入院

2024年6月20日 (木)

溜息・夜間頻尿の老人

ア・アファ・アン・アン・ア~ァ並びに夜間超頻尿の老人のお話です(私の隣のブロックの患者)。

青江三奈宜しく溜息を付き(こちらは歌の世界ですが...)、夜は夜夜間超頻尿と個性豊かな老人です。

夜間頻尿については私も同様ですが私は1~4回程度(病院は就寝時間が長い・・・12時間)ですが、この老人はI時間に1回と寝ている時間がないほど多い。

最高記録は13回と他を寄せ付けないブッチギリの断トツです(これは毎朝ナースが確認しているので判明しました・・・余り多いので誤魔化している可能性あり・・・申告制なので信じるしかないけれど・・・自分のことだから誤魔化しても何の得にもならない)。

そもそもこの老人は大火傷をして最初順天堂大病院に入院してある程度安定して来たのでリハビリも出来るこの病院へ転院したのかどうか理由は定かではない。

入院する前は高血圧の薬だけ服用していたそうだが入院後の血液検査で他に沢山の看過出来ない数々の症状が判明、日々食事時に服用する薬も何の薬だか本人も毎日確認する始末でした。

高血圧の他にチラージン(甲状腺の薬)、貧血、下剤(便秘)等々。

高血圧なのに体内のナトリウムが不足している為最初は点滴をしていたがリハビリ等に障害となる為、その後は食事に塩(3g)(所謂現物支給)を提供、おかゆに混ぜて食べていたようだ。

高血圧には塩分を摂取させない食事が普通だが彼の場合は背に腹変えられないようです。

ナトリウムが不足すると意識障害が起こるようになるので推測ですが彼の場合それが原因で冬真っ只中の日、灯油ストーブの上に鍋を置きその中に水を入れて沸かしていたようでその時フラッと来てストーブに倒れ込み、沸騰したお湯を左肩から上半身にかぶり大火傷をしたと言うことでしょう。

アパートで一人降らしの老人なので必死に自ら119番通報して入院したと言うことでした。

恐らく町営アパートで家賃1万3~4千円だそうですが(今の時代にしてはかなり割安かも?)入院した為に結果滞納になったようで職員が病院まで回収に来ていた。

安アパートに住んでいた位なので食事も偏食でだったのでしょう、その結果悪いデータが次々に見付かった、と言うことか。

息子がいるようですがこの親父は「頼りにならない息子」と言っていましたが息子からすれば「頼りにならない親父」(間違いなし)でしょう。

相当長期間になる入院ですが一度も見舞いに来ないとこぼしていた(でも息子さんは親父の為に要介護認定の申請を町にしていて担当者が病院に面談に来ていた(5/2))。

これだけでも孝行息子だ。

家族の数は星の数ほどあるけれど問題多い家族も又同じ程度ある見本みたいな話。

彼は飲水制限をされていたのだが歩行器で見守りなしで動けるのを良いことに自ら自販機で250mlのコーヒーを買って部屋で飲んでいた。 

その際3度もこぼしてパジャマを汚し、ナースコールをして着替えをしていた(ホンと手の掛かる爺だ)。

全く出鱈目な奴で人相は目が異常に大きく(眼鏡を着用)(相当の近眼・・・テレビを30Cmの至近距離で見ていた)やることなすことこそ泥のような奴。

今回の退院でこいつと離れられたのが一番の幸せかも。

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2024年6月15日 (土)

謎の老人

それは私が3/29、3階の障害者病棟に移った時のことでした。

リハビリを終えて部屋に戻って来た時、部屋の入り口入ったところでその「謎の老人」とバッタリ出逢いました。

その老人は杖を突いて歩く小柄な老人で背広を着ていて私たちを優先させて後から隣のブロックへ入って行きました(その後何度も顔を見る機会がありましたが、眼光鋭く頭髪はオールバックにきめていました)。

