬆症”、男性では老化にともなった”老人性骨粗鬆症”が知られている。

70歳以上では女性のおよそ半数程度の割合で骨祖訴訟に羅罹する。

26 骨粗鬆症ってどうして女性がなりやすいの?

女性の65歳で3人に1人、75歳で2人に1人が”骨粗鬆症に”になると推定されている。

女性の骨粗鬆症の発症にはホルモンバランスの変化も大きく関係します。

閉経後骨粗鬆症の予防には、バランスのいい食事、適度な運動、日光浴が非常に有効です。

27 老化すると腰痛や膝痛、関節が変形しやすいの?

転倒などを契機に、または老化によって自然につぶれて”圧迫骨折”に見舞われます。

歳ともに関節軟骨は摩耗し、関節辺縁の骨から”骨棘”という骨の出っ張りが出てくる

最終的に軟骨が減少し、変形性膝関節症となる

関節症が進行すると骨・関節全体にも変形をきたし、”О脚”となります。・・・まさに今の私です

28 手足がしびれたり麻痺したりするのも老化で起きやすいの?

しびれには色々な原因があるのですが私の場合、足指のしびれが治りません・・・入院中も話はしていたのですが特に検査等はありませんでした。

どうなのかな?

フレイル(筋力低下&虚弱)の原因と治療、予防

①体重の減少

②歩行速度の低下

③疲れやすい

④身体活動の低下、のうち3項目以上を満たすとフレイルと診断されます。

私は全部当てはまります(汗)

ということで要介護(3)に認定されました。

フレイルを防ぐためには、「充分な栄養の摂取」「適度な運動」「積極的な社会参加」「併発症の管理」など本人の自覚はもちろん、家族などの包括的な介入が必要になる・・・すべてが中々難しい環境にあります(汗)。

29 むくむことが多くなるのも老化のせいなの?

四肢局所のむくみ、”静脈性浮腫””リンパ性浮腫””炎症性浮腫”によって引き起こされます。

30 疲れやすく疲れが取れにくいのも老化が原因なの?

老化によって身体活動の調整が不十分なために、神経や筋肉に負荷がかかり、生じた酸化ストレスによって損傷した体組織の修復力が弱くなるため、疲れやすく、疲れが取れにくくなる、と考えられています。

31 加齢臭ってどんな臭いで何が原因なの?

汗腺には、全身にあるエクリン汗腺と腋の下や陰部などの局部にあるアポクリン汗腺があります。

アポクリン汗腺からの汗は、タンパク質、脂質、糖質、アンモニア、鉄分などの栄養成分を含むために、皮膚常在菌が増殖しやすく、分解された成分が発酵して腋臭になる

50代で加齢臭が幅を利かす

「手に汗握る」「冷や汗をかく」というのは精神性発汗です。

加齢臭は、加齢にともない皮脂腺の中のパルミトオレイン酸が増加し、同時に過酸化脂質も増えはじめます。

この過酸化脂質がパルミトオレイン酸と結びつくことで、分解・酸化されてできるのが加齢臭の元である「ノネナール」という物質です。

思春期でも、ミドルエイジでも、高齢期でも、臭いは成長のあかしであり、無臭が良いと言うわけではないことを理解して頂きたい。

32 周りが不愉快な口臭って何が原因で臭うの?

口臭の原因は、舌の上につく”舌苔”と歯や歯肉の病気の”歯周病”といわれています。

高齢者では口臭が、より強くなる傾向がある

グルコサミンと膝関節、そしてサプリ効用

現在でも変形性関節症に著効する薬物治療はありません

33 どうして老化するとがんに罹りやすくなるの?

生命の設計図である”DNA”が関連しているわけです。

老化にともないDNAの複製ミスが「変異」です。

老化にともないDNAの修復力が低下するため、DNAの変異はより蓄積しやすくなります。

DNAの修復が上手くできないと、DNAをミスコピーした細胞が誕生してしまうため、細胞のがん細胞化が進むと考えられています。

高齢となると、その分だけDNAを複製ミスする確率や変異が高まるし、細胞の老化でDNAの修復録力も低下する。

だからがんが発生しやすくなるのです。 

34 男性が老化すると性欲はどうなるの?

「性欲」は、テストステロンという男性ホルモンの仕業です。

テストステロンは生殖機能の維持だけではなく、男性が男性らしく日々エネルギッシュに活動する原動力となるホルモンです。

ただし、性欲は個人差が非常に大きい

テストステロンの減少は,メタボリックシンドロームといった身体症状を引き起こす

男性ホルモンは多くの病気のリスクから身を守ってくれる、健康長寿のための大事なものです。

良質な睡眠は男性ホルモンの分泌を維持するために重要となります。

35 女性が閉経すると性欲はどうなるの?

女性は閉経すると性欲が強くなる場合もあれば、弱くなる場合もある

女性の体にも男性ホルモンである”テストステロン”が分泌され、このホルモンは性欲に関連があるといわれる。

更年期になると女性ホルモンである”エストロゲン”の血中濃度が著しく低下するため、相対的に男性ホルモンが優位となり、性欲が強くなることもある。

妊娠の心配がなくなることも、心理的に性に対して積極的になる要因となる。

女性の性的活動は、「性欲」のほかに、「興味・関心」「性への覚醒」「オーガズムズ」「満足感」が含まれ、それらがお互いに密接に関係しあって増減するのです。

閉経以後の性交は、生殖を目的とするものではなく、また、性欲を満たすだけの衝動的なものでもなく、パートナー同士がお互いを思いやり、触れ合って癒しあうための「コミュニケーション手段」なのです。

脳の老化とアルツハイマー病

中でも恐ろしいのは「認知症」

この病気には大きく「アルツハイマー病」と「脳血管性認知症」があり、そしてかなりの確率で老化と関係しているようです。

2020年の65歳以上の高齢者の認知症有病率は、16.7%、約602万人になっています。

何と65歳以上の6人に1人が罹っていると推計したのです。

しかもその半数以上は「アルツハイマー病」だといいます。

現状では初期進行を遅らせる薬はあっても回復のための治療薬はないとのこと。

36 男性の更年期障害ってどんな症状なの?

実は男性にも更年期障害は存在します

加齢男性性腺機能低下症候群、もしくはLOH症候群と呼ばれ、男性ホルモンの低下やバランスの乱れが原因

加齢により男性ホルモンは分泌量の減少のスピードや度合い、時期は個人差が大きいため、40代以降ではどの年代でも男性更年期障害の起こる可能性がある(30代でも症状が出現する場合がある)。

37 女性の更年期障害ってどんな症状なの?

更年期はすべての女性に訪れます(例外はなし)