良く分からないのが何故こんなパジャマ姿でない人が面会でもないし私と同じ病室へ入って行ったのか疑問が残ったままでした。

私の隣りのブロックでもあるし、関心があったので暫し観察することにした。

驚いたことにこの老人は自由に病院内を杖で歩き回っていることでした(普通は見守りが必要・・・でも後で分かったのは病院が問題なしと判断すればそれも必要ない・・・院内に限ってのことだが)。

いつだったか忘れましたが電話が掛かって来て(室内では発信はおろか受信も禁止)小さな声で電話していた(本人は禁止を知っているようで同部屋の3人にも聞こえるように10分が限度だからな、と言うように相手に言っていた・・・これは嘘も方便です)。

その時何の数字だか分らないけれど8%だと不味い、学会の要望で7%未満にしろと指示。

後日の電話で7.4%で決着した、と話していた・・・仕方がないのでそれで行こう、と決断したようだ。

本人の話によると県内でのメガソーラーを計画(函南、静岡、島田等と聞こえた)。

契約書は(謎の)老人の名前でするなと何度もダメ押ししていた。

このメガソーラーの完成が本人の最後の仕事のようだ。

退院控えてのある日驚いたことに見守りを付けて退院後入居するアパートの確認をしたり近くの家具屋にタクシーで出掛けてベッドを探したりとやることがハチャメチャ・・・常識では考えられない。

これは相当の人物で病院でも断り切れないモノだと知った次第。

本人はガンを患って退院後転倒してどこかを骨折したらしくここに入院してもう2年になると言う牢名主のような人物。

ガンの抗生剤投与で今でも指は冷たく血中酸素濃度が測れないとこぼしていた。

入院に当たって持ち込み禁止のモノが刃物(ハサミ・T字型の髭剃り(電気シェーバーはOK)、何故か耳かきもダメだそうで・・・私は4ヶ月以上耳かきが出来ない状態だったので退院後真っ先に耳かきをした・・・ビックリするほど大量の耳糞が出て来た・・・医者が言っていた耳糞は自然に落ちて来るのは嘘だ、と私は確信した。

耳かきをして耳糞が完全に蓋をしていて聞こえも悪かったのでこれで一安心。

話し戻してこの老人は退院後アパートに住むようだが住まいやモノには関心ないようで兎に角最後の仕事をやり遂げることだけが望みのようだ。

先の熱海の土石流事故を気にしているような話をしていたので何か関係あるのかな・・・。

その後、謎の老人は何事もなかったかの様に退院して行った。

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2024年6月10日 (月)

新型コロナ感染

2/16コロナに罹った(どうも出入り業者の方が感染源らしい)。

病院内での感染なので対応は早く重症化することもなく2/28には隔離解除(同部屋の最終解除者に合わせた)。

勿論初めて薬を飲んだが今まで見たことがないような大きな錠剤です。

薬に対して余り特別な感慨を持っていない私ですがこの大きさに初めて絶句しました。

コロナに罹ったお陰で色々な情報が得られました。

当病院のナースも結構罹った経験があるらしく色々なことを教えて頂きました。

後遺症は千差万別で3~6ヶ月以上掛かる人もいれば年単位で苦しんでいる人もいると言う(眩暈等)。

ある人は足の指の爪が黒く変色したとか、コロナの後、血中酸素濃度が低い人は脳梗塞になる可能性があるとか・・・怖いですね。

今振り返ると私はコロナに罹るなんて想像もしていなかったのでこれじゃ、踏んだり蹴ったりだと思いました。

これで入院生活が更に長くなるのではと心配しましたが罹ったのが圧迫骨折入院時と略同時期だったので影響はなかった、と思いたい(ホッと一安心でした)。

 

 

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2024年6月 9日 (日)