女性の平均閉経年齢は50~51歳ですが、個人差が大きく、早い人だと40代後半に、遅い方だと50代後半に閉経を迎える

閉経前後の10年間が「更年期」です。

多種多様な更年期症状は、ほてりや発汗などの身体症状、「抑うつ気分」「不安」「不眠」などの神経症状が絡み合って現れます。

~~~~~~~~~~~~~~

この本は今まさに老後を迎えている私にとって非常に身のつまされる内容の本でした。

リアルタイムで老後を生きているからこそ読んでみて納得の行く箇所が大変多いことが分かりました。

また、直前に入院を経験しているので患者の気持ちもいつにも増して分かり、心にグサッと突き刺さりました。

この本を読んで少しは今後の人生にプラスになれば、と願っている次第です。

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2024年7月 7日 (日)

2040年の未来予測(’21年発売)・・・成毛眞著(元日本マイクロソフト社長(その3)

#03 衣・食・住を考えながら、未来を予測する力をつける

[衣食住の未来は、短期的にコロコロ変わる]

明治時代との最大の違いは、環境問題である。

日本の地価は50年後には下落している可能性は高いが、果たして2030年はどうだろう。

[不測の未来を予測する力ををつけよう]

現在の知識を使って未来の方向を推測する力は、どんな不測の事態が起こっても対応できる力をつけるだろう。

[国が発展すると、肉を食べる]

しかし培養肉は確実に未来に大きな利益を生む。

[遺伝子編集した魚を食べないともうもたない]

2040年には世界の肉の60%が、動物本来の肉ではなく、培養肉や植物からつくられた人工肉に代わる。

[マンションの価値は下がる]

つまり、まともに修繕できるマンションは4件に1件しかないのが現実だ。

[オンライン教育はあたりまえになる]

[アメリカの大学は富裕層以外はいけない]

教育の大切さを煽ることで大学進学率が高まり、皆、値上げをしても借金をしてでも入学するからだ。

アメリカでの大学進学は、富裕層以外ではすでにギャンブルだ。

[日本では学歴の意味がなくなる]

日本では、これから2040年に向けて、学歴の価値は下がっていく。

バブル崩壊の処理に追われている間に、世界から日本が取り残された現実は覚えていた方がいいだろう。

就職に学歴が関係なくなるのだから、これからは、親も子供に、それぞれが好きなことを見つけて、好きな仕事や自分の人生を創造する後押しをしてあげるべきだ。

[大学は生き残るために専門性を高める]

企業は以前とは比べられないほど競争のスピードが速くなっており、優秀な実務能力がある人材が欲しい。

[シェアリングは巨大産業になる]

シェアリングエコノミーの市場規模は、2018年度の1兆8874億円から2030年度に11兆1275億円にまで広がる可能性もある。

もちろん、これはサービスの認知が進んだり、法整備や自治体の支援が整ったりなど、業界にとっての追い風が吹いたらという条件付きではある。

[貧しくなる日本にシェアリングは不可欠]

日本は、経済大国から2番手グループに落ちるのは略規定路線だ。

[アフリカの「ストーリー」がファッションの目玉に]

早ければ、アフリカは2040年に「世界の工場」になっている。

現在、中国でつくられている衣服は人件費の高騰で東南アジア、アフリカへと生産地が変わっていくはずだ。

ラグジュアリ-ブランドにとっても次の上級顧客はアフリカ系であり、そのための布石を打ち始めているのである。

というのも、現在から未来に向けて経済界、産業界のテーマは「持続可能性」だろう。

アフリカがファッションの世界で、存在感を増すのは間違いない。

#04 天災は必ず起こる

[このまま温暖化がすすむと、飢餓に満ちた世界が必ずくる]

このまま何の対策も講じなければ、今から2100年までに地球の平均気温は4度上昇する。

これがどの位異常なことかというと、1880年から2012年までの世界の平均気温の上昇は、1度にも満たない。

生態系に空白地帯が生まれてくると小型生物が大型化する。

ネズミがウサギくらいのサイズになってもおかしくない。

2030年頃には、海面が少なくとも15センチは上昇するとの試算もある。

ちなみに最悪の場合、2100年には日本は熱帯化している

サンゴ礁には海洋生物の3割以上が生息するといわれており、結果的に、数億人の人々の食糧事情が深刻なものになる。

米はとれなくなり、関東や近畿圏でバナナやパイナップルが栽培に適しているようになるだろう。

アフリカでは、トウモロコシやキビなどがとれる耕作地がは半減する可能性もある。

[まず自分のいる場所がどんな水域か知っておくべき]

首都圏や地方に関係なく、誰もが水害の当事者になりうることを実感したのではないだろうか。

[天災に関しては、自分できちんと判断するしかない]

日本の人口は2008年の1億2808万人をピークに減少に転じているのに、本来、水害の危険で田畑にもならなかったような場所に住む人は増え続けているのだ。

危険なエリアには高齢者福祉施設が多く建つ

特に、地震に比べると台風は逃げる時間には余裕がある。

危ないと思ったら一目散に逃げるべきである。

[自治体のハザードマップを必ず見る]

江戸川区は東に江戸川、西に荒川という大河川が流れ、南は東京湾に面している。

つまり、関東地方に降った雨の大半が集まる。

そして、陸地の約7割が満潮時の水面より低い海ゼロメートル地帯だ。

東京都内でも最も水害が起こりやすい地域だ。

将来の気象状況がどのように変化するのか予見するのも困難だけに、これからは「自分の身は自分で守る」という意識を誰もが頭の片隅に持つべきだろう。

[南海トラフ地震の際は、日本中で地震が連動して起こる可能性が高い]

地震発生から20年間の経済損失は、首都直下型で778兆円、南海トラフで1410兆円になると推定している。

建物の被害だけだとそれぞれ47兆円と170兆円だが、交通インフラが寸断されて工場が長期間止まる影響など、間接的な影響が重くのしかかる。

国の年間予算が100兆円だ。

いかに巨大なリスクかが分かるだろうか。

どちらの地震による被害も「国難」級だと指摘している。

[富士山が噴火すると日本中の機能がストップする]

[温暖化によって戦争が起きる]

戦争の理由は、基本的には資源と富の収奪だ。

南半球で生産され、北半球で売られるものを「南北商品」といい、これらは彼らの生活を支えるが、温暖化によりすでに難しくなっているものもある。

南北商品の代表例はコーヒーだ。

コーヒー生産の6割弱を占める「アラビカ種」の生産に適した土地が、温暖化により2050年に半減する危険性があるという。

インドから中東の都市では、夏の外出が命がけになる。

[「水」が最も希少な資源になる]

ちなみに、深刻な、水不足に陥る地域はパキスタンやインド、中国だ。

いずれも核保有国だ。

あなたのあらゆる経済活動や消費活動が温暖化の原因になっており、それが将来のもめごとのきっかけになりかねないことを私たちは自覚すべきかもしれない。

[終わりに]

最後にひとついっておこう。

そこまで悲観する必要はない。

いつの時代も高齢者は将来を悲観し、若者は未来を楽観するからだ。

つまり、65歳の私が本書でいうことを、すべて真正面から受け止める必要はない。

問題は話半分でも、日本の未来は明るくないということだ。

国を忘れて、これからの時代をどうやって生き残るのかをまず考えるべきだ。

どうすれば幸せな人生を送れるかに全エネルギー注ぐのをおススメする。

生き残るのは優秀な人ではなく、環境に適応した人であることは歴史が証明している。

最悪の事態が想定できていれば、右往左往することはない。

そのシミュレーションができていれば、あなた個人に待ち受ける未来は、何も知らずにいたときの景色とは違っているはずだ。

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近未来を展望したこの本は面白くて示唆に富んでいるので一気に読み進めることが出来ました。

私自身76歳ですがもっと若い人たちにも読んで頂きこれからの人生に役立てて頂きたいと思いました。

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2024年7月 4日 (木)

2040年の未来予測(’21年発売)・・・成毛眞著(元日本マイクロソフト社長(その2)

#02 あなたの不幸に直結する未来の経済-年金、税金、医療費

[2040年の日本は老人ばかり]

これからの日本はますます貧しくなるのは間違いない。

2020年の今、日本はすでに貧しい。

つまり、日本は世界でみると、「安い国」になったということである。

政府の債務残高だ。

2018年時点で237%、IMFの調査国188カ国・地域中188位であった。最下位だ