救急病院

救急病院入院は私の人生で初の経験です(普通の病院も含めて入院したことが50年以上ない)。

それがいきなり4ヶ月近くの長期間。

入院して感じたのは朝から夜中まで基本ズ~と騒々しいこと。

4ヶ月後退院して自宅で寝て感じたのはとても静かであること(この時期早朝4時頃には小鳥のさえずりが聞こえて自然と目が覚めます・・・早過ぎるのでそのまま横になっています・・・結果5時半に起床しています)。

寝付きが悪いのは今に始まった訳ではないものの流石に退院初日は安心感からか直ぐに寝てしまったようです。

それに比べ救急病院は救急車の音や院内では看護師等の移動時の音。

室内では4人部屋で半数がタン(気道粘膜によって作られる気道分泌物)絡みの患者。

これが実に煩いのです・・・患者さんに文句を言っても仕方がないが...。

殆ど過去の喫煙の結果が招いた症状ですが1日中、うめき・わめき・うなり声を発し同室の人は先ず寝られない・気が変になりそうになります。

最初こんな環境下で果たして夜休めて怪我が治るのか疑問でした。

しかし本人は周囲のことには我関せずで喚き散らしているのですから、お手上げ状態です。

患者さんには申し訳ないけれどホンとゾンビのようです。

前世で悪いことをして現世でそのお仕置きをされて発している様な叫び声なのです。

勿論軽い人もいますがこれを見たら誰しも喫煙はしまい、と思うでしょうね。

これでもやる人は意志の弱い人ですから仕方がありません、

うめき・わめき・うなり声を出して苦しんで貰いましょう。

中には吸引して貰っている間苦しいのでナースに向かって俺を殺す気かと暴言・罵声を浴びせる人もいる。

ナースは心得たものであなたを死なせないようにしているのでゴメンね、もうチョッと頑張ってねとやさしく声を掛けます。

吸引が済むと当然患者はスッキリするので楽になるのですが重症患者は直ぐにタンが絡んで来ますのでホンとイタチごっこです。

中にはタンで口をうがいする、とか言われていた人もいました・・・タンを飲み込んでしまうと誤嚥性肺炎を引き起こす可能性がある。

この悲惨な状態を見てしまえば喫煙がどれほど深刻な結果に繋がるか分かりそうなもの。

日本たばこ産業は今からでも遅くない、製造・販売を即中止するべきです。

世の中にはやって良いことは沢山あります。

是非それを追及して頂きたい。

そんな中救急車は24時間365日絶え間なくやって来る。

それが救急病院である。

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2024年6月 8日 (土)

リハビリ奮闘記

コルセットの出来上がり(2/8)以降直ぐに先ずベッドから降りて2本足で立って左右交互に足踏みをすることから始めました(リハビリ担当の先生の指示)。

これは簡単なようですがふら付いて中々上手く行かない(以前の自分だったらこんな簡単なことがと思いますがそれが出来ないのが現実なのです。実に歯痒い)。

特に昔から痛めている左足は全然持ち上げられない。

自分の足をこんなに動かせないとは全く信じられませんでした。

これが最初の印象です。

そこから少しずつやって行って足の上下運動が出来るようになってから漸く車椅子でリハビリ教室に移動です。

ここでも平行棒を使っての移動からスタートです。

足の前への踏み出しが怖くて出来ない。

何とか出来るようになると今度は庭の階段を見立てて簡単なブロック(3段・・・10㎝刻み)での昇降です。

少し出来るようになると庭の段差を目標に往復で60往復(120段・・・これ位やれば何とかなるだろう、と言う見込み)に挑戦です。

これも最初は休み休みでの往復がやっと・・・60往復には程遠い)。

これで疲れ果ていました(4月中)。

この時期よりベッド上で出来るリハビリ(自主トレと称していました)を10種類以上考えて日々トイレの後と3度の食事の後にやっていました。

少しでもリハビリの足しになればとの思いです。

5月に入ってやっと休み休みで60往復出来るようになりました(予定退院時(私自身が設定)までもう時間がないと分かっているので正直焦りましたが焦って腰・膝を痛めたら元の木阿弥なのでそこはリハビリの先生に従って行動しました)。

その後は順調に進み、60往復ノンストップで行けるようになったのはそれから直ぐ後のことでした。

この頃には平行棒の中ではハンズフリーで5往復出来るようになり、室内を5周(約50m)(我が家は障害物が多過ぎるのでそうは簡単にはハンズフリーで歩けません(泣く))歩くことが出来るようになりました。

ある程度波に乗れば結構ペースアップするモノですね。

病院の本物の階段を使っての練習も兎に角家の階段の段差がどの程度かハッキリ分からないのでそれがネックでした。

実際退院して家に帰ってから分かったのはそれ程差はないと言うことでした。

ある意味ホッとしました。

と言って油断してこけたらお終いです。

慎重に慎重に二度と入院しないをモットーに階段昇降をします。

2階の寝室は起床した後は当面夜寝るまで使わない・・・一人での昇降は回避する、と言うこと(ヘルパーさんがいる時はOK)。

自分の家なのに改めてこの環境に慣れるのに相当時間が掛かるのは覚悟しないといけない、と実感しました。

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2024年6月 6日 (木)

我が闘病記

1/29、3度目の救急搬送によって今度は入院出来る病院を探して貰いました。

1/25、1/26のように帰されたら堪ったもんではないので...。

伊豆の国市の担当者の方にも協力して頂き救急車は走りながら入院出来そうな病院を伊豆の国市の担当者と連携しながら確認して貰いました。

昼過ぎに三島の病院に到着。

今回は腰の圧迫骨折と言うことでしたが私自身経験がないのでどの程度の入院になるかは皆目見当が付かなかった。

取敢えずコロナ病棟(仮)・・・コロナが流行した際に増設した部屋らしいに入室。

病院のベッドは転倒防止保護柵(高さ20~30cm)が付けられており患者の転倒防止を図っている、が患者には猛者がいてそれを乗り越えようと頑張っているのを発見され何度もナースから注意を受けているのが聞こえた(6回の部屋替えを通して幸いにも私の同居人にはそう言う人はいなかった)。

1/29から2~3日同じ夢を見た。

それは空間移動して我が家のいつも自分が座っていた部屋の椅子に陣取っている夢です。

あり得ないことですが自分が入院した事実が理解出来なくてそれが夢にまで現れているのです。

当然のことながら目の前にパソコンがあってもパソコンは使えないし、オーディオで音楽を聴くことも出来ません。

これは夢だってことは直ぐに理解しましたが3日間ほど続いたのは余程この入院事実を認めたくなかったのでしょうね。

そんな中、昔良く耳にしたのに「かもめが翔んだ日 」のアーティストの名前が出てこない・・・これがショックでした(渡辺真知子)・・・アルバムは持っていません。

どうも腰・膝の痛みが激しくて頭が真っ白け(記憶が翔んだ ・・・かもめが翔んだに掛けた)になったようです。

入院直後は点滴で栄養補充(食事が出来る状態ではありません・・・全く起き上がれないから)。

この状態での入浴は体ごとベッドからストレッチャーに移動させられ風呂場に直行、スッポンポンになってまるで俎板の鯉です(汗)。

2/2、一般病棟に移ってコルセットの採寸、2/8に出来上がった。

コルセット着用後は何とかベッド上を斜め起き(私は右利きだから右側へ起き上がる)しその状態で食事です(飲み物は全てストロー使用・・・斜めなのでこぼす恐れある為)

一安心と思ったら2/16コロナに罹った(どうも出入り業者の方が感染源らしい)。

この時はナースの皆さんも以前TVで見た完全武装の状態なので誰が誰だかさっぱり分かりません(汗)。

病院内での感染なので対応は早く重症化することもなく2/28には隔離解除(同部屋の最終解除者に合わせた為10日以上掛かった)。

ベッド上で座って食事が出来るようになったのは正直いつからかは記憶がないので分かりませんが徐々に起き上がりの角度を上げ普通に座って食べられるようになったのは暫くしてからでした(ここまではおむつの完全武装)。