政府は2019年度に124兆円だった社会保障関係の総支出額は2040年には190兆円に拡大すると予測している。

その中でも、医療介護給付は現行の2倍近い90兆円を超える水準まで跳ね上がる可能性も指摘されている、

65歳以上を支える現役世代は1950年には12.1人だったのが、2040年には1.5人になる。

高齢者ひとりを、かつて胴上げ出来たのが、肩車しかできなくなるようなイメージだ

[老人が増え、それを支える若者が減る]

東京都の年少人口(15歳未満)が占める割合は2019年11%だったが、2040年以降には10%を割り込む。

子育て支援に力を入れようとしても、対象となる子供がいなくなるのに歯止めがかからない、皮肉な状態だ。

あたりまえだが、人口は最も読みやすい。

現在の延長線上にある未来はこうした世界だ。

[国の財源は、私たちの社会保険料からまかなうしかない]

給与明細票を見てみよう。

賃金上昇を上回るペースで社会保険料の負担が上昇している。

10年前に比べて社会保険料の負担率は、ひとりあたり26%増えているが、賃金は3%しか伸びていない。

[全ての問題は高齢者が増えること]

高寿命化により、2035年には4人にひとりが認知症になる。

将来、自分が住む場所に、どのくらいの年齢の人が集まるかを考えることも重要だ。

[老人ホームは高い]

特養であっても、経済的余裕がなければ入れないのが実情だ。 

2019年時点での75歳以上の未婚者は全国で70万人弱。

2030年には約140万人に増え、2045年には約250万人になる。

総人口は減るにもかかわらず、未婚の人口はいまの3~4倍になるのだ。

独身で低所得だった場合、孤立死は避けられない。

[将来の医療費を減らすのは、テクノロジー]

多くの経済予測が見落としているのは、技術の進歩だ。

テクノロジーを使えば難しくはない。

技術を使って、属人的だった働き方を技術に任せるようにすれば、スタッフの負担も大幅に減る。

[70歳まで働くなら、今と同じ額の年金はもらえる]

「預貯金が2000万円程度あれば、月々5万5千円程度の赤字が出ても、30年程度は無職でもやっていける」と指摘しているに過ぎない。

年金がもらえなくなると言うことは、日本が滅亡することを意味するも同然だ。

結論から述べると、現状の延長だともらえるだろう、ただ、厳しい額が待っているというのが正直なところだ。

2019年度の所得代替率は61.7%だ。

シミュレーションは一つだけではない。

経済成長が持続し、最もバラ色の仮定でもそれが所得代替率は54.3%まで下がる。

そして、最低のシナリオの場合では、2052年度には所得代替率は36%から38%程度まで落ち込む。

年金はもらえる。

だが70歳近くまで働かなければならない。

それが2040年の年金の我々の年金のリアルだ。

[そもそも、年金のしくみを知っておこう]

これら、社会保障が危なくなった最大の理由が、やはり「想定外の長生き」だ。

経済成長は鈍っているのに、長生きする人が増えている。

国民皆年金や国民皆保険が始まったのは1961年、当時の高齢者の比率は6%程度だった。

しかし現在は30%弱だ。

これが今後も広がり続ける。

高齢者の増加と一緒に、給付金額も膨らむ。

1970年に3.5兆円だったのが1990年に47.4兆円、2000年に78.4兆円、そして今120兆円規模になっている。

[年金は国から自動的にもらえるお金ではない]

結果として、保険料を支払う人が多く、平均寿命が短かった時代に比べて、保険料を支払う人が減り、国民の平均寿命が長くなれば、給付額も減る。

これが年金のしくみだ。

制度自体が、ここまでの長生きを前提にしていなかったのだ。

調整ができないときは日本がすでに破滅しているときである。

困窮している人は保険料が免除されたり、猶予されたりする。

結果、総加入者の約2割が支払っていない状態になっている

猶予や免除とは別に、保険料は未納、徴収漏れが意外に多いのだ。

これはひとえに、社会保険関連にテクノロジーの活用がまったく進んでいないことによる。

きちんと徴収の仕組みを整備するだけでも足しになるだろう。

所得を把握するにしても、市町村、国税庁、日本年金機構がバラバラにデータを集めているのだ。

共有化以前の問題だ。

医療分野でも、医療、健診、介護などのデータは繋がっていない。

これの共通化で環境は大きく変わるだろう。

[なぜ日本では保険料の徴収漏れが多いのか]

税金は国税庁、社会保険料は日本年金機構が徴収している

役所の縦割り行政の弊害が出ている。

ふたつの機関でほぼ同じ作業をしていることになる。

先進国のみならず旧共産圏でもこれらのふたつの機能は「歳入庁」として一本化されているのは常識だ。

役所の利権によるものだとして指摘されている。

右肩上がりに膨らむ社会保障費を前に、官僚の反対があろうが推し進めるべき構想ではなかろうか

[日本ですばやい経済対策ができないのはなぜか]

国税庁は「税金を取るところ」、市町村は「個人所得や財産などの情報を収集し、税を課し、必要に応じて給付も行うところ」という役割分担となっている。

アメリカで、細かい基準を設けながらも迅速に対応できたのも、歳入庁がすべてを取り仕切り、個人情報までを把握しているからだ。

日本も税や、社会保険の窓口を一本化すべきだ。 

[会社員が最も税金を払っている]

数兆円規模の増収につながる可能性が高い。

[ベーシックインカムは実現するのか]

社会全体で、ほんのはずみで、あっという間に困窮しかねない層が分厚くなっている。

[救世主になるかもしれない経済学理論、MMT(現代貨幣理論)]

つまり、異常な状態に陥らない限り、財政赤字が膨らもうが、自国通貨を発行している限りインフレはコントロール可能というのだ。

海外では「日本がMMTの成功例」という評価すらある。

[日本のGDPはお先まっくらなのか]

2045年には1億1千万人を割り、2055年には1億人の大台を下回る。そして、2100年には現在の半分以下の6000万人規模になると予想される。

さらに恐ろしいのは高齢者比率だ。高齢者を65歳以上とすると、2035年には略3人にひとり(32.8%)、2065年には2.6人にひとり(38.4%)になる。

直近の推計では、2040年前後に4000万人なると試算されている。

ミクロでは、少子高齢化により立ちゆかなくなる分野は、産業をはじめ多岐にわたって出てくることも又疑いようがない。

[地銀はすでに存在が危ぶまれている]

2040年、「地方消滅」は決して可能性ではなく、現実問題だ。

[教育分野は2040年は厳しい]

退職金で逃げ切れると計算している人もいるかもしれないが、2040年は退職金すらあてにできない時代になっている。

[退職金はそもそも払わなくても違法ではない]

社業規則に退職金の規定を、設けた場合は支給しなければならない。

しかし、退職設金制度を設けなくても違法ではない。

20年後の2040年には1000万円を割り込む可能性がある。

[退職金は、給料が安い代わりに退職時に多く支払うことから生まれた]

つまり、企業にとって退職金は「賃金の後払い」のようなしくみだ。

退職金、終身雇用、年功序列は中小企業にも広がり、日本経済をえた。

昭和のサラリーマンがなかなか転職しなかったのも、勤続年数が退職金に比例するため「今更やめたら損」という意識を持たせたのも大きかった。

退職金を当てにするのは危険だ。

[民間の保険には入らない方がいい]

まず、生命保険や医療保険は無駄な出費である。

国民健康保険や組合健保などの、日本の公的保険制度は大変充実しているからだ。

[預貯金はもう意味がない]

そもそも、「老後2000万円問題」は老後のために「預貯金以外の金融サービスを使って個人で老後資金をつくりなさい」という金融庁のメッセージだ。

そして、たしかに保険に意味がなく、預貯金がだめならば、投資しかない。

[これからの時代はテクノロジーよりも政治が株価を決める]

だが、これからの時代はテクノロジーよりも政治が株価をより決めることになる。

そうした時代に、一企業のテクノロジーなどの可能性で株価を占うのはあまりにリスクが高い。

[資産形成したいならインデックスファンド]

資産形成したい多くの人には「株式のインデックスファンド」一択だ。

ざっくりいうと、「その国自体が大丈夫かどうか]という視点で選べる。

ただ、ひとつ確実なのは、誰にでも老いは平等に訪れると言うことだ。

続く

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2024年7月 1日 (月)

2040年の未来予測(’21年発売)・・・成毛眞著(元日本マイクロソフト社長(その1)

↑の本、読了しました。

これは問題提起が多く記事も長くなりましたので3回に分けました。

#1 テクノロジーの進歩だけが未来を明るくする

[たった100年前から信じられないほど世界は変っている]

100年前の世界的な重要人物であったアインシュタインの来日

ちなみに、アインシュタインは日本に到着する直前に、船中で1921年度ノーベル賞授与を正式に知らせる電報を受け取っている。

対象となった研究は「光電効果」だ。

彼本人は、その恩恵を受けていないのが面白いところだ。

これらはたった100年前の話なのだ。

[新しいテクノロジーが登場したとき、人間はその登場に反対する]

新しいテクノロジーに対して、ふつう、人は懐疑的になる。

だからこそ、いち早くその可能性に思いを巡らせ人にはチャンスがある

[新しい技術組み合わせで現れる]

アインシュタインの発見を現代にいたるまでさまざまな技術者が応用し、新しいものを作った。

「光電効果」ではそれまで光は波である考えられていたが、「波であるとともに電子でも」あると言うことが発見された。

光電効果は光を電子に換える機器にほとんど使われている。

「光は波とともに、電子である」という考え方は量子力学の始まりでもあった。

すでにある技術の改良や組み合わせで登場することがほとんどだ

今から50年以上前の1956年にすでに米民間航空管理局は空飛ぶクルマの運用を許可している。

遺伝子治療も、1953年にDNA構造が発見された直後から構想されていた。

なにがいいたいかというと、現代を見渡せば、未来は見えると言うことだ

そして荒唐無稽と思われていたものの大半が実用化されている。

しかもアインシュタインの時代と比べると、加速度的に早くなっている

テクノロジーに鈍感なのは大衆の証だ。

[5Gとはそもそも何で未来の何を変えるのか]

「多くの情報を高速で伝えることで可能になる」技術は通信が土台である

ポイントは、通信速度が速くなり、情報伝達量が増えると言うことだ。

これが世界を変える

1G(ショルダーフォン:1979年)→2G(PHS:1993年)→3G(写真のやりとりがスムーズに:2001年)→4G(通信速度が速い、情報伝達量が多い:2010年)→5G(4Gの100倍の速さ:2020年)→6G(5Gの10~100倍の速さ、同時に接続できる機器が1000万台:2030年)

更に進化するのが6Gだ。

「6Gのすごさは「速く」「大量の情報のやりとりができる」こと

5Gで2時間の映画のダウンロードが3秒だったのが瞬きの間、1秒もかからない速さになるわけだ。

2030年頃から登場するはずなので、2040年にはあたりまえになっている可能性が高い

[低遅延」により、全てのモノがインターネットに常時接続される]

つい20年前までは、インターネットにつながっていないのがあたりまえの状態であったが、20年後の2040年はインターネットにつながっていることが自然の状態になる。

それはパソコンやスマートフォンだけではない。身の回りのものがすべて、コンピューター並みの処理能力を持つようになる

[6Gで自動運転が可能になる]

公共のバスや電車などは、ネットワークに接続された自動運転になり、輸送や物流なども効率的になるはずだ。

上空はドローンが行き交い、どこにでも欲しいものを配達してくれるはずだ。

クラウド経由で、リアルタイムに翻訳することも可能だ。

[バーチャルが日常になる]

[瞬時にデータを把握するのも低遅延だから可能]

それぞれの履歴も確認できるため、売り場で手に取られたが戻されたなど商品の動きも追える。

なぜ、これほど便利なものが普及していないのか疑問に思う人もいるだろう。

それは、コストだ。

物流や生産、販売といった生活維持に欠かせないエッセンシャルワークの人出不足を解消するには、もうテクノロジーしかない。

[家中が便利な家電でいっぱいになる]

2040年は、家の中もこれまで以上に「つながる」ことになる。

ひとりあたりの機器数で考えると、2010年インターネットにつながった機器はひとりにつき2台である。

それが、2040年には1000台になる

ネット接続されている家電は、ディスプレイでの操作や音声入力になる。

人が操作しなくても、人の行動を先読みした家電が一般的になる。

[現在は自動運転のちょうど過渡期]

2040年に、新車でのレベル3以上の自動運転システム車は、4112万台になり、世界の新車の29.4%を占める。

2030年以降、レベル4が普及し、2040年には完全自動運転の「レベル5」も実用化していると思われる。

[すでに未来を変える技術はチラホラ実用化されているーーライダー]

こうした自動運転の実現に向けて、欠かせないのがセンサー類だ。

ミリ波レーダーに比べて、小さな物体も検知できるのが特徴と言われている。

ライダーは2020年10月に発売された[iphone12]のproシリーズに搭載されている。

「12」のカメラの性能の高さに驚いた人もいるだろうが、その一因はライダーだ。

「12」の特徴は、人物と背景の境界の鮮明さだ。

「新しいテクノロジーは突然現れない」と述べてきたが、ここでも、すでに自動運転の要素技術は我々の身近に転がっている。

[空飛ぶクルマも2040年には可能になる]

「空飛ぶクルマ」は日本では少子高齢化という確実に迫り来る課題を解決するツールになるはずだ。

[コンビニやスーパーは無人店舗になる]

日本の総人口は、2019年で1億2616万7000人。

9年連続で減少している。

2040年には1億1000万人程度となる。

20年で1500万人以上減るわけだ。

3人にひとり以上が「老人」になる。

[無人店舗の研究をするならキオスク]

日本のコンビニ会社はアメリカしか見ていない。

足元にビジネスのヒントがあるのに、わざわざアメリカの真似をする。

いつもの光景だ。

[無人店舗のメリットは、万引きが防止できること]

2040年、有人店舗の形態も大きく変わるだろう

2040年、我々は手ぶらで店舗に買い物に行くのが主流になっているだろう。

[中国と監視カメラと個人データ]

2040年、監視カメラは生活を便利にし、治安維持のためにも不可欠なインフラになっているはずだ。

アリババとテンセントはこの膨大な取引履歴を活用して、個人の信用レベルをスコアリングするサービスを提供している。

大手企業が構築したスコアリングの仕組みに、地方政府が持つ個人情報をのせて判断する。

[日本の過疎化を救うのは5Gでの診療]

過疎化がオンライン診療を後押しするのは間違いないのだ。 

続く

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2024年6月27日 (木)

生命の大進化40億年史 古世代編生命はいかに誕生し、多様化したのか・・・土屋健著

↑の本、読了しました。

第1章

始まりの時代

形成当初の地球は、生命が棲むことのできる環境ではなかった。

議論を呼ぶ”最古の化石”たち

そもそも現在の地球で、知られている限りの最も古い岩石は、約40億3000万年前のものだ。

それよりも古い時代の岩石は、発見されていない

海洋プレートに乗った岩石は時間の経過とともに地球内部へと沈み込んでいくからだ。

その最古の岩石はカナダ北西部のアカスタで、1983年に発見された。

この岩石が「当時の生命活動が記録されることに適した岩石」ではないことによる。

2017年、カナダ北東部のラブラドル地域から採集した約39億5000万年の岩石に、炭素質の微粒子を確認した。

分析によってこの微粒子が生物起源であることが明らかにされ

つまり、約39億5000万年前の海には、すでに生命がいたらしい

生物の遺骸である「化石」でない。

そのため、海に生息していた生物の姿は、謎だ。

第2章

爆発的進化の時代

約5億3900年前、地球の歴史は次の段階へと進んだ。

地質時代の終わり(人類による文字記録の始まり)まで続く時代を「顕生類代」と呼ぶ

「顕生類代」という言葉ができたとき、エディアカラ生物群の存在はまだ知られていなかった。

顕生類代は、大きく三つの「代」に分けられる。

古い方から「古世代」「中世代」「新世代」だ。

このうち、古世代が最も長く、顕生類代の約53%を占める。

古世代は、更に六つの「紀」に分けることができる。

古い方から「カンブリア紀」「オルドビス紀」「シルル紀」「デボン紀」「石炭紀」「ベルム紀」だ.

カンブリア紀は約5億3900年前に始まり、約4億8500年前まで続いた。

カンブリア紀が始まるまでには「大陸」といえる広さになっていた。

地球の陸地はプレートに乗って日々移動し、離合集散を繰り返している。

当時の大陸と、現在の大陸はまるでちがっていた。

カンブリア紀の地球では、南極を中心に「ゴンドワナ」と呼ばれる超大陸が存在した。

そして赤道付近には「ローレンシア」「シベリア」、シベリアとゴンドワナの間には「パルティカ」と呼ばれる大陸があった。

ローレンシアは、概ね現在の北アメリカ大陸であり、シベリアは文字通りシベリア、パルティカは現在のヨーロッパの一部に相当する。