それから少しづつバルーン装着前立腺の中を通る尿道にステントを挿入し、尿の通り道を開通させ、排尿出来るようにする治療法) の24時間いつでもおしっこが出来る状態のシステム・・・尿道にチューブを装着しチューブの後方の袋に貯めるようにしたもの。

2/29村田さんが病院へ来てTV面談(コロナが収束していないのでその代わりに病院が設定したようだ)の予約をした、とのこと。

その時村田さんからは1万円の差し入れがありました。

これは早速マスクの購入に充てさせて頂きました(私は入院の際、お金は一切、持って来ていませんでした)・・・カード類は持って来ました。

その後両膝のサポーター・更にはコルセット代とリハビリシューズ(2足)を購入(5/14に近く(と言っても5分以上の移動)のコンビニにリハビリの先生に車椅子を押して貰って10万円引き出し残金の内、5万円は自分で管理するのは危険(病室は24時間ドアは開いた状態なので病院の事務方に預かって貰い退院時に受け取りました)。

村田さんが私の入院先を探し出すのには相当な時間を要したようです。

私を運んだ救急車がどの消防署に属しているか当たりを付けて直接確認に行かれたようです、が個人情報の壁にぶち当たり中々教えて貰えなかったようです。

私自身は病院内を歩ける状態ではないので連絡が出来ません(病室からの電話は禁止・・・尤も私はスマホを持っていないので最初から出来なかった)。

村田さんの粘りの交渉で何とか他の場所で情報を教えてくれるかも知れないと言うことを聞き出し、そちらを訪問、何とか入院先を聞き出せた、とのこと(そもそも私が入院前に村田さんに今生のお別れみたいなメールを出した所為です・・・申し訳ありません、本当に駄目だと思いましたから)。

しかし個人情報の問題は度を過ぎると壁が出来て間に合わない、と言うこともあるので少し考え直して貰いたいモノですね(私はそのレベルではなかったけれど)。

入院から1ヶ月が過ぎて漸く知人(村田さん)に(TV画面ですが)会えたのはホンと嬉しかった。

私も車椅子でリハビリの先生に病院内の公衆電話があるところまで連れて行って貰えるようになってからは何人かに電話連絡したけれどリハビリの時間が減ってしまうのは本末転倒なので痛し痒し・・・この頃にはシャワー風呂と言って浴室に入って椅子に座って最初はナースの手で洗って貰いました・・・その後少しづつ自分で出来るようにして行きました)。

前と後ろだけは自分で洗いました(入浴は週一が多く一時的には週2回もありましたがスタッフ不足で元の週一に戻った時は正直がっかりしました)。

あっと言う間に救急病院の規約で2ヶ月が過ぎ、3/29、私は3階の障害者病棟に移り退院時までリハビリ・療養が続きました。

私が入院した時期は冬真っただ中の1/29です。

毎年恒例の指先のひび割れ(アカギレ)、霜焼け(何れも部屋の中にいてなるのですから如何に冬に弱いか、ですね)、それが入院して暖房が聞いた部屋で1日中過ごした所為で4月を迎える頃にはすっかり跡形もなく治ってしまいました。

逆に乾燥肌が一層ひどくなりました。

風呂も1週間に1回が殆どで余り効果がありません。

アメニティ(病院が契約しているパジャマ等の供給会社)で供与のニベア(保湿剤)を塗ってみましたが余り効果はなかった様に思います・・・退院後の今でも乾燥肌のまま。

市街地と違い湿度の高い山へ戻れば少しは改善するかも知れない、と神頼み状態です(汗)。

以前からアマゾンで保湿剤は購入しているので風呂の度に塗ろうかと思いますが、これが1週間に2度の入浴なので病院よりは多いのですが当分ヘルパーさん頼みなので仕方がありません(一人で入って転倒したのでは元も子もありませんから)。