ゴンドワナはそれ以外の全ての大陸が集まっていた。

草原も森林もない、基本的には剝き出しの荒野だった。

生命の物語が紡がれる主な舞台は、海だった。

立体化し、硬質化する

カンブリア紀の始まりとして使われるその化石の名前を、「トレプティクヌス・ペダム」という。

トレプティクヌス・ペダムは「生痕化石」である、

動物の本体ではなく、その生活の痕跡だ。

この生痕化石は、巣穴ではなく、「移動の痕跡」である。

カンブリア紀になって動物たちに海底下へと潜る必要性が、明瞭に生じた(「潜る必要性の活発化をカンブリア紀の基底」と位置づ

「喰う・喰われる」の本格的な生存競争の開始である。

からだのつくりも左右相称であった可能性が高い。

エディアカラ生物群ではほとんどみることができなかった「硬い組織」を持つものが出現したのである。

それらの形は多様です。

この小さな硬組織の化石は「小有穀化石群」と呼ばれている。

[意味のない?硬質パーツをもつ]

そんな意味のない硬質パーツを持つ動物が、カンブリア紀の初頭の数千万年の間に増えていた可能性がある

ちょっと(?)変わり者たち

爆発的な多様化が発生したという現象を「カンブリア爆発」という

[上下・前後が”変わった”生物]・・・ハルキゲニア

上下が逆転し、前後も修正されて、正しい姿となったのだ。

[二つの分類群の特徴を持つ共通祖先]

ジャルツェングローゼスは「腸鰓類と「翼鰓類」の両方の特徴をあわせ持つことが分かったのだ

「腸鰓類と「翼鰓類」は「半策動物」と呼ばれる、より大きな分類群に属している。

「半策動物」については、ざっくりと「無脊椎動物から脊椎動物が進化する途上にいた動物群」と認識していてもらえればよいだろう。

共通祖先(に近い動物)の姿が分かることは、とても珍しい

[ほぼ完成していた神経]

アラルコメナエウスは大きなもので全長6センチメートルに届くかどうかという節足動物である。

神経は、すでに現生種に近いレベルに達していたのだ

史上最初の”覇者たち”と、その仲間たち

[五つの眼を持つ”節足動物の数歩手前”]

現在の地球で大繁栄する節足動物が誕生するその道程に、オパビニアが位置していたのではないか、というわけである。 

オパビニアとともに「オパビニア類」つくる新属新種として「ユタウロラ・コモサ」が報告された。

[史上最初の覇者]

「ラディオドンタ類

このグループは、かつて「アノマロカリス類」と呼ばれていた。

アノマロカリス・カナデンシス」を代表とする。

「アノマロカリス類」の名前は、この代表種に由来する。

奇妙なエビ」としてアノマロカリスと名づけたのである。

当時の生体系では、全長10センチメートルを超えた時点で、少数派なのだ。

その口は硬組織を嚙み砕くほどの力はなかったとみられているが、そもそもこの時代の動物たちは、”硬組織の鎧”を備えたものは多くない

近縁種の化石からみて、アノマロカリス・カナデンシスも一つの複眼あたり数万個の微小レンズがあった可能性は高いとみられている。

連綿と続いていた”平和な世界”に出現した”最初の覇者”。

アノマロカリス・カナデンシスやその仲間たちだったのかもしれない。

[五つの眼を持つ”節足動物の一歩手前”]

キリンシアは、ラディオドンタ類と同節足動物の間をつなぐ動物とされている。

”爆発的進化”の決め手は「眼の誕生」だったのか

光スイッチ説では、動物が眼をもったことが進化を加速させたとしている。

進化の目撃者 カンブリア紀編∼平たい三葉虫類~

三葉虫類は、カンブリア紀の半ばには登場した。

その後、三葉虫類は、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、ベルム紀と、合計六つの地質時代にわたって命脈を保った。
その歴史は、実に約2億7000万年間

のちの時代の地上で覇権を握った恐竜類の歴史の約1.6倍にあたる。

しかし、約2億5200万年前に絶滅し、その後は、いっさい、子孫を残していない。

三葉虫類は繁栄は最初の二つの時代ーカンブリア紀とオルドビス紀にあった。

つまり、登場していきなり繫栄し”一定の期間”ののちに衰退の一途を辿ったことになる。

平たく、節が多い。

これが、カンブリア紀の三葉虫類にみることができる典型的な特徴だ。

生物大多様化事変

オルドビス紀になって、海底のようすが”3次元化したのである

複雑な礁は、多くの動物たちに生活の場を与えることになった。

複雑な環境に適した動物たちが出現する、その”舞台”が整えられたのだ

この現象は、「オルドビス紀の生物大多様化事変」、あるいは「オルドビス紀の生物大放散事変」、「オルドビス紀の大放散」、「オルドビス紀の放散」、などと呼ばれている

覇者の生き残り 

”覇者級の交替”

[最初の大型濾過食者]・・・エーギロカシス

ラディオドンタ類の生き残りとはいえ、エーギロカシスがアノマロカリス・カナデンシスと直接の祖先・子孫の関係があるわけではない。

台頭者たち

新勢力が台頭してきた。

その一つが、「頭足類」である

[新たな覇者]

カメロケラスが良く知られている理由は何よりもそのサイズにある。

全長6メートルとも、11メートルとも言われている。

[新たな節足動物]

”正統派の節足動物”として台頭した狩人、それが、ウミサソリ類であり、ペンテコプテルスだった。

全長は1.7メートルあり、化石が発見された「約4億6000万年前」はオルドビス紀の半ばにあたる。

[生きている化石の始まり]

「生きている化石」とは、化石で知られる古生物の姿と近縁な現生種の姿が余り変わっていない場合、現生種に使われる言葉である。

カナダに分布する約4億4500万年前(オルドビス紀後期)の地層から発見された「ルナタスピス」は、知られている限り最も古いカブトガニ類である。

現生種と「そっくり」とは言わないまでも、ルナタスピスは「カブトガニ類」とわかる姿をしていた

カブトガニ類は早期にその姿と神経、つまり、現生種と同じような外部と内部を獲得し、そして、命脈をつないできたのかもしれない

進化の目撃者 オルドビス紀編~立体的になった三葉虫類~

長い柄と眼を、現代の潜望鏡のように使っていたのではないか

同じロシア産の「ホプロリカス・フルシファー」である。

この三葉虫類は 、全長9センチメートルほど。

頭部後縁にまるでチョンマゲのような突起があるほか、頭部先端には長さ数ミリメートルの突起が多数ある

全長10センチメートルほどのパラセラウルスは特に尾部のトゲは緩い弧を描きながら後方へ伸び、一見して、強力な武器のように見える

全長4センチメートルほどのレモプレウリデスは海底を這うのではなく、海中を遊泳していたと見られることが多い

全長3センチメートルほどのシンフィソプスは、前後上下左右と3次元的にかなり広い視界をもっていたことがよくわかる。

遊泳してこそ、その”真価”は発揮されたことだろう

全長72センチメートルもあったイソテルス・レックスは例外でこのサイズは既知のすべての三葉虫類の中で最大である

まだまだの祖先

[サカナの防御力が上がった]

全長15~20センチメートルのアランダスピスは、からだの前半分が骨の板で覆われ、後ろ半分は鱗で覆われていた

”骨の板の鎧”は、甲冑魚と総称される

完成した古世代型生態系と、大量絶滅事件

[古世代型生態系の”海底の主役”]

腕足動物の殻の中はスカスカである。

そんなスカスカの空間に、小さな触手が並んでいる。

腕足動物は、殻の口をわずかに開けて、そこから入ってきた海水に含まれるプランクトンなどを、その触手で捕まえる。

地球史には、カンブリア紀以降現在に至るまで、五つの大量絶滅事件があったとされている。

これを「ビッグ・ファイブ」という。

サンゴの海

温暖な気候も影響し、低緯度を中心に「生物礁」が発達した、「生物礁」とは、自身では動き回ることのない底生生物がつくる地形的な高まりだ。

[サンゴ礁の成立]

シルル紀当時、他にも多くのサンゴが礁をつくり、海底を彩っていた。

進化の目撃者 シルル紀編~かろうじて生き残った三葉虫類~

一つ目は、「アークティヌルス」。

団扇のように平たくて広い体が特徴的な三葉虫類である

全長は14センチメートル。

二つ目は、「ディクラノペルティス」

アークティヌルスほどではないにしろ、平たくて広い体を持つ。

全長は5センチメートル。

とにかく平たいアークティヌルスとディクラノペルティスは互いに近縁の関係にある。

頭足類のような捕食者につかまれた際に、つかまれにくくする防御機構か、あるいは、からだを周囲に溶け込ませる際のカモフラージュ機構だったのではないか、との指摘がある

三つ目は、「ダルマニテス」

ダルマニテスの属する系譜は、シルル紀の次の時代であるデボン紀になって、徒花のような多様化をみせることになる。

海サソリ類が世界を制す

[さまざまな役割のあるあし]

一つは、「ミクソプテルス」である。

サイズは全長70センチメートルを超えた。