色々なところで不自由と言うハードルが待ち構えているのが私の現状です(泣く)。

後半には村田さんが、掲示板のコピーを持って来られてトドの裁判は終盤に入っているとのことでした(トドは完全に参っていると言われていました)。

ただし和解案には応じずの気持ちは固いようです。

和解してしまうと今迄の苦労も水の泡ですので判決で金額が僅少になってもトドの懲戒免職・強制執行で二度と弁護士を名乗って悪さが出来ないようにしないと不完全燃焼になる・・・「鬼平犯科帳」からあいつは長谷川平蔵と名乗っていたこともありましたがまさに令和の時代では長谷川平蔵=トドがお仕置きされるの図であります。

私もトドの懲戒免職・強制執行を望んでいますので確実に勝ち取って頂くようお願いしました(兎に角全国津々浦々に被害者はおられます・・・和解ではそれらの方々の無念は晴れませんから。

(豆知識)

ナースの皆さんに励まされ楽しい入院生活を過ごせました。

皆さんの返事が兎に角明るく元気なのです。

良く耳にして記憶に残っているのが「はーい、アイよ」でした。

「はい、はい」等の二度返事は全く聞かれませんでした・・・病院の教育が良いことが良く分かりました。

入院中の食事は全て黙食でした・・・それも壁かカーテンの前で(家ではTVを見ながらです)。

又、当病院に入院された人の最高齢者は108歳と言うことでした。

現在も100歳超の方が入院されているようです。

なお私の同部屋の高齢者ベスト3は98、93、90歳(年齢は何かの切っ掛けで知り得たもの)でした(私自身部屋は6回変わっています)。

私自身は未だ若い方に属すると言われました(老々介護が現実問題となっていることが良く分かりますね)。

長生きは素晴らしいことだが、最後はピンピンコロリが宜しいようですね、皆さんに余り迷惑を掛けずに済みそうです。

なお↑の98歳のおじいちゃんは折り紙の達人でした。

毎日ベッドにちょこんと座り何も見ないで次々と作品を完成しナースや掃除のおばちゃんたちに見せて喜ばれていました。

私は掃除のおばちゃん経由見せて頂くようにお願いし見せて頂きお礼を言ってお返ししようとするとどうぞお持ち下さいと言われ、そのまま受け取り退院時持ち帰りさせて頂きました。

昔から折り続けているのでしょうね。

何も見ず折っているのは達人と言って差し支えないですね。

私自身部屋替えになってリハビリの際、以前いたこの部屋の前を通った時に入り口のドア(開放)に飾ってありました(ナースか誰かは分かりませんが飾ってくれたのでしょうね)。 

今でも入院されているのでしょうか。

お元気で...。

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2024年5月26日 (日)

退院後の予定は?

5/23は村田さんの他にチョコさん・鉄人wさんも来て下さいました・・・本当に有難うございます。

村田さんは結局TV面談2回、面会も3回来て下さいました。

お忙しい中本当に申し訳なく思っています。

トドの裁判も終盤を迎えそちらの方も忙しいのに頭が下がります。

家まで村田さんと話しながら予定通り40分足らずで到着(二人は別々の車で)。

この時間は入院中は腰が大丈夫かと気になっていたのですが、退院の喜びと村田さんとのおしゃべりでリラックス出来たことも大きく下車した時点では何の問題もありませんでした。

到着時には今まで見たことがない位家の前の道路には車が止まっていました。

ケアマネージャー・ヘルパーの方(総勢6人(上記の方含む)はいたのではないでしょうか)。

当日山は晴れ・曇りと言った状態ですがピーカンよりも良かった(三島と違い山は涼しい・・・入院時は真冬でしたが何故か半袖があったのでそれを着て戻りましたがそれでは寒い位です。