この多様なあしを使い、ミクソプテルスは時に遊泳し、時に海底を歩行していたとみられている

[高速の狩人]

残る三つは、「ユーリプテリス」「プテリゴトゥス」「アクチラムス」である。

この3種類のウミサソリ類は、ミクソプテルスとは異なり基本的に遊泳生活をしていたと考えられている。

ユーリプテリスが高い機動力を持つ狩人だった可能性を指摘している。

[垂直尾翼をもつウミサソリ類]

ミクソプテルスやユーリプテリスと比較した際、最も目立つちがいを挙げるならば、それは尾剣だろう。

ミクソプテルスやユーリプテリスには、一目見て「武器」とわかる尾剣があった。

プテリゴトゥスの尾部先端にはそれがない。

尾部の先端が左右に広がり、まるで飛行機の「尾翼」と表現した方が正しいかもしれない。

水中で体を安定させることができた可能性がある

[待ち伏せ型のウミサソリ類]

アクチラムスの全長は2メートルに達し、ウミサソリ類における屈指の大型種である。

ウミサソリ類の衰退とともに台頭してきたグループがある。

我らが脊椎動物、サカナである。

世界最古の雄

[ペニスがあった!]

コリンボサトンには現生種のものとよく似た形状のペニスが残っていたのである。

「世界最古の雄」のタイトルホルダーなのだ

繁栄の兆し

顎がないために”攻撃力”に欠け、そして、おそらくひれが未発達だったために、機動力にも欠けていた

約4億2300万年前の地層から化石を報告した。「ビアンチェンギクチス」だ

ビアンチェスギクチスは”甲冑魚”である。

この小さな甲冑魚には、硬骨魚類と軟骨魚類、そして板皮類の特徴が確認されたのだ。

[進化の兆し]

エンテログナトゥスは、全長は約20センチメートルで、ビアンチェスギクチスよりもかなり大きく、進化的である

つまり、シルル紀の終盤が近づいたころには、板皮類の中に軟骨魚類と硬骨魚類につながる”進化の兆し“をもつ種が出現していたのだ

つまり、シルル紀の海で、サカナたちの進化は進んだけれども、まだ弱者だった

[サカナ、大型化する] 

約4億2300万年前の地層から、長さ12センチメートルの下顎の化石を報告した。

この下顎の持ち主の全長は、1メートルに達したという。

「メガマスタックス」は「肉鰭類」に属するという。

シルル紀の海は、サカナたちにとって、躍進に向けた最終準備段階の舞台だった。

[水辺を緑に]

「クークソニア」だ。

クークソニアは、非常にシンプルな植物だ

[究極の、無気力戦略]

パラスピリファーは、ただ単に、殻を少し開けただけで食事にありつける

「究極の、無気力戦略」と呼ばれている。

[高速を手に入れた頭足類]

巻きが締まったアンモノイド類ほど、速く泳ぐことができたという。

進化の目撃者 デボン紀編

デボン紀の三葉虫類は、三葉虫類の歴史の中で徒花のようなものだ。

三葉虫類の大絶滅の前に、彼らは見た目の華やかな時代を作ったのである。

なお、三葉虫類そのものが滅んだわけではない。

彼らの歴史はまだ続く。

覇権は我らの手に!

[最大級にして、最強のサカナ]

デボン紀に至って、それまで海洋生態系の上位に君臨していた無脊椎動物から、我らが脊椎動物がその座を奪い取ったのだ

[板皮類の多数派]

多数派を代表する板皮類が、「ポスリオレビス」だ。

多様性にも富み、「ポスリオレビス」の名前(属名)を持つ種の数は、60種とも100種ともされている。

種によっては、全長1メートルを超えるサイズもいた

[脊椎動物、最古の交尾]

ミクロブラキウスの交尾は、脊椎動物の進化の歴史で知られている限り最も古い体内受精であり、そして、最も古い交尾姿勢ということになる

[へその緒のあるサカナ]

体内に胚を確認できた板皮類、「マテルピスキス」を報告している。

その胚と母体をつなぐように残っていた細いチューブ状の構造だ。

このチューブ状構造は、「へその緒(臍帯)」であるという。

「マテルピスキス」は胎生だった。

脊椎動物の進化史における”最古の胎生”の証拠である

[サメに似た軟骨魚類の登場]

クラドセラケは、サメのようにすぐれた遊泳能力者だった可能性は流線形のからだや発達した胸鰭びれが物語っている

上陸大作戦

カンブリア紀以来、1億年以上にわたって海のみを生活と進化の舞台としていたサカナたちの中に、上陸を可能とするものが現れたのだ。

[先触れ]

「肉鰭類」とは現生種でいえば、ハイギョの仲間やシーラカンスが分類されるグループだ。

ユーステノプテロンの最大の特徴は、その胸びれの中にあった。

そこに、上腕骨、橈骨、尺骨に相当する骨があるのだ

眼の位置が、頭部の両側面についているということは、このサカナが水中という3次元世界で生きていたことを意味している。

[腕立て伏せができるサカナ]

ティクターリクには「肩」「肘」「手首」があった。

そのため、ティクターリクは、サカナでありながらも、「腕立て伏せができた」とみられている

さらにティクターリクには首も腰も確認されいる。

からだのつくりはかなり四足動物に近づきつつあった。

[指のあるサカナ]

エルピストステゲにはその細い骨の一部は手根骨(手首の骨)と、指骨であるという

[そして、足を持つ]

アカントステガが備えていた最初の四肢は、歩くためのものではなく、たとえば、水底にたまった落ち葉などを掻き分けるために使っていたのではないか、と指摘されている

[そして、陸へ]

イクチオステガは「がっしりとした四肢」をもち、骨格をみたときに目立つのは、長く太い肋骨だ。

”アカントステガ以前”の動物たちは、これが貧弱だった。

イクチオステガの頑丈な肋骨は、地上で腹這いになっても内臓を潰さないだけの強度があったとみられている。

イクチオステガが陸上生活をすることができたことを示唆している。

超大陸パンゲア

大陸配置をみると、古世代の開幕から存在していた超大陸「ゴンドワナ」と「ローレンシア」、「シベリア」の3大陸は、石炭紀を通じて合体していく。

そして出来上がった唯一無二の超大陸は、「パンゲア」と呼ばれている。

石炭紀の終わりには、地球上の主たる陸地は地続きになっていて、動物たちは歩いて世界中を旅することができた。

[モンスターか。それとも、サカナか]

ツリモンストルムを「無顎類」に位置づけた

ツリモンストルムをめぐる議論は、混迷の最中にある

大森林出来る

石炭紀の大森林の主力は、シダ植物だった

[天敵のいない空で、大型化する昆虫]

「メガネウラ」は、翅開長ガ70センチメートルに達するという巨大な昆虫である

[有羊膜類、誕生]

ヒロノムスは「トカゲそっくり」な有羊膜類である。

ヒロノムスはそんな有羊膜類の最初期を代表する動物とされている。

そして最初期の爬虫類でもあった

[歯が少しだけ複雑に]

ィメトロドンは爬虫類ではなく、単弓類に属している。

異歯性は、哺乳類を中心に確認できる特徴でもある

[両生類が水際世界に君臨する]

エリオプスは水際世界に君臨し、古世代最後の時代を謳歌していたのかもしれない

[成長にともなって大きくなるブーメラン頭]

ディプロカウルスは成長にともなって、頭部の両サイドが長くなり、しだいにブーメラン型になっていく

[からだを持ち上げて歩く?]

オロバテスは、四肢を踏ん張って、からだを持ち上げて歩いていた

[超大陸の証拠]

メソサウルスが南アメリカ大陸とアフリカ大陸から発見されたということは、かつてそこが地続きで、淡水生の動物が行き来できたことを示唆しているのである

[大型爬虫類は姿を消す]

パレイアサウルス類の多くは「どっしり重量型」と言える体格をしていた

[雌雄で暮らす単弓類]

ディイクトドンの牙が、性的二型の典型的な特徴であった可能性が高い。

これは、単弓類 の歴史の中で、確認されている限り、最も古い性的二型とされている

獣弓類は、単弓類の一翼を担うグループで、のちに哺乳類が生まれるグループでもある

史上最大の大量絶滅事件

「1回の絶滅ではなかった」、2億6000万年前、つまり、ペルム紀の終幕よりも800万年前に1度目の絶滅が起きた

”有力な仮説”が定まる将来も遠くないのかもしれない。

私たち哺乳類はペルム紀に栄えた「獣弓類」の末裔だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

読み応えのある本でした。

何と言っても耳馴染みのない名称が次から次へと登場するので、それだけで疲れてしまいます(汗)。

でも大昔のことが少しは知れたかも知れないので残された人生の足しには全くならないかも知れませんが知らないことが未だゝ沢山あると言う意味では勉強になりました。

私が書いた記事の名称が誤っていることも多かろうと思いますが、そこは平にお許し頂ければ幸いです。

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2024年6月18日 (火)

宇宙になぜ、生命があるのか・・・戸谷友則著

 ↑の本、読了しました。

第一章

生命とは何か

つまり完璧な自己複製ではなく、「わずかに不完全な自己複製」こそが生命の本質というわけだ。

20世紀の生化学者であるオパーリンによる定義もまた、「自己複製と突然変異を起こすすべてのシステムは生きている」というものであった。

🔷それでも悩ましい「生命の定義」

結局の所、完璧な「生命の定義」は今のところ不可能であり、そしてもしかしたら未来永劫、不可能なのかもしれない。

🔷物理から見た生命--非平衡とエントロピー

「熱力学的」生命の定義である。

エントロピーとは「乱雑さ(秩序の反対)、「ランダムな度合い」の指標である。

エントロピーが最大となる(例:気体粒子が箱全体を満たす)ところで安定状態となる。

この安定した状態を物理学では「平衡」と呼んでいる。

第二章

化学反応システムとしての生命

🔷地球生命を形づくる物質

地球生命とは化学的な原子・分子の結合で出来た有機物質が、さまざまな化学反応でを起こすことで実現されている、「電気じかけの人形」である。

地球生命といっても、学術的に知られているだけでも130万を超すといわれる膨大な数の生物種が存在する。

🔷タンパク質~生命活動の主役

生命物質の大部分はタンパク質と呼ばれるもので、これはさまざまな種類のアミノ酸が多数つながって出来た高分子化合物である。

アミノ酸は、アミノ基とカルボキシ基と呼ばれる部分を持った有機化合物の総称で、自然界には500種類以上が知られている。

このアミノ基とカルボキシ基を直接くっつけたものが、もっとも単純なアミノ酸であるグリシンとなる。

さまざまなアミノ酸の中で、地球生命が使っているアミノ酸は20種類のみであり、これはすべての地球生命に共通している。

タンパク質はこの20種類のアミノ酸を多数結合させて、立体的で複雑な構造を持つようになったものである。

アミノ酸はあくまで1次元的に、つまり鎖状に連なって結合している。

実際に人体に使われているタンパク質の種類は10万を超えると言われる。

しかし生体内では、はるかに低い温度で有機物が「燃焼」し、エネルギーが生み出されている。

これを可能にさせているのがタンパク質からできた「酵素」である。

さまざまな酵素が触媒として働くことで、生命独特の化学反応が生み出されている。

🔷核酸∼遺伝情報の核心

生命の体を形づくり、その活動性の主役となるのがタンパク質なら、生命が持つ遺伝情報やそれに基づく自己複製の根幹をなすのがDNAやRNAと呼ばれる核酸である。

DNAは生命の設計図といわれるが、より具体的には、生体内で使われるタンパク質の設計図なのである。

地球生命はアデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)、ウラシル(U)、という5個の塩基を使っている。

このうち、A、C、Gは、DNAとRNAで共通して用いられるが、TはDNAだけで使われ、UはRNAのみで使われる。

つまり、DNAでもRNAでも4種の塩基を用いていることになる。

🔷膜に包まれた小宇宙

生命の最も生命らしい性質である自己複製と遺伝は、この核酸によって実現されている。

設計図である核酸と、それにもとづいて正確に製造されるタンパク質こそ、生命現象の本質をなす二大成分であり、細胞とは、それが膜に包まれた小宇宙であると理解してもよいだろう。

🔷水こそ命の源

生命体の中で最大の割合を占める物質はタンパク質ではなく、実は水である。

水の密度がいちばん高いのは4℃の水であり、それがいちばん、底にたまる。

もし、この広い宇宙に多種多様な生命があちこちで発生しているとしても、水を利用する生命はそのなかでも多数派であろう。

我々が地球外生命を探すときでも、まずは水の存在を基本に考えることは、理にかなっているといえよう。

🔷遺伝と発現のメカニズム

DNAは2本が対になってらせん状の構造をとっている。

有性生殖の生物の場合、染色体は父親と母親から1本ずつ受け継いだものがペアになっている。

つまり我々の体内の一つ一つの細胞の中には、父親由来と母親由来で、合計2人分の遺伝情報が含まれていることになる。

遺伝情報とはタンパク質の設計図に他ならない。

その遺伝子にもとづいて、ある性質が実際に生物に現れることを「発現」と呼ぶ。

🔷DNAの遺伝情報からタンパク質へ

このDNAとタンパク質の間の橋渡しをするのがRNAと、そしてリボソームと呼ばれる細胞小器官である。

このDNA→RNA→タンパク質という合成システムはすべての地球生命に共通しており、「セントラル・ドグマ」と呼ばれている

生命科学的における最も根源的で崇高な教義といったところであろう。

第三章

多様な地球生命とその進化史

🔷宇宙における私たち人間の位置づけ

地球上には目もくらむほど多種多様な生物が生息している。

元をたどればたった1つの共通祖先である生命体から進化・分化してきたと考えられている

🔷地球生命の分類

根源的な分類といえば、真核生物か原核生物か、という2つのグループへの分類であろう。

すべての生物種は例外なく、このどちらかに分類される。

🔷生命の進化系統樹

互いにまったく独立な起源を持つ無関係な生命種族の集合とも考えてしまいがちである。

これらすべての地球生命は全く同じDNAの遺伝子コードを使い、同じメカニズムでDNAからタンパク質を作り出している。

すべての地球生命はたった1つの共通の祖先細胞から進化してきたと考えられているのだ

🔷さまざまな生物のゲノムの大きさ  

進化の過程で高等生物が長いDNAを獲得するなかで、無断な部分も多く含まれるようになっているのであろう。   

🔷生命の物理的な大きさとゲノム

原核生物の細胞の大きさがヒトの細胞より10倍ほど小さいことも、うなずけることである。

🔷その後の進化と多様化

地球大気の成層圏にまで達した酸素分子は、太陽からの紫外線と反応してオゾンをつくり、地表からの高度25キロメートル付近にオゾン層ができた。

このオゾン層が生物に有害な紫外線を効率よく遮蔽してくれるため、陸上でも生物が生存可能になったのである

🔷地球の進化と生命

地球における生命は地球に対して受け身の「住人」ではなく、地球全体の物理状態を大きく変えるほどの力を持った、地球の重要な構成要素の一つであるということ。

最もよい例が、生物の光合成によって地球の大気が酸素を多く含むようなものに変えられてしまったという事実である

第四章

宇宙における太陽と地球の誕生

🔷地球は宇宙でありふれた存在なのか?

月の存在によって地球の自転が安定しているということである

地球の自転軸は23.4度だけ傾いていて、それが季節を生み出している。

これは月のおかげなのである。

地球のように大きな衛星を持たない他の惑星、例えば火星の自転軸の傾きは10万年ほどの間に約10度も変化する。

もし、地球に月がなかったら、大規模な気候変動が繰り返されたはずである。

第五章

原始生命誕生のシナリオーどこで、どうやって?

🔷原始生命をつくる最低必要条件~水と有機物

すなわち、生化学反応の必須の舞台である液体の水がある場所で、さらに生命の構成物質であるいわゆる有機物が存在していたはずである。

地球に海があるのはなぜ、有力な説は、小惑星や彗星からもたらされたというものである。

誕生直後の地球に降り注いで、水を供給したと考えられている。

いずれにせよ、原始生命に必要な水は地球誕生直後から豊富にあったと考えてよかろう

🔷ミラー・ユーリーの実験

地球の原始大気において、雷をエネルギー源として有機物が生成され得ることを示している。・・・歴史的意義はやはり大きいというべきであろう。

第六章

宇宙に生命は生まれるのかー原始生命誕生の確率?

🔷人類間での進化と人間原理

「知的生命体が存在することが可能で、さらに実際に生まれている宇宙」にかぎられる。

このような概念を一般に人間原理と呼んでいる。

原始生命が誕生して、人類のような知的生命体に進化するまでに、約40億年かかっている。

太陽は誕生してから約100億年は安定して輝くことができるとされている。

地球に生命が存在できる期間は最大100億年ということになる。

この100億年のスパンのうち、最初の約5億年で生命が誕生し、その後40億年あまりで人類が出現したというのなら、生命の誕生はやはり早かったと言うことになろう。

わずか10億年ほど後には地球の環境は高温化して、生命は存在できなくなるという見積もりがある。

地球科学の知識にもとづけば、地球に生命が存在できるタイムスパンは地球誕生から100億年ではなく、55億年ほどにすぎないという可能性が高い。

つまり「最初も最後もギリギリ」ということになるのだ

第七章

宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか

🔷広大な宇宙を作るインフレーション宇宙論

インフレーションをビッグバン宇宙論の基盤の一つとして受け入れている状況になっている。