退院後初めて我が家の庭を登って家に辿り着き階段を上ってみましたが病院で苦しんだ階段の昇降をやって来たことが確実にプラスになりました。

訓練中は庭の階段・家の中の階段の段差がどの程度かハッキリ覚えていないので不安でしたが何とか出来るレベルであったのは幸いでした。

勿論油断は出来ませんので慎重に・慎重に行動するのが大前提です。

ヘルパーの皆さんが大活躍です。

ヘルパーの方の片付けで長袖を出して着込みました。

初日の半日だけでも結構片付けて頂きました。

2日目は大物のゴミは整理が終わり元の状態(入院前の散らかった状態)が思い出せない位に片付きました。

当分は食事や片付けがメインになりますがその後は入浴の介助をして貰いスッキリしたいモノです。

何もかも人に頼らないと何も出来ない自分ですが焦らずゆっくりと以前の状態に近付けたいと思います。

人は一人では何も出来ないことを今回は身を以て知りました。

こう言う状態なので少し身の周りを整理してから徐々に入院の記録を書いて行こうと思います。

寝ながら要点だけメモしていたのですが見直ししてみると自分の字なのに読めないのです(泣く)。

と言うことで思うように記事に出来ないことが分かりましたので端折って記録して行こうと思いました。

この4ヶ月の入院を今後の人生に役立てることが私自身のモチベーションを高めることに繋がります。

絶対に2度と舞い戻らないことが最低条件です。

退院後1日目(何とか無事に到着して家に入り、散らかった状態をどうするか考えながら休みました)・・・半日でしたが大分スッキリしました。

4ヶ月後退院して自宅で寝て感じたのはとても静かであること。

寝付きが悪いのは今に始まった訳ではないものの直ぐに寝てしまったようです。

又夜間頻尿も今に始まった訳ではないもののこの日(5/24)は4時半頃目覚めてベッド側に設置して頂いたポータブルトイレ(これは病院のよりスマートでした)を利用。

一人って他人のいびきを気にすることもなくましてやタン絡み患者のゾンビのような叫び声を聞かずに休めるのは最高に幸せです。

現時点では長袖を着込むのがベスト。

夜も布団の他に毛布がないと寒く感じました。

矢張り自宅は良い。

最高にゆっくり休めました。

体もゆっくりと元へ戻ればと思います。

無理をしないで音楽でも聴きながらの~んびり生活をして以前のような状態にしたいと思っています。

1日中実際に家の中を動き回ったり椅子に座ったりとしていると当然疲れます(サポーターは座っている時は緩めます)。

病院とは動いている時間が全然違い足の筋力を付けるのには相当時間が掛かることでしょう。

体重も約6㎏減りました。

履いて行ったズボンは冬用なので着込み分を考慮して余裕を見て購入したモノですがそれが異常にダボダボ(左右のこぶしを上下に重ねて余裕で入ります)になっています。

腹自体も凹んで足は膝の下が早く痩せてその後太ももが痩せました(勿論戻っていません)。

焦っても仕方がないので兎に角転ばないことが絶対条件です。

入院中に76歳になりました。

残された時間は長くないことは充分承知していますが最後はピンピンコロリであちらへ行きたいですね。

コルセットは自宅での生活では外して良いと先生に言われました(腰は自然治癒でしっかりくっ付いている・・・レントゲン検査の結果)が私は当面寝る時だけ外して楽に休みたいです(病院でも同じ)。

外出時はコルセット着用とのこと。

コルセットも着用し続けると体が締め付けられている為筋肉が付きにくくなる、と言うデメリットがあるようなので...・

まぁ、ぼちぼちやって行きます。

そうそう、髪の毛もうざいので4/30に可愛い女性看護師の方にバリカンで刈って貰いました。

58年以上振りの丸坊主です。

でも約1ヶ月経つと結構伸びて来るものですね(獏)。

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