~~~~~~~~~~~~~~~

とにかく難解な本でありました。

入院前に買っていた本の中の1冊ですが、なぜか妙に読みたくなって買った次第です。

以前の私はこの種の本とは無縁でしたが、加齢に伴って読みたくなったというのが本音です(理由は不明)。

タイトルが根源的・かつ魅了されるものだったからか。

読み終わっても凡人の頭では到底理解は出来ませんでしたが分からない、ということが分かって腑に落ちました(汗)。

入院前から生命・宇宙・地球の歴史等に関心が強くなって来たのもがむしゃらに生きて来た以前の自分を振り返って死を迎える歳になって行き着いたテーマだったのかも知れませんね。

なぜか分からないけれどもスッキリしました。

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2024年6月11日 (火)

なぜヒトだけが老いるのか・・・小林武彦著

↑の本読了しました。

難解ですが。テーマが面白そうなので買ってみました。

内容は要約下記の通りです。

分解=死は進化に必須

なんで私たちは死ななければならないのだ・・・これは運命ではなく進化のためです。

死ぬものだけが進化出来て、今存在している。

最初から死ぬようにプログラムされている。・・・これが全ての生き物に必ず死が訪れる理由です・・・生命の連続性を支える源。

生が利己的であるのに対し、死は利他的、公共的と言ってよい。

これからの新しい生命のために死なないといけない。

つまり利他的に死ぬためには、心の覚悟と体の準備が必要、その一番カギとなるのがヒトの「老化」です。

ヒトは例外的に寿命が長い。

他の大型哺乳類に比べると体の大きさの割にDNAの修復能力がずば抜けて高い。

ヒトの場合も55歳くらいまではほとんどガンにはなりません。

以降、急速にがんで亡くなる人が増えます。

ヒトはなぜ、がん化のリスクを背負いながら、55歳以降の約30年間も生きられるのか。

一つの理由は、強力な免役機構のおかげだと思います。

強固にした要因の一つは十分な栄養のおかげだと言われています。

老化の起こる原因は生命誕生から続いている遺伝情報の壊れやすさです。

この程よく壊れる過程が死に至るまでの「老化」です。

つまり、進化のプログラムは変らない。

人生の40%が生物学的には「老後」

産むと言う機能を喪失したらある意味老化した「老後」となります。

老後のある生物は例外的で普通はない。

老後の存在はその種固有の性質。

「ヒト」は教育で「人」になる

シニア量産の正のスパイラルは現代社会にまで続いています。

政治家は政策はもちろん大切ですが刻々と変化する情勢の中で適切に判断していく能力・経験・知識と人を説得できる人間性を持った人を、選ばないといけません

常識を打ち破れる型破りな人が時代を変え、時として世の中を飛躍的に進歩させるのです。

ヒトの場合、46本ある染色体の23本がランダムに選ばれて精子や卵ができます。

その種類は2の23乗でで約800万通りとなります。

それがまた同じだけの種類がある卵と精子とランダムに受精するので70兆種類の受精卵が出来ます。

さらに「組み換え」と言って染色体自体を繋ぎ新しい組み合わせを作る仕組みもあり、生物学的に言うとこういう「ガラガラポン」をする仕組みを持つ生き物が、生き残れて来た

身体的な遺伝は「運任せ」で仕方がないとしても、「環境」は変えることが出来ます。

「環境」の中でも人の形成に、最も影響を与えるのは、言わずもがな「教育」です。

幼少の頃の大半を過ごす家庭の影響力が大きいです。

シニアは客観的にその子(人)の個性を発見できます。

親にはできない「個性を育てる教育」に適した人材なのです。

教育は生きて行く上でのスキルのみならず、希望と勇気とを与える大切な行為です。

「死の意味」から考えても、現在の自身の「生」は過去の多くの「死」の結果です。

「死」は他者の「生」のためにあると言ってもいいのかもしれない。

「老い」は「死」に至る過程であり、利他的で公共性の極みであり、かつ自分たちの将来の姿なのですから。

シニアの定義とは「徳のある人」です。

定義的には「悪いシニア」いません。

つまり「悪いシニア」は「シニア」ではない。

いい「シニア」の存在が、人類の寿命を延ばしてきた理由なのだから。

「老い」はいいシニアになる為にある

老いを感じて死を意識したら、少しずつでも世のため、次世代のためにと言う意識を持つようにしたらそれで十分です。

シニアの最大のミッションとして絶対に阻止しなければならないのは、次世代が使う環境を破壊し、資源を枯渇させることです。

シニアになり切れていない「なんちゃってシニア」がどうせ自分たちはそのうち死ぬのだから。みんな好き勝手にやりましょう的な発想を持っていたとしたら最悪です。

死ぬことは個人にとっては終わりでも、社会や地球の生物全体にとっては終わりではない

「なんちゃってシニア」は自分の「古い」価値観を押し付けます。

大きな改革に消極的になるのも良くない。

これらは明らかに次世代の多様性や可能性を低下させます。

組織に優先席はありません。

異性に興味がない人も増えて来ています。

これが進化の過程の「変化」と言うことになります。

「選択」ですがヒトと言う種が生き残るなら、「産みたいヒト、産んでもらいたいヒト」に頑張ってもらうしかありません。

この状態が続くとミツバチのような「昆虫化」に繋がります。

「産むヒト」は女王バチのようにかなり頑張って産んで貰わないといけないかもしれません。

「産まないヒト」は働きバチのように産むヒトを支えることになります。

もう一つの選択は、残念なことに人類の絶滅です。

ずいぶん先の未来ですが、あり得ることです。

出生率は低いままで、理想数も下がって来ています。

最悪です。

「産みたいヒト、産んでもらいたいヒト」にとっては辛い現実です。

一番の理由として教育と子育ての負担の増大です。

これは政治的に解決できる問題です。

選挙でしっかりいい人を選ばないといけません。

そして老化によって引き起こされる病気を減らすことです。

科学の力に加えて生活習慣や社会構造の変化で、ある程度達成できる。

根拠は、そういう「ピンピンコロリ」的な生き方をする生き物のほうが、自然界では普通だからです。

そしてその元気な余生を、少しでも公共のために使ってもらえればよい。

老化症状を緩和させる「老化細胞除去」と言う方法があります。

歳をとって肝臓や腎臓の調子が悪くなる一つの要因は「老化した細胞の蓄積」によるものです。

「老化した細胞」はDNAの傷などで起こる。

通常、そのような細胞は死んで分解したり(アポト-シス)、リンパ球に食べられたりして除去されます。

この排除機構が加齢に伴ってうまく働かなくなり、老化した状態でそのまま肝臓や腎臓に留まってしまうことがあります。

それら「残留老化細胞」は炎症性サイトカインと言う物質を出し続けます。

炎症性サイトカインは、通常傷ついたりウイルスなどに感染した細胞が、周りの細胞に炎症を起こさせてリンパ球を呼び込んだり、細胞分裂を促して傷を修復し、組織を守る大切な物質です。

それを出し続けることによって炎症が長引くと、臓器が正常に機能しなくなります。

イメージ的には、赤く腫れっぱなしの状態のままです。

炎症性サイトカインは、がんの発生頻度も高めます。

つまり「残留老化細胞」は、かなりの「悪者」」なのです。

自殺・・・日本は残念なことに、先進国(G7)では自殺率が一番高い国です。

自殺は人特有の「異常な死に方」と言うことも出来ます。

シニアは、将来の自分の姿であり、人生のモデルです。

シニアが「集団」の中で、自らの寿命を延ばしてきたのも「公共=集団のため」という人の社会の中に居場所を見つけられたからです。

居場所は、社会性の動物にとって生きるために必須な要素なのです。

教育現場へのシニア人材の投入は、一つの有効な解決策だと思っています。

シニアが社会に対して人生最後にできる貢献は、人から惜しまれながら、本人的には、苦しまずに「ピンピンコロリ」と亡くなることかもしれません。

哺乳動物には総心拍数に限界があり、それは20億回程度と言われています。

実際に寿命が2~3年のハツカネズミも、60年のアフリカゾウも総心拍数は同じくらいです。

心臓は言ってみれば消耗品なのです。

ピンピンコロリで亡くなるには体力が必要です。

シニアが元気に活躍できることが必要です。

「老い」をネガティブではなく、一つの変化と捉えて精神的にも肉体的にも「老いずに生きる」ことが出来れば素晴らしいと思います。

老いの人生観

①元気なときには、本能のおもむくままにやりたいことをやる(公序凌辱に反しない範囲で)

②老いを感じ始めたら、少しづつ中心を自分から周りに広げて

③「シニア」になり、無理のない範囲で公共に尽くす(次世代の自由度を確保するために自分たちがある程度調整役を担うことが出来るかどうかです)

④最後は皆に惜しまれて天寿を全うしてピンピンコロリと死んでいく

シニアになってきたら、新しいことを取り込むインプットも必要ですが、これまでの蓄積を吐き出すアウトプットのほうを多くしていくべきだと思います。

人から人にしか伝えられない、ある種の「本能を揺さぶるフェロモン」的な効果があるように思います。

ヒトは反省するサルである。

反省することが出来るサルが、知能を発達させるヒトになったのです。

「反省するサル」から反省する必要がなくなった「幸せなサル」になれたわけです。

つまり生存本能やそのための逃避行動は、多くの生物に備わっています。

死は何のためにあるか。

それは進化のためです。

進化は何のためにあるのか。

それは私たちも含めた地球上の全ての生物の存在理由なのである

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

随分難しい内容の本でしたが、なぜか読み進む内に面白くなり一気に読んでしまいました。

私みたいな年寄りにも楽しく引き付けて下さった著者の小林武彦さんに感謝です。

この本は私が入院する前に購入しましたが、退院後いの一番に読みました。

なぜか、それはテーマに共感を覚えたからです。

私自身は未だ76歳になったばかりですが入院したことで死生観が変わりました(死に至る病気ではありませんでしたが入院中、見聞きした出来事も大いに影響しました)。

一つは掛け替えのない趣味についても入院前と比べるとある意味距離感を置くようになりました(無理のない範囲でやっていければよいのでこのまま生活して入院前に予定していたモノは時期がズレても出来たらやりたい(死の方が先に来ればそれはそれでよし)。

という風に心に余裕が生まれました。

私は年金受給者で貯蓄も殆どないけれど世間で言われているような挫折感は全くありません。

考え方次第で年金だけでも楽しく暮らせます、贅沢をしなければ(気持ちの贅沢はOK)...。

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2024年2月 1日 (木)

オーディオと音楽を愛する人々ー音の見える部屋Ⅲー・・・読了

↑の本読了しました。

こちらは27人のオーディオマニアが掲載されていました。

中身はご自慢のシステムのオンパレードで部屋については何も感じませんでした。

ソフトについては色々参考になりましたが入手出来るかどうかは分かりません。

ただこの本でも新たな発見をしました。

それは以前のファイルウェブで自らの知見(知ったかぶりをして)を誇らしげにアピールしていた唯我独尊の人物です。

それが大間違いの記事の内容も散見され間違いがとても多かったのが印象に残っています。

そう言う人物なので第三者から指摘されると容赦なく叩き潰す、と言ったことを繰り広げる私の知る限りとても器の小さい最低な人物でした(虎の威を借る狐)。

私も大嫌いです。

その結果がファイルウェブの中の人間とつるんでいたこの人物の指摘で私は排除されました。

以前ファイルウェブ出版の本にこの人物の記事も掲載されていましたから私のようなどこの馬の骨とも分からない人間に対しては容赦なく排除出来たのだと思います(ファイルウェブも仲間の方が大事だからネ)。

その時はこの人物を含めて数人写真に写っていたので顔の特定は出来ませんでした(汗)。

今回は出版社が違うし一人ひとりの写真なので特定出来ました。

その人物とはニックネームをベルウッド(本名は以前から判明)と名乗っていました(ファイルウェブは終了しました)。

ご自慢の(見慣れた)システムをバックに写真に納まっていました。

調子に乗ってんじゃないぞ!!。

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2024年1月15日 (月)

首都防衛・・・読了

↑の本、読了しました。

たまたま読んでいた時期が今般の能登半島地震と時期が符合したので何か不思議な縁を感じています。

タイトルは「首都防衛」ですが何も首都だけに限定した話ではありません。

我々が住んでいるところどこにでも当て嵌まるヒントや知識の更新に役立ちます。

ご存じのように特に日本は「地震大国」と言われています。

昔から幾多の地震・噴火・災害等に見舞われ、それを乗り越えて来ました。

でも今は昔と違いが多いのも事実です。

首都には人口が密集しており、高層(タワーマンション等)建築が林立しています。

南海トラフが富士山噴火と首都直下地震を呼び起こした日には予想外の出来事になる訳でとても全方位で対応出来ません。

↑が一つで起きただけでも被害は甚大です。

ありとあらゆるインフラ機能が首都に集中している現状では即時全国的に機能不全となります。

例として銀行・通信(含む電話)・食品・飲料水等が大ダメージを受けます。

タワーマンションでは高齢者の避難が難しくなります(エレベーターのストップ・・・最悪事には復旧にどの程度時間が掛かるか全く見通せません)。

首都圏でも未だ木造家屋は沢山ありますので密集地域で一旦火災が発生すると(狭い)道路は焼け落ちた建物等で寸断されて消火に着手出来ない等が予想されます。

色々な恐ろしいシミュレーションが予想出来ますがこの本で私は自己の脳内情報の更新を通じて何が出来るか、何をするかを学びましたが如何せん私自身体が不具合なので人さまをお助けすることは先ず、出来ません。

そうであるなら如何に人さまに頼らなくても生き延びられるか、ですがこれも難しい。

最終的にはなる様にしかなりませんがこの本で改めて自分自身の現在地を思い知らされました。

日々、いつ起きるか分からない自然災害にビクビクしながら生活することだけはしたくない。

その為にこの本を読んだことは自分の現在地を知る上で参考になりました。

